2020年、押し寄せる大量の
中国人観光客にどう対応するか?
6年後の東京に迫られる課題
――社会学者・張彧暋(チョー・イクマン)インタビュー
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2014.7.29 vol.123
【PLANETS vol.9(P9)プロジェクトチーム連続インタビュー第11回】
本日のほぼ惑では、「PLANETS vol.9(特集:東京2020)」インタビューシリーズの特別編として、
香港中文大学の張彧暋(チョー・イクマン)氏にお話を伺いました。「外国人にどう東京の・日本の魅力をアピールするか」ではなく、押し寄せる中国人観光客にどう対応するのか。そして日本ポップカルチャーの東アジアでの「実際の受け取られ方」とは――!?
▼プロフィール
張彧暋(チョー・イクマン)
1977年香港生まれ。香港中文大学社会学研究科卒、博士(社会学)。同大学社会学科講師。「日本・社会・想像」「日本社会とアニメ・漫画」などを担当。専門は歴史社会学と文化社会学。鉄道史・鉄道オタクを研究し、最近は日本サブカル産業と流通、二次創作と著作権問題を研究。香港最初の日本サブカル同人評論誌『Platform』の編集長を務める。
◎聞き手・構成:中野慧
■2020年、東京には大量の中国人観光客が押し寄せる
ーー張さんは、2020年の東京オリンピックの開催についてどのようなことを考えていますか。
張 私は香港人なので、やっぱり観光客としての目線で捉えていますね。2008年に北京オリンピックがあって、2012年にロンドン、その次に2016年にリオ・デ・ジャネイロがあって、その後が東京オリンピックなわけですよね。たとえば2008年の北京オリンピックって、かつて1964年に開かれた東京オリンピックと性格が似ていたと思うんです。チャン・イーモウさんの劇場型の開会式に見られるように、工業化と経済発展のさなかの中国にとっては、ナショナリズムが盛り上がるクライマックスの時期でした。
それに対して2020年の東京って、すでに工業化自体は完了しているわけですよね。宇野さんが「PLANETS vol.9」でやろうとしているプロジェクトも、工業化社会ではなくサービス・エコノミーやクリエイティブ・エコノミーの側面を打ち出していこうというものだと思います。
その一方で面白いのは、2013年に日本に来た観光客の数は年間1000万人ぐらいで、一番多いのは韓国で、次に台湾、中国、香港で、やっぱり東アジアの国々が大半なわけです。そして東アジアのなかでも、韓国・台湾・香港と日本の経済構造は近似性が高い。すでに製造業が衰退し、新しいサービス、新しい体験が発展している。経済構造が近いということは観光に求めるものも近いということで、これらの国から来る観光客は、たとえば秋葉原に代表されるようなサブカルチャーであったり、いろんな温泉体験であったり、美味しい食事であったり、カフェ巡りだとか、ファッションだとか、美術館に行くことを目的にしていたりする。香港の例を出すと、5-10年前までは東京に来ても日用品などを買っていたわけですが、今は韓国や台湾からの観光客と同じように、消費だけではなく文化体験のほうにゆっくりと方向性が変わっていっています。
ですが中国からの観光客はまだ工業化時代のメンタリティが強く、ナショナリズムと経済の成長と国の誇りを一緒に考えています。たとえば香港には去年、年間5000万人の観光客があのちっぽけな島に来て、大半が中国大陸からの観光客でした。彼らが求めているのはサービスではなく、ブランド品と日常用品の買い物です。そしてその5000万人の観光客はそろそろ香港には飽きてきて、今は台湾に進撃中です。そして台湾ではたくさんの中国人観光客が溢れて、マナーが悪いということで非常に問題になっている。
で、2020年の東京オリンピックを考えるとやはり、韓国・台湾・香港やヨーロッパ人、アメリカ人はともかくとして、そういう中国の観光客に対してどう対応するかが課題になってくると思います。たとえば、彼らが求めているのは必ずしも秋葉原のサブカルチャーだけではなくて、薬品を買いに来たりとか……。
ーーえっ。薬品って、何のことですか……?
張 香港でいま一番多い店は薬局なんです。観光客がいろんな美容品とかサプリメント、もしくは赤ちゃんのための粉ミルクを求めるからですね。中国はとにかく社会に対する信任(Trust)があまりにも低くて、信頼性の高い、体に良い製品を買い求めるんです。
ーー「外国人にどうやって興味を持ってもらうか」ということだけではく、むしろ中国の人たちがたくさん押し寄せるのはもう確実だから、どうやって対応するかを考えないといけないということですね。
張 そう。対応といってもホテルの数のようなインフラの話や、サービスをどう充実させればよいかという問題ではなく、とにかくすごい人数が来るから、そこにどうやって対応するかということですね。
年間数千万の観光客が東京に溢れて薬局で薬を買ったり粉ミルクを買ったりとか、もしかするとホテルでダブルベッドに10人が寝ているとかそういう光景も繰り広げられたりするかもしれない。おそらく東京の生活リズムを破壊されていくし、都市の景観自体もすっかり変わってしまいます。
ーー数千万人もの観光客が来ると都市の景観まで変わってしまうんですか?
張 家賃が高くなったり、食文化も変わってしまいます。これは過去5年ぐらいの香港と、過去1年ぐらいの台湾の経験から言えることですね。そういう工業化時代の観光客のメンタリティを一方で満足させつつ、一方で新しいイメージを打ち出していくバランスをどうやって保つかということを考えないといけないですね。
■中国人観光客に人気の「靖国神社」という観光スポット
ーー日本文化をオリンピックを契機に発信していくときに、どういった部分をアピールしていけばいいのかについて、海外のオタクの一人でもある張さんのご意見を伺いたいのですが、いかがでしょうか。
張 日本に来る香港・台湾・韓国の人は、男性はだいたい秋葉原には必ず寄っていきますね。秋葉原はいま東京のなかで一番国際化された街です。ちなみに女性なら渋谷に行く人は多いですね。
いまは日中関係が悪いと言われていますけれど、実は世界で一番日本のことを好きな国は中国だろうと思います。表の政治の問題はたくさんあるけれど、昔は日本の製造業に憧れ、今は文化に憧れている。20-30代はネットで海賊版アニメを見放題だから、日本に対するイメージはだいたいサブカルチャーによって得ています。香港人の私にとっても、中国の彼らにとっても、日本のサブカルチャーはむしろ「マスカルチャー」なんです。
それでアキバ的なイメージを使って発信するということは一方でありつつ、もうちょっと刺激的なものをやってもいいんじゃないかと思うんです。たとえば靖国神社で何かやるとかを、あえて挑戦してみたらいかがですか、と言いたい。まあ確実に問題になりますが(笑)。東アジアの人は東京に来て秋葉原や渋谷を楽しむんですけど、その一方で好奇心で靖国に行く人もけっこう多いですよ。
ーー日本国内の広告代理店は、日本が売り込むべきポイントは東京の西側にあると考えているようなのですが、前に張さんは「外国から見たらそれは違う」「西側よりも東側の秋葉原や浅草のほうが外国人は興味がある」ということをおっしゃっていましたよね。
張 そうですね。それに加えて、日本に来る外国人はやっぱりサブカルチャーが大好きな人が多いから、これからはアニメの「聖地巡礼」スポットにも注目が集まるでしょう。私もこれから行く予定なんですけど、たとえば『ガールズ&パンツァー』の舞台の大洗とかですね。今はそういった地方都市ってまだまだ観光客が足りていないというイメージがありますけど、これからは外国からの観光客が「多すぎる」という事態になります。
東アジアから来るオタクの観光客が必ず行くのは、「三鷹の森ジブリ美術館」ですね。こういう場所では、香港人や台湾人は非公式のグッズを買い求めに来ていることがわかっているので、現地の人はそれにちゃんと対応できています。でも、サブカルチャーのわからない人だと、そういう観光客への対応の仕方がわからない。要するに日本のサブカルチャーはやはりサブカルチャーに留まっていて、ガンダムとか『進撃の巨人』を知らない日本人もけっこういるでしょ。そういうものをわかっていないと観光客に対応できないわけです。そういった部分は日本の観光業界がまだまだ甘いところだと思います。
ーーオタクカルチャーをちゃんとアピールできるような体制が整っていないということですね。
張 体制が整っていないし、人材も足りていないですね。たとえば私の知り合いの香港人は何人か秋葉原で働いているんですが、北京語・広東語・英語が喋れるしオタク知識も豊富で、そういう人材はなかなかいないから雇われるわけです。普通の日本人はオタク知識が足りないですからね。
ーーそうなると、オタクの観光客への対応するために、東アジアからオタクの移民がやってくる可能性があるということになるんでしょうか……?
張 あるでしょうね。というか、香港も政治状況が悪いから私も来る可能性があります(笑)。そのときにどうやって仕事を得るかというと日本のサブカルチャーの知識をフル活用していくことを当然考えますよね。
あと6年しかないわけで、こういう部分はかなり焦らないといけないですよ。東アジア情勢ってニュースを見ていても表面的なものしかわからないけど、いきなり何千万という観光客が中国大陸から押し寄せたら大騒ぎになるでしょうし、反中的な雰囲気もより強くなるかもしれない。現に、香港では過去5年で反中国、反北京政府的な雰囲気は倍ぐらい強くなりました。それと、さっきも言ったようにオリンピックを楽しめないなら「じゃあ靖国行ってみようぜ」ということになりますし、そこにどうやって対応するのかは、急がなくてはいけない課題です。
■アグネス・チャン、高倉健、木村拓哉――過去の日本文化の想像力とどう向き合うか
ーー「PLANETS vol.9」ではオリンピックの裏で文化祭のようなことをやろうという計画を立てているんですけれども、張さんから見て、そのポテンシャルはどう映っていますか。
張 要するに過去の想像力の引力とどう向き合うかが課題ですよね。自分たちから新しいイメージを提供しなきゃいけないけれど、それと同時に、古い想像力に囚われた観光客たちにどうやってアピールするかという問題ですね。たとえば東アジアあるいは東南アジアの人々は工業化時代のメンタリティがまだまだ強いので、彼らが求めるのは、高度成長期の64年の東京オリンピックの日本像であり、象徴的にいえば70-80年代に日本の芸能界で活躍したアグネス・チャンの夢ですね。想定される最悪のケースは、そういった東アジアの人たちのイメージに合わせて、開会式にアグネス・チャンを始めとした80年代の歌手や、そして木村拓哉、さらには高倉健が出てくるというシナリオですね。
――そこで高倉健、木村拓哉なんですか?
張 そう、高倉健は、70年代の改革開放政策の際、最初に一般市民に開放された映画の俳優さんですね。つまり中国人にとって最初に開放された日本の文化想像力は高倉健なんです。木村拓哉は90年代ドラマのスターとして、香港人と台湾人にはまだまだ人気があります。そういう古い想像力で止まっている彼らを、どうやって新しい想像力のほうに引っ張っていくか。サブカルチャーは日本の新しい想像力の代表ですからね。そして、そのためにはやっぱりは初音ミクしかないはずですね。
――そうなんですね……。では、初音ミクのような新しい想像力を海外にアピールするために必要になるのは、どんなことなんでしょうか。
張 古い日本のポップカルチャーを新しいかたちで表現したらどうでしょうか。初音ミクとアグネス・チャンが一緒に合唱したらどうですか、という。15年前まで香港でも紅白歌合戦は香港でも必ず中継しましたが、今は放送しても、日本の代表的な曲といえるものがないからあまり香港の人も盛り上がることができないわけです。
たとえば今ではアメリカやフランスなど欧米圏の人も日本のサブカルチャーに関心が高いですが、その感覚は東アジアの人たちからするとちょっと遅れている感じを受ける場合があります。東アジアの韓国・台湾・シンガポールのような国の人たちは、80-90年代を通して日本のポップカルチャーを共有してきたから、今のオタクカルチャーにも馴染みがいいわけです。
やっぱりある程度コンテクストを共有していないと、新しい想像力にはなじみにくい。ならば、古い想像力を活用するということが考えられないといけないわけですね。
――なるほど。ちなみに蛇足なのですが、日本のポップカルチャーのなかでは今アイドルがすごく勢いがあります。アイドルがこの「文化祭計画」に出てくるときに、海外の人たちにアピールする可能性はどれぐらいあるんでしょうか?
張 台湾や香港の日本文化受容って、木村拓哉に代表されるようなドラマ文化やJ-POPとか、日本文化が一番元気だった90年代のポップカルチャーのイメージが強いので、AKBはあんまりわからないんですよね。
もちろん香港人にもAKBのファンはけっこういますが、一般の人にはイメージが湧かないですね。それはいい意味でも悪い意味でもなくて、客観的にゼロ年代の日本のポップカルチャーは「サブカルチャー化」して、島宇宙的なものになっている。私がなぜさっき高倉健の名前を出したかというと、中国人にとって日本文化ってまだ高倉健だからです。そして香港人・台湾人にとっては木村拓哉です。例外的に、ガンダムは共有できる話題なんですけどね。
だから外国人に日本のカルチャーをアピールするには、過去の30年で育ってきた日本のポップカルチャー、サブカルチャーをフル活用しないといけないですね。具体的にはジブリ、ガンダム、アニメ、ドラマ、J−POPです。AKBは秋葉原を出発点として、ファンコミュニティから育ってきた文化なので、日本以外の東アジアでポップカルチャーになっていくかどうかは――もちろん宇野さんの言うように「システムごと輸出する」ということも含めて――これからでしょうね。
開会式にしても、高倉健やアグネス・チャン、木村拓哉から、ピカチュウやセーラームーンといった過去の遺産を賢く利用して、ミクのような新しい想像力とどう接続していけるかが課題になっていくのではないかな、と思います。
(了)
▼インタビュー動画は近日公開予定です。