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【K−1天国と地獄】天田ヒロミ「谷川さんがやるようになってK−1はダメになりました」
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【K−1天国と地獄】天田ヒロミ「谷川さんがやるようになってK−1はダメになりました」

2015-07-01 00:00
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    「石井館長は常に現金で4000万円を持ち歩いていて、いい試合をするとポンとお金を渡すんですよ」

    アマチュアボクシングの実力者としてK−1のリングに参戦。K−1ジャパントーナメントを制するなど貴重な日本人ヘビー級ファイターとしてK−1黄金期に活躍した天田ヒロミ。中学高校時代のリアルアウトサイダーなやんちゃぶりと、石井館長のK−1天国時代、谷川貞治のK−1地獄時代を語ってもらった。格闘技バブルをとくと堪能せよ!






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    ――天田さんといえば、K−1時代は暴走族出身がフィーチャーされてましたよね。

    天田 ああ、そうです。中学、高校1年くらいまで暴走族に入ってましたね。

    ――中学生の頃から暴れてましたか(笑)。

    天田 中学2年の終わりには入ってたんで。きっかけは、友達がバイクで転んじゃって入院したんですよね。

    ――念のためおうかがいしますが、当然無免許なんですよね?(笑)。

    天田 そうですねー(笑)。それで病院にお見舞いに行ったら暴走族の人がいっぱいいて「おまえも入れ!」と言われて。それで「じゃあ、入ります」っていう感じですね。

    ――暴走族に憧れて入ったわけではないんですね。

    天田 なんとなくノリですね。中学のときは真面目に野球をやってたんで、悪いのに憧れる感じではなくて。

    ――天田さんは野球がかなりうまかったんですよね?

    天田 100人くらい部員がいる野球部で1年から補欠、2年から試合に出てましたから。そこそこ野球はできたんですよ。

    ――野球と暴走族の掛け持ちだったんですか?

    天田 昼間は野球の練習してましたけど、暴走族は基本的に週末に動くんですよ。あと野球部に暴走族のヤツって多いんですよね。

    ――ああ、そこは被りがちですよね(笑)。ちなみに暴走族のチーム名は?

    天田 「飛車角」です。あの頃の暴走族ってヤクザの構成員を集めるために作られてたんですよね。暴走族を引退したらヤクザになる。昔はそうだったんです。

    ――でも、高1で暴走族はやめられたんですよね?

    天田 高校1年の夏休みに大きな集会があったんですけど。それに出ないと暴走族をやめなきゃいけない。でも、出ると警察に捕まるんですよ。大きな集会だから警察もマークするじゃないですか。集会に出た人間は実際全員捕まったんですよね。

    ――警察に捕まるとわかっていても出るんですね。

    天田 それでみんな少年院に行きましたから。で、集会に出ないなら30万円を払うか、身体で払うか。どっちか選べと。

    ――ケジメを付けないといけないですねぇ。

    天田 ボクは身体で払うということで、みんなの前でボコボコにされて。身体が丈夫だったからケガしませんでしたけどね。

    ――集会に出なかったのは何か理由があったんですか?

    天田 一応高校は卒業したかったんで。捕まって少年院に送られたら高校は退学ですから。

    ――そもそも天田さんは本来、野球の名門校に進む予定だったんですよね?

    天田 そうです。推薦入学が決まってたんですけど、中3のときにバイク無免で捕まっちゃったんでダメになりました(笑)。

    ――あらま(笑)。

    天田 進んだ高校も入学1週間で謹慎になっちゃったんですよ。ほかの高校の生徒とケンカしたときに、顔を殴ったら悪いなと思って腹を打ったらアバラを折っちゃって。それが学校にバレて謹慎です。

    ――ケンカはしょっちゅうやられていたんですか?

    天田 60日連続でケンカしたことありますね。

    ――60日連続!?(笑)。

    天田 相手を殴ると拳が破傷風になって腫れるんですけど、その腫れた拳で殴ってたましたね。ライターを握って。

    ――はあ(笑)。

    天田 ケンカを売られなかったら、こっちがケンカを売ってたし。自宅を40人くらいに囲まれたときもありますよ。要はやりすぎちゃって。

    ――どんだけやりすぎたんですか!(笑)。

    天田 ボクのオヤジが警察関係で働いていた……というか、旗振りのオッサンだったんですよね。その格好で出ていったら、囲んでいた連中は解散したんですけど(笑)。

    ――ああ、勘違いしちゃって(笑)。しかし、物騒ですね。

    天田 田舎なんで、なんでもありなんですよ。あるときなんて、仕返しに車でひき逃げされたときはありますね(笑)。

    ――ファッ!?  いったい何があったんですか?

    天田 右翼団体の人とケンカしちゃったみたいで。

    ――「みたい」って相手の素性をよくわかってなかったんですね(笑)。車にひかれて大丈夫だったんですか? いや、大丈夫じゃないか……。

    天田 自転車に乗ってるときに後ろからイカれたんですよねぇ。頭を40針縫ったんですよ。しかも顔と頭の皮が捲れちゃって。そこから白っぽいものが見えるから、膿んでると思って掻いていたら、病院で「頭蓋骨に引っかき傷があるけど……」って。

    ――ひえ……。

    天田 ひき逃げされる前にも、自転車に乗っていたら黒いバンにいきなり横付けされて、出てきた人間に鉄パイプでボコボコにされたんですよ(笑)。それなのに後日、また同じ奴とケンカしたことで、車でひかれたんですよね。結局、ひき逃げ犯、捕まらなかったんですからね。

    ――それだけ暴れていると、警察もご厄介になったんじゃないですか。

    天田 警察は優しいですよ。ちゃんと保護してくれます。さらわれても助けに来てくれますからね。

    ――さらわれたこともあるんですか?(笑)。

    天田 ありますよ。手首足首を縛られて、100人乗っても大丈夫なやつに放り込まれて……あのときは警察じゃなくて友達が助けてくれたのか。

    ――よーくわかりました(笑)。そんな天田さんが更生するきっかけが高校のボクシング部だったんですよね。

    天田 最初はボクシング部に入らなかったんですよ。何か部活に入らないと退学になっちゃうということでゴルフ部に入ったんですよね。

    ――ゴルフ部ですか?

    天田 ボクシング部の先生が「おまえはボクシングをケンカで使うから入れない」と言われて。それでゴルフ部に入ったんですよね。そのゴルフ部の先生がいい人で、いろいろと面倒を見てもらったんですけど。駒沢大学応援団出身なんで、けっこう気合の入った方で。何度かぶっ飛ぶされたんですけど、あるときその先生とケンカして殴っちゃったんですよ。

    ――おっかない先生をよく殴りますね(笑)。

    天田 それで謹慎になって、ゴルフ部の先生もさじを投げちゃって「もう面倒を見ない」と。それで部下だったボクシング部の先生に「おまえが面倒を見ろ!」って押し付けたんです。

    ――ボクシングに辿り着くまで有無曲折あったんですねぇ。

    天田 ボクシングで日本一になって中央大学の推薦入学も決まったんですけど、ボクのことを嫌いな先生が「学校の恥だ」ってことで行かせたくなかったんですよね。授業中に先生にイスを投げたこともありますから。

    ――やってることが完全に『スクールウォーズ』の世界ですね(笑)。

    天田 ちょうどそれくらいの世代だから。学校崩壊じゃないですけど、高校生くらいだとドラマで見たことを現実の世界に持っていっちゃうんですよ。

    ――感化されちゃうんですね。

    天田 そうそう(笑)。「尾崎豊、最高!」みたいになっちゃうんですよね。バイクを盗むのだって、尾崎豊は「15の夜……」と歌うわけじゃないですか。だったら“尾崎超え”するしかないって、みんなで14の夜にバイクを盗んだんです。尾崎豊のせいでもあるんですよ!(笑)。

    ――ハハハハハハ! 大学では落ち着いたんですか?

    天田 大学のときは全日本のメンバーに選ばれていたんで、1年のうち3分の2は合宿なんですよ。だから学校にはほとんど行ってなくて。

    ――ボクシング漬けの生活だったんですね。

    天田 だから4年間で全然単位が取れなくて。2年留年して大学6年通って卒業したんです。どう計算しても2年は留年しないと取れなくて。2年留年したときはボクシング部のコーチをやってたんですけど。バブルが弾けて親が学費払えなくなっちゃって、配管工で働きながら大学に通ってたんですよね。月40万は稼いでましたね(笑)。

    ――よくそこで中退しませんでしたね。

    天田 苦労はしましたね。ビックリするくらい。

    ――プロボクサーになる考えはなかったんですか?

    天田 あの頃は竹原慎二さんが世界のベルトを取った時期なんですよ。その初防衛戦でウィリアム・ジョッピーとやってボコボコにされたのを見て「竹原さんでこれなんだから、俺が通用するのかな……」って漠然と考えちゃって。そんなときに知り合いからの紹介で石井館長と出会って。「竹原くんは世界戦で1千万だろ。K−1は1試合1千万あげるよ」と言われて。

    ――さすが館長、ぶち上げますね(笑)。

    天田 卒業したら群馬に帰って公務員になるはずだったんですけど。館長の話を聞いたら「K−1はそんなに凄いだな」ってことで正道会館に入ったんですよね。

    ――最初は正道会館所属だったんですか?

    天田 ……たぶん。

    ――たぶん?

    天田 うーん、最初の何年間は正道会館から給料をもらっていたかもしれないです。なんでわからないかというと、館長って会うと「頑張ってるな!」ってことでお金をくれるんですよ。それがなんのお金かわからないですよねー(笑)。

    ――石井館長は気前がいいんですね。

    天田 いやいや、気前がいいとかのレベルじゃないんですよ。「飯を食え!」って30万円、「服でも買え!」ってことで20万円。

    ――ハハハハハハ! たしかに気前のいい云々ではない(笑)。

    天田 10万じゃないんですよ。必ず20万円以上なんですよ。あるときなぜかボクが館長と一緒に羽賀研二と梅宮アンナの2人と飯を食うときがあって(笑)。「今日は楽しい時間をありがとう」ということで20万30万もらいましたね。ただ飯を食っただけなのに。

    ――凄いなあ……(笑)。

    このインタビューの続きと、横井宏孝、巌流島中止の謎、川尻達也、康芳夫、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar841870
     
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