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・ゲーム産業の興亡(87)
任天堂は据置型ゲーム機の苦戦を過去に10年経験している
新清士(ゲームジャーナリスト)


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特別寄稿:新清士(ゲームジャーナリスト)

ゲーム産業の興亡(87)
任天堂は据置型ゲーム機の苦戦を過去に10年経験している

先週、特にマスメディアに関係する方から、任天堂の今後についての問い合わせが多かった。優良企業として何年も立場を築き続けてきた任天堂への強い関心をあらためて感じる。しかし、任天堂には過去に10年間据置型ゲーム機で苦戦した期間がある。私自身は、「Wii U」は、「ニンテンドウ64」や「ゲームキューブ」に近い立場に置かれる、事実上、任天堂のゲームを遊ぶ専用ハードになると予想している。


■「ニンテンドウ64」時代から10年苦戦の歴史

任天堂のゲーム機は、常勝であったわけではない。特に、96年の「ニンテンドウ64」、 01年の「ゲームキューブ」と、06年の「Wii」が発売されるまでの約10年間、「ファミコン」「スーパーファミコン」と圧倒的に有利な立場から転落し、苦しんだ時期を経験している。

90年代は、94年のソニー・コンピュータエンタテインメントの「プレイステーション」と、セガの「セガサターン」の競争が繰り広げられた時期で、任天堂は完全にこれらの競争の蚊帳の外に置かれた。この要因の一つが、ニンテンドウ64が、発売までに2年間もの遅れたために、すでに多様なソフトが出ていた先行するハードに追いつくことができなかったことが、大きな要因として上げられる。

任天堂が、ニンテンドウ64を、当初は、ソニーと共同開発していたことはよく知られていることだ。CD-ROMを搭載したゲーム機となる予定だった。ところが、一方的に任天堂は独フィリップスとの共同開発に切り替えたと発表し、ソニー側を驚かせた。その悔しさから、久夛良木健などを中心に、SCEが設立され、当時は任天堂に挑むことが不可能であると言われた。しかし、プレイステーションで、新しい市場を生み出したことは、よく知られていることだ。

結局、任天堂は権利問題や、「子供には扱いにくい」という理由から、CD-ROMを採用せず、今までと同様にメモリカードを搭載したロムカセット方式で提供するとした。しかし、CD-ROMと比較すると、搭載できるデータ量に限界があったために、よりCGを盛り込んだゲームを作ることを指向した。スクウェア(当時)が、ニンテンドウ64ではなく、「ファイナルファンタジー」(97年)をプレイステーションで開発すると、前年に発表した。目玉と言えるゲームをプレイステーションが取ったことで、任天堂のその世代での敗北は決定した。


■3位のハードウェアは利益を出せない

ゲーム機は、複数の機種が出た場合2位までのハードウェアでなければ、利益が出にくい。また、特定のハードウェアがトップシェアを得ることができると、その後、より他社のシェアの増加を減らし、自社を有利にさせる好循環に入り始める。IT産業で見られるトップシェアを生み出したハードが、独占的な状況を作り出すという、同じ現象が起きるようになる。3番目のシェアであった、ニンテンドウ64は、最後まで有利になる環境を作れなかった。

実際のところ、任天堂のゲーム専用のゲーム機となってしまった。ニンテンドウ64は、当時のCG技術やハードの最先端企業で会ったシリコングラフィックスと共同開発が行われ、当時としては最先端技術を盛り込んでいたが、複雑なハードウェア構成であったために、他社の参入が難しく、それもサードパーティの参入を難しくした。

一方で、任天堂が開発したゲームは、優れたゲームは多く、「スーパーマリオ64」や、「マリオカート64」、 「ゼルダの伝説 時のオカリナ」など、現在の3Dゲームの表現方法に大きく影響を与えたゲームは少なくない。

しかし、その苦戦の状態のまま、ゲームキューブ世代を迎えるが、発売が00年の「プレイステーション2」より、発売は1年遅れた。同じように、シェアを獲得することには非常に苦戦し、やはりタイトル不足に苦しめられることになった。02年には、マイクロソフトの「Xbox」が登場し、特に北米市場では苦戦することになった。Xboxも、また、世界的にはプレイステーション2の市場に食い込むことができず、大きく苦戦することになる。


■据置型も携帯型も勝てる状態が崩れている

結局、これらの状況を覆すのは、リモコン型のコントローラ「Wiiリモコン」を付属することで、まったく新しいゲーム機の使い方を提案した06年の「Wii」まで待たなければならない。「Wii Fit」など生活提案型のゲーム機はこれまで存在しておらず、大きな差別化にも成功した。3位以下といったシェアの低い企業や商品の戦略は、他社との決定的な差別化を生み出すことが有利になる要因になりやすいが、任天堂はまさに、Wiiでそれを成功させた。

この差別化を「Wii U」では作ることができてない。もちろん、最大の理由は、ソフトウェア不足だ。

ただ、苦しい10年間を、任天堂は打ち勝てるハードを持っていた。89年に登場した携帯ゲーム機「ゲームボーイ」だ。特に子供たちの間に、口コミで広がった「ポケットモンスター」シリーズの成功が大きく貢献している。携帯ゲーム機は、当時、任天堂の独壇場で、セガなど数社が開発をしていたが、有力なゲームを持っていた任天堂に刃が立たなかった。

96年の「ポケットモンスター赤・緑」は、日本国内だけで822万本も売り上げており、当時の日本のゲーム市場最高での最大のヒットになっており、大きなブームを形成した。その後も、定期的にリリースされ続け、現在に至るまで人気を支えている。

つまり、据置型ゲーム機が苦しんでいる時代には、その苦戦を支えるゲームボーイのような携帯ゲーム機での独占状態を構成することができたことで、ニンテンドウは、凌ぐことができてきている。しかし、現在の任天堂が置かれている立場は、据置型ゲーム機のWii Uは、Wiiのような差別化に成功できておらず、一方で、携帯型ゲーム機「ニンテンドー3D」のユーザーは、スマートフォンのゲームに取られつつある。

任天堂はソフトウェア開発力もあり、キャッシュフローも高いことで知られているため、今後、数年間、収益面で苦戦しても十分に耐えられるだろうが、どこに活路を見いだせるのかが、今は見えないというのが、大きな課題でもある。


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新 清士(しん きよし)
ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)名理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。日本経済新聞電子版での執筆、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
Twitter ID: kiyoshi_shin