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めるまがアゴラちゃんねる、第100号をお届けします。
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・ゲーム産業の興亡(111)
ゲームでも繰り返される日本でコンテンツ製作企業が成長できなくなる構造
新清士(ゲームジャーナリスト)
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特別寄稿:新清士(ゲームジャーナリスト)
ゲーム産業の興亡(111)
ゲームでも繰り返される日本でコンテンツ製作企業が成長できなくなる構造
日本では、不思議とコンテンツを作る人は、恵まれにくい構造が構築されやすい。これは、今進行しはじめているスマホゲームを中心としたソーシャルゲーム産業で起きていることだけではなく、過去に繰り返して来たパターンを同じように繰り返して来ているように思われる。
結局、安定的に収益を出せるのは、コンテンツ配信サービスを押さえている企業がますます強くなりつつある。
一方で、DeNA、グリー、バンダイナムコゲームス、スクウェア・エニックス等に代表されるゲームをパブリッシングする企業は、ゲームを発売する自社のリスクを最小限にするために、コンテンツを製作している側に資金的なリスクを押しつける一方で、収益が出る重要な権利の部分はできるだけ多く自社が取ってしまうという構造を作りあげようとしている。
■日本では流通を握る会社が権利をすべて持っていく
日本の映画製作会社は、自社で映画を作るというよりも、配給会社としての側面を強くして、多様な映画を映画館に流すだけで、利益を出せるような構造を作っていった。例えば、日本を代表する映画会社の松竹の場合は、00年には同社の映画スタジオとして重要な存在であった大船撮影所を閉鎖。自社が映画製作を積極的に作ることによって発生するリスクを最小限に抑えることを一般化させるようになった。
テレビ局の場合も同様で、自らがテレビ番組を製作するリスクを負うことを嫌うようになった。番組製作会社に外注することが一般的で、低予算で作成した番組を放送するが、広告等から得られる収益は放送局のものとする。制作したテレビ番組の著作権は一般的に、資金を提供していることを根拠に、テレビ局がすべて握ってしまい番組製作会社には権利が残らない。
権利が番組製作会社に利益をもたらすことが基本的にないので、番組製作会社は自転車操業的に果てなく次の番組を作り続けなければならないという構造になっている。
テレビアニメーションの場合でも、まったく同じことが起きている。アニメーション製作会社は、テレビ局との関係では、圧倒的な不利な関係に置かれている。
基本的にテレビ番組は買い取りとなることが多く、現場で番組製作をしているスタッフにいくら、ブルーレイやグッズなどの収益が得られたとしても還元されることはない。テレビ局はテレビで放送したということだけで、一定の著作権を得て収益の分配を受けることができるが、資金力がなく資金を他社から得て開発しているアニメーション製作スタジオには、こうした資金が残らないことが多い。
■ゲームでも起こり始めた
ゲームは、比較的ここまで厳しい条件となっていないことが多かった。もちろん、コンテンツ配信サービスは、スマホについてはアップルとグーグルとに押さえられてしまっている。
両企業にとっては、どのゲームがヒットしようが関係なく、販売手数料として売上から3割を自動的に取られる。この金額が高すぎるという意見はゲーム会社側からは常に登場するが、すでに独占的なプラットフォームを築いている両企業に対抗する術がないため、この3割は飲まなければならない条件にすでになっているというのが実情だ。
しかし、問題は次の段階で、そのアップルやグーグルに手数料を取られた上で、さらにその上でゲーム販売を行うパブリッシャーの資本力に差がつき始め、さらにスマホゲームの成功かどうかのリスクが増してきたことで、過去に起きたような同じような構造化が始まっているのだ。
現在のように、資本力に差がつき始めると、自然と資金を提供する資本力のあるパブリッシャー側と、下請けとなるゲーム開発会社とでは、不利な契約を結ばされるケースが増えてきている。パブリッシャー側は資本を提供していることを根拠に、著作権などのすべての権利を自社側が持つという契約を押しつけるように変化しつつあるのだ。
パブリッシャーの優位性は、すでに過去に獲得しているユーザーだ。それらのユーザーにプロモーションをする力があるために、ゲームを開発する力はあっても、単独でプロモーションをしてヒットを生み出せない企業に比べて、優位性があるのだ。
先週紹介したように、開発費を削った上で、同時に、そのゲームの著作権は自社のものとして囲い込んでしまう。開発会社は、不利な条件とわかっていても、仕事を受けなければ自社の存続の危機に直面するという状態になっているため、その悪条件でも飲まなければならない状況に陥っている。
■パブリッシャーを中心に開発会社の系列化が進むだろう
ゲーム開発会社には、1本のゲームを完成させても、それで自社に開発したゲームの権利が残らない。開発費を自社で提供していないのだから当たり前だと、考える見方もあるだろうが、これは悪循環を生んでいく。開発会社は、常に開発資金を提供しているパブリッシャーに依存して開発をしていくしかなくなるのだ。
いつかは自社の独自コンテンツを開発したいという希望を持ちながらも、結局は、自転車操業状態になってしまうために、その希望はかなうことはない。事実上、パブリッシャーの下請けとして、厳しい経営条件の中で、次々にゲームを作り続けなければならず、ヒットしてもその状態から脱出できる可能性が低いという状態になってしまう。
好調と考えられているスマホゲーム関連の企業でも、かつて、映画やテレビ、アニメ業界と起きたことと同じ構造が誕生しようとしている。
資金を持つ一部の企業は、ポートフォリオを組み、いくつかのゲームを開発し、その中からヒットすることを狙える。リスクを減らすためには、できるだけ不利な条件を開発会社に押しつけることは合理的な判断だ。しかし、一部の上位企業だけが安定的な収益を確保し、リスクは開発会社が負うというのは、日本のコンテンツ産業が今まで歩んできた道を再び繰り返しているように見えてならない。
早晩、こうした不利な条件に置かれている企業のなかでは、行き詰まるゲーム開発会社がいくつも出てくることになるだろうと思っている。同時に、特定のゲーム会社は、特定のパブリッシャーに依存しなければならない系列化も自然と進んでくるだろう。こうした構造を自然と生みだしていくのは、日本文化特有の部分があるのではないかと、筆者は思っている。
□ご意見、ご質問をお送り下さい。すべてのご質問に答えることはできないかもしれませんが、できる範囲でメルマガの中でお答えしていきたいと思っています。連絡先は、sakugetu@gmail.com です。「新清士オフィシャルブログ」http://blog.livedoor.jp/kiyoshi_shin/ も、ご参照いただければ幸いです。
新 清士(しん きよし)
ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)名理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。日本経済新聞電子版での執筆、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
Twitter ID: kiyoshi_shin