主張

「屈辱」への怒り

県民の憤激 政府は聞かぬのか

 安倍晋三政権が先週末の22日、沖縄県民あげての反対を押し切って、米海兵隊普天間基地の「移設」を口実に名護市辺野古へ新基地を建設する埋め立てを申請したことに、怒りが広がっています。とりわけ安倍政権が一方で、沖縄が「屈辱の日」としてきたサンフランシスコ条約発効の4月28日を、「主権回復の日」として式典を開こうとしていることと重ね、3月22日は新たな「屈辱の日」だとの声も上がっています。埋め立て申請といい、「屈辱の日」の記念式典といい、県民の怒りは当然です。

「4・28」と「3・22」

 埋め立て申請の翌23日、沖縄県を訪問した山本一太沖縄担当相は、稲嶺進名護市長からは埋め立て申請について「県民を欺く手法。強権的だ」と批判され、仲井真弘多知事からは「主権回復の日」の記念式典について抗議されました。県民の声に耳を傾けようとしない安倍政権の度重なる暴挙に、県民の怒りは沸騰しています。

 文字通り県民の総意というべき反対を押し切り、米軍基地が集中する沖縄に新たな基地を押し付ける計画が暴挙であることは論をまちません。しかも安倍政権が突然持ち出した、沖縄にとっての「屈辱の日」に記念式典を開くという計画が反発を広げているさなかとなればなおさらです。

 安倍政権が「主権回復・国際社会復帰」の記念日として式典を準備している4月28日は、いまから61年前の1952年、アメリカなどとの「片面講和」でサンフランシスコ条約が発効した日です。日本は形のうえでは「独立国」となったものの、第2条C項で国際的な領土不拡大の原則に反してソ連が不当に占領していた千島列島を放棄し、第3条では沖縄を日本から切り離し、アメリカの支配下に置くことを認めました。

 しかも条約は第6条で外国の軍隊の駐留を認め、同時に発効した日米安保条約は、占領下と同じように米軍が日本に基地を置き、横暴勝手に行動することを認めたのです。安保条約は60年にも改悪されました。72年になってようやく日本に復帰した沖縄も、安保条約の下で異常な米軍基地の集中が続き、アメリカの出撃拠点としての役割を担わされています。

 沖縄県民が戦後久しく「屈辱の日」としてきた4月28日に記念式典を開くなどと言い出した安倍政権に、県民が不信を募らせているのは当然です。沖縄の基地問題も、この日を抜きに語れません。

 日米両政府が、市街地の真ん中にあり墜落など重大な事故の危険性が高い普天間基地の「撤去」と引き換えに、名護市辺野古への最新鋭基地の建設に固執してきたのも、沖縄を引き続き米軍の侵略拠点として使い続けるためです。アジア・太平洋戦争が終わってから70年近く、「講和」のための条約発効からだけでも60年以上たつのに、外国の軍隊のために基地を押し付られる屈辱は明白です。

国家と国民の主権が

 なにがなんでも「主権回復の日」を押し付け、国民が反対しても米軍基地の強化を続ける安倍政権の態度は、国家の主権とともに国民の主権をも脅かすものです。本当に「主権回復」をいうなら、外国の軍隊を日本に駐留させている日米安保条約を廃棄し、外国の軍事基地や軍隊を日本から撤去させることこそ政府の責任です。