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戦争の遺跡・資料館―実相を消さず伝える努力こそ
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戦争の遺跡・資料館―実相を消さず伝える努力こそ

2014-08-27 10:38

    主張

    戦争の遺跡・資料館

    実相を消さず伝える努力こそ

     敗戦から69年が過ぎ、戦争体験者の高齢化がすすみ、悲惨な体験を語ることができる人が少なくなっています。一方で、再び「戦争する国」に向けた動きが強まるなか、重い口を開き始めた人たちもおり、痛苦の体験を語る人たちの証言を文書や映像などで記録・保存することが急がれます。

     戦争の実態を“物的に証言”する遺跡や遺品、資料を展示・公開する資料館などの役割も注目されます。惨禍の実相を伝える戦争遺跡などを保存・活用し、「平和を発信する遺産」として次世代に引き継ぐことが必要となっています。

    平和の発信に貢献

     戦争遺跡は、主に1894年開戦の日清戦争前後から1945年のアジア・太平洋戦争終結頃まで、旧日本軍の司令部跡や壕(ごう)などの軍事施設や軍需工場の跡、戦争で被害を受けた建物などを指し、日本国内に約3万カ所あるといわれています。世界遺産にも登録された広島の原爆ドームが有名です。

     「戦争遺跡保存全国ネットワーク」など各地の平和や歴史教育にかかわる団体などの保存を求める運動が広がっていますが、国と地方自治体によって保護されているのは約200カ所です。継承の弱まりや施設の老朽化、再開発などによって姿を消してしまう例も少なくありません。遺品の散逸も心配されています。

     川崎市の明治大学構内にある旧陸軍登戸研究所も長く埋もれていましたが、地元高校生や市民の掘り起こしによって戦前戦中の実態に光があたり、大学が建物保存と資料館建設を決めました。

     日本の侵略を謀略戦の側面から明らかにする建物や資料の数々は平和を発信するうえで貴重な役割を果たしています。地域に残る戦争の傷痕をとどめ、戦争を繰り返さないための「財産」にしていく取り組みが大切です。

     そのためには戦争遺跡の歴史的背景や事実が正確に伝えられる必要があります。第2次大戦末期に建設された長野市の「松代大本営地下壕」の説明文で、朝鮮人労働者の動員について「強制的に」の文字がテープなどで隠されたことが最近問題になりました。多数の朝鮮人労働者を強制的に連行した事実を隠すようなことは、戦争遺跡のもつ意味を損なうものです。

     自治体が設置した戦争資料館で、日本の加害責任の展示を後退させる動きがあることも見逃せません。昨年新装した埼玉県平和資料館では年表から「南京大虐殺」「慰安婦」などの記述がなくなりました。8月末で一時閉館し来春新装する大阪府の「ピースおおさか」では、日本の中国侵略や朝鮮の植民地支配などの展示を変更・見直す方向が検討されているため、府民らから「加害の事実を隠してはならない」との声があがっています。

    加害の過去を直視して

     日本の侵略と植民地支配がアジアの人たちに多大な被害をもたらした事実をゆがめることは、現在と未来にも目をつむるものです。アジアや世界の国々との友好の発展のうえでも重大な妨げです。

     侵略戦争と植民地支配に無反省な安倍政権が「戦争する国」へ暴走するもと、戦争の実相を次代に継承することがいよいよ重要です。戦争体験者が人口の約2割へ減少するなか、戦争の記憶をしっかりとどめ、二度と戦争を起こさない力にすることが求められます。

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