主張
安倍首相歴史発言
世界に逆らいどこへ行くのか
安倍晋三首相が政権発足直後の昨年末、産経新聞とのインタビューで、戦前の日本の「植民地支配と侵略」を反省した1995年の村山富市首相(当時)の「談話」や、いわゆる「従軍慰安婦」問題について謝罪した93年の河野洋平官房長官(同)の「談話」について見直しを示唆したことに、内外で批判の声が上がっています。アメリカの新聞ニューヨーク・タイムズ3日付は、「韓国との緊張をかきたて、協力をさらに困難にするような深刻な間違いで、在職期間を開始したいと思っている」と批判する社説を掲載しました。
国際的に通用しない
安倍氏は、戦前の日本の侵略戦争を美化し、靖国神社に合祀(ごうし)された「A級戦犯」も「国内法では戦犯ではない」などの発言を重ねてきた、根っからの「靖国派」です。いわゆる「従軍慰安婦」問題でも、「(家の中に踏み込んで無理やり連れ出すような)狭義の強制性はなかった」などといい逃れて、一貫して「謝罪」の見直しを主張してきました。
「村山談話」は、戦後50年目にあたり村山首相が閣議決定を経て発表したもので、「国策を誤り、植民地支配と戦争によってアジア諸国民に多大の損害と苦痛を与えた」と「おわび」を表明したものです。日本が侵略戦争と植民地支配の責任を認め反省することは、戦後日本が国際社会の仲間入りをするための前提です。安倍氏が「村山談話」を見直し、「21世紀にふさわしい未来志向の安倍内閣としての談話を発出したい」と口にすること自体、国際社会を裏切るものだと取られるのは免れません。
安倍氏が「村山談話」を破棄するといわず新しい「安倍談話」を出すといっているのは、「村山談話」が閣議で決定されているからというだけのごまかしであり、安倍氏の発言の危険性は明らかです。
他方、安倍氏が「河野談話」について、「狭義の強制性はなかった」と批判し、変更の意向を隠していないのは、「河野談話」が閣議で決定されていないというだけが根拠です。しかし、「河野談話」は当時の政府(宮沢喜一政権)あげての「従軍慰安婦」問題の調査にもとづくもので、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」などと認めています。「狭義の強制」などというごまかしで、当時の政府や軍が行った強制の事実は否定できません。
安倍氏自身、第1次政権を担当した2007年3月、「狭義の強制性」を否定する答弁書を閣議決定したため、内外からきびしい批判をあび、訪米などのさい、「河野談話」の継承を約束しなければなりませんでした。一部の「靖国派」有識者がその後も米紙に強制連行を否定する意見広告を載せたため、アメリカ、オランダ、カナダ、EU(欧州連合)などの議会で非難決議が採択され、日本が孤立する事態に追い込まれました。
世界から孤立招くだけ
安倍氏の「産経」インタビューを批判したNYタイムズ社説は、「犯罪を否定し、謝罪を薄めようとするいかなる試みも、日本の野蛮な戦時支配を受けた、韓国、さらには中国とフィリピンを激怒させる」と指摘しています。
歴史と世界に逆らう妄言がアジアだけでなく世界から批判されることを安倍氏は自覚すべきです。