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【ひとり空手大戦争】青柳政司インタビュー「左目を失っても打倒プロレスの旅は終わらない」
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【ひとり空手大戦争】青柳政司インタビュー「左目を失っても打倒プロレスの旅は終わらない」

2014-04-02 11:10
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    格闘家が「大好きですよ!」と大々的にプロレスLOVEをアピールできるようになってどれくらいたつだろうか。最近はプロレスと格闘技のあいだの溝も埋まり、好きが高じてプロレスにトライする格闘家も後を絶たないが、格闘家がプロレスのリングに上がるのならば修行とセンスをもって見事プロレスに順応するか、「打倒プロレス」に人生を懸けなければならない――そう、左目が見えなくても戦い続ける誠心会館・青柳政司館長のように!! 「打倒プロレス」と「プロレスLOVE」が詰まった“最後のプロ空手家”1万字インタビュー!

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    ――青柳館長の「打倒プロレス」の歴史はかなり長いですよね。
    青柳 プロレスは今年で26年やってますよね!
    ――26年も!!(笑)。
    青柳 いろんなことがありました。そのぶんケガも多いんですよ。2年前にも鹿児島のインディの試合で腰の骨を折って身体が動かなくなってしまってね。一ヵ月間、桜島で入院してましたから。
    ――そんな大怪我を!
    青柳 あとね、この左目は網膜剥離で失明しましてね。新日本をやめる頃から見えづらくなっていったんですよ。それで一昨年に8回目の手術をしたんですけど、結局ダメになってしまってね。かすかなに光は見えるんですけど。
    ――それでもプロレスは続けられてるんですか……。
    青柳 医者からは「危ないから試合はやめろ!」と言われてるんですけど。ただ、右目の視力は1.2ありますし、とことんやってやろうと思ってますよ。
    ――まだまだプロレスの旅は続く、と。青柳館長はプロレスと空手、どちらの世界でもその名を残してますよね。
    青柳 いやいや、そんなことはないです(苦笑)。
    ――80年代の空手界では「愛知に青柳あり!」と言われるくらい有名だったんですよね?
    青柳 とんでもない、とんでもない(笑)。ボクはね、31歳までトラックの運転手をしながら空手をやってましてね。16歳で空手を始めたときフルコンタクト空手は極真さんだけしかなかったんですよ。ほかの流派ではやってなかったんです。愛知県でフルコンタクトをやり始めたのはボクが最初で。
    ――やっぱり「愛知に青柳あり!」だったんですね(笑)。
    青柳 ハハハハハ。
    ――東海地方の空手でいえば、後藤達俊さんやデンジャー松永さんを輩出した寛水流空手とはどういう関係だったんですか?
    青柳 寛水さんとはいまでもお付き合いをさせていただいてますけど。当時は接点はなくて、ただ寛水さんは猪木さんといろいろとあったじゃないですか。
    ――初代会長の水谷征夫さんは猪木さんに鎖鎌での決闘を申し込んだ過激な方ですよね。
    青柳 あのね、水谷さんは本当に凄かったですね(笑)。あの人は「空手はプロレスに負けられない!」という意識がかなり強かったんだと思いますよ。
    ――その思いは青柳館長も相当強いですよね。
    青柳 それでボクが空手を始めた理由はね、名古屋の中京高校に入ったんですけど、1年生のときにお父さんが仕事をやれなくなって月謝も払えないからどうしても高校をやめることになってしまって。稼げるということで運送会社の助手として働くことになったんですね。で、ボクは中学のときから水泳にのめり込んでいたから、その代わりに何か運動をやらなきゃいかんと思ったんですよ。
    ――中京高校の水泳部という経歴は松永さんや齋藤彰俊さんと一緒ですね。
    青柳 そうなんですよ! 中京出身で空手をやってプロレスのリングにも上がってね。そこは運命を感じますよねぇ。皆さんは立派になられて僕がいちばん惨めな思いをしてますけど(笑)。
    ――何をおっしゃいますか(笑)。
    青柳 で、ボクが住んでる近くにたまたま空手の道場がオープンして。ボクの夢は「プロレスラーになる」ということだったこともあって「こりゃやるしかないな!」と。
    ――もともとプロレスラーに強い憧れを持っていたんですね。
    青柳 でも、そんな夢は最初からあきらめていますよ。だって身長も高くないし、身体も小さい。プロレスラーというものはそんな簡単にはなれないってことはわかってましたから。それで空手を始めたら虜になってしまって。
    ――そして極真の全日本選手権で他流派なのにベスト16に進出するまでになったわけですね。
    青柳 あの頃の極真はね、他団体が勝ち上がるのが許される時代ではなかったんですよ。あれは第10回大会ですから、ボクが22、23歳の頃。二宮城光さんが優勝したんですよ。ボクはベスト16で負けちゃったんだけど、そこで勝てば次は二宮さんだったんです。で、ボクの試合が始まる前になると、主審や副審が集まって何かを確認するんですよ。要するに絶対に他団体に勝ち上がらせるなという指示があったとあとになって聞かされました。最後は反則負けにされて負けたんですけど(苦笑)。
    ――青柳館長の快進撃はそれほど前代未聞の出来事だった、と。
    青柳 それでも極真でいい成績を収めたから『週刊少年マガジン』で梶原一騎先生に「愛知の強豪」として紹介されたんですよ。あのときはうれしかったですねぇ(しみじみと)。
    ――館長の活躍で梶原先生の目に止まったんですね。
    青柳 そこから士道館の大会に出るようになったり、梶原先生とお話する機会ができたんです。「青柳くん、君は身体がごついけど、どんな練習をやってるの?」と聞かれて「ボクはプロレスラーになりたかったのでウェイトトレーニングをやってます」と。
    ――当時ウェイトをやってる空手家ってどれくらいいたんですか。
    青柳 ウェイトをやってる空手家はそんなにいませんでしたよ。ボクね、25歳のときね、200キロ上げてましたからね。自分で言うのもなんですけどハンパじゃなかったですよ!
    ――プロレスのリングに上がった頃も凄い身体つきでしたよねぇ。
    青柳 均整な身体ではなかったですけど、とにかくごつかったですよね。ウェイトはヘタなプロレスラーよりやってましたから。当時、極真でウェイトをやっていたのは佐藤勝昭先生くらいだったし。
    ――いわゆる“パワー空手”の佐藤先生。
    青柳 ボクは佐藤先生の影響が強かったんですよね。「空手はパワーだ!」と。打たれ強さとパワーがあれば、技術はなくともある程度までは行ける、と。技術はもちろん必要ですけどね。
    ――プロレスデビューのきっかけとなる『格闘技の祭典』は梶原先生の流れからなんですか?
    青柳 そうです。真樹(日佐夫)先生から『格闘技の祭典』をやるという連絡があって「プロレスラーになる夢もいいけど、プロレスラーと闘ってみるのはどうか?」と。最初相手は藤原喜明だったんですよ。藤原さんは一流のプロレスラーだけど、あのとき大仁田(厚)に変更しなかったら、ボクはあのままプロレスのリングに上がってないし、大仁田も国会議員になってないですね。大仁田厚という選手が俺を活かしてくれて、また俺も大仁田厚を活かしたんですよ。
    ――あの一戦で自信をつけた大仁田さんはFMWを旗揚げすることになって、そうしてプロレス界は多団体時代になっていくわけですよね。
    青柳 あのときの大仁田はあとがなかったわけでしょ。あの試合に人生を懸けてたんじゃないのかな。たまに会うと「館長のおかげでいまがある」と言ってくれて悪い気はしませんですけど(笑)。あのときのボクはボクで大仁田が何をやってくるかわからない状態でリングに上がってね。
    ――プロレスというものが何もわからないままリングに上がった感じですか。
    青柳 あんときは空手のイベントだったでしょ。お客さんは空手ファンばっかりだったし、大仁田はヒール。大仁田へのブーイングが凄くて、ボクが流血したら館内は大騒ぎですよ。見に来ていた石井館長も身を乗り出して興奮してね。石井館長はあの試合を見て「これだ!」と思ってK-1をやろうとしたらしいですから。もうみんな興奮しちゃってセコンド同士の乱闘で眼窩底骨折の重傷を負った人間もいますからねぇ。
    ――YouTubeにあの試合動画がアップされてますけど(https://www.youtube.com/watch?v=qvnvKYHQ-1Y)、みんなエキサイトしてるんですよね。セコンドが本気で顔面を殴りにいったりして(笑)。
    青柳 プロレス側は邪道外道、スペル・デルフィンとかでしょ。空手勢は村上隆司に佐竹(雅昭)や角田(信朗)からみんな揃ってましたからね。
    ――プロ空手界のオールスターですよ!(笑)。
    青柳 関係者も観客もプロレスなんかにナメられちゃいかんと殺気立ってるわけですよ。それなのに大仁田は2000人のお客さんを敵に回した煽ってるわけですよね~。あれは根性ありましたね! それで大仁田とは名古屋でやって、また後楽園ホールでやってね。ボクとしてはそこで夢を達成したと思ったんですよ。でも、大仁田はそこからがスタートだったんですよね。
    ――青柳館長はFMWに継続参戦しませんでしたね。
    青柳 空手の先生としての立場に戻るべきなんじゃないかな、と。で、いまは亡くなってしまいましたけど、剛竜馬から電話があって。やっぱりボクの頭の隅っこには「プロレス」があったんでしょう。空手の指導のできる範囲でという条件でパイオニア戦志に出ることになってね。
    ――FMWと比べてパイオニア戦志はどうでしたか?
    青柳 どちからというとデスマッチはボクより松永のほうが合ってると思ったんですよ。デスマッチをやりたくないなというわけじゃないんだけど、剛竜馬のほうがボクが望んでいるプロレスをやってるなというイメージがあって。
    ――格闘技スタイルを活かせるプロレスですね。
    青柳 そうそう。だからUWFにも興味がありましたけどね。ボクは打撃ですからU系は嫌いじゃなかったんですよね。
    ――青柳館長のU! 青柳館長は最初からプロレスに順応してましたから面白いことになったと思いますよ。
    青柳 いやいや、そこはね、大仁田のやり方もうまかったんでしょうし。
    ――うまさでいうと大仁田さんと剛さんって違いました? 同じ青柳館長を相手にしてだいぶ印象の違う試合になりましたけど。
    青柳 ああ、そこは感じることがありましたねぇ。パイオニア戦志で1年間やって最後にこう言ったんですよ。「剛ちゃんはプロレスはうまいかもしれない。でも大仁田とはお客さんを惹きつける力は雲泥の差がある!」と言いましたよ、ハッキリ。
    ――あ、そこまで。
    青柳 ええ。「そんなんじゃね、パイオニア戦志は潰れるぞ!!」と怒りましたもん。
    ――1年間やってみてレスラーの力量差を感じたわけですね。
    青柳 思いました思いました。剛ちゃんは亡くなっちゃいましたけどね。剛竜馬という人間は嫌いじゃなかったですよ。人間らしかったというのかな……(しんみりと)。
    ――そのパイオニア戦志を通じて新日本に上がることになって。
    青柳 やっぱり福岡のライガー戦は燃えましたよねぇ!
    ――ライガーが覆面を脱ぎ捨てて血まみれになった異種格闘技戦ですよね。激昂したライガーさんは控え室に帰る途中にすれ違った長州さんにも「潰すぞ!」と噛み付くほどで。
    青柳 あのときは剛ちゃんと高杉がセコンドについてリングに上がってね、数千人の観客からブーイングを浴びるわけですよ。異種格闘技戦は猪木さんが始めましたけど、新日本で日本人同士の異種格闘技戦は珍しかったですからお客さんも燃えたんじゃないですか。
    ――あとトニー・ホーム戦も印象深いですよね。ボクシングvs空手の異種格闘技戦をプロレスのリングでやるという(笑)。
    青柳 両国でやったなあ。あのときは協栄ジムに通って特訓したんですよ。やっぱりボクシングのパンチを知っとかなきゃいかんだろうって。それで試合前には山奥で一週間合宿してね。
    ――なんというか、そのへんの細かいこだわりやロマンの追い方は梶原一騎先生の世界観ですよね。
    青柳 そうそう! それはもう気分は「ひとり空手大戦争」をやってるつもりですよ!!
    ――「ひとり空手大戦争」ってカッコいいですね!(笑)。誠心会館と新日本プロレスとの抗争もまさにその感覚で。
    青柳 ウチの生徒と小林(邦昭)さんのあいだで揉め事が起きて。後楽園ホールの控室のドアを閉めた、閉めないで喧嘩になって。小林さんが生徒を殴って骨折させるというね。
    ――あの抗争のとき青柳館長は新日本側とコミュケーションは取ってなかったんですか?
    青柳 あのときは新日本もよくわかてなかったんですよ。あーするかこーするなんて話もなくて、こっちと小林さんがお互いに勝手に物事を進めるというか。
    ――勝手にやってましたか!(笑)。
    青柳 名古屋レインボーホールでの試合なんて警察に始末書を書きましたからね。控室で空手家軍団と星野(勘太郎)さんが喧嘩になっちゃって警察が駆けつける大騒ぎになって。
    ――要は『格闘技の祭典』の乱闘のように周りがエキサイトしすぎちゃった、と。
    青柳 うん。それはマスコミとかファン関係なく揉めちゃって。誠心会館のメンバーは30人くらい来たんだけど、それでも星野さんは一歩も引かなくて。「テメエら殺すぞ~!!」って。
    ――さすが新日一の喧嘩師ですね(笑)。そこはアドリブじゃないですけど、お互いのセンスで転がっていった感じなんですね。それでブレーキがかからない選手は暴走しちゃって。
    青柳 そうそう。そういうことですね。だからね、プロレスのリングに上がった格闘家はたくさんいたと思うんですよ。でもね、あの抗争は誰もできないんです(キッパリ)。

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