翁長知事は冒頭の意見陳述で、この裁判で問われるのは取り消しの是非に加え、沖縄への過剰な基地負担や地方自治・民主主義のあり方であり、「国民すべてに問いかけたい」と強調。裁判長へは、「沖縄・日本の未来を切り拓(ひら)く判断をお願いします」と訴えました。
米軍基地問題で、国が沖縄県を提訴した裁判は、1995年に大田昌秀知事(当時)が米軍用地の強制使用に必要な代理署名を拒否し、国が訴えた「代理署名訴訟」以来、20年ぶりです。
原告の石井啓一国土交通相は、翁長知事の取り消し処分の撤回を求めています。昨年の一連の選挙で示された新基地反対の圧倒的な民意の実現を進める翁長県政に対し、これを「法の乱用」による違法な手段で踏みにじる安倍内閣を司法がどう裁くかが問われます。
翁長知事は、戦後70年間続く沖縄の基地問題の原点が米軍による土地の強制接収であり、「今度は日本政府によって、『海上の銃剣とブルドーザー』を彷彿(ほうふつ)させる行為で、耐用年数200年ともいわれる基地が造られようとしている。米軍施政権下と何ら変わらない」と国を厳しく批判。「日本には、本当に地方自治や民主主義は存在するのか。今の日米安保体制は正常といえるのか」と訴えました。
国側からは、法務、防衛、国交の各省担当者らが出廷し、翁長知事の取り消しは最高裁判決の要件を満たさず違法だとして速やかに代執行を認めるよう主張しました。
裁判長は、第2回口頭弁論を1月8日、第3回を同29日に開くことを決定。第3回までに争点を整理し、証人の採否についても決める方針を示しました。
翁長知事は弁論終了後の会見で、国の姿勢について「強権的な『辺野古唯一』があらわれている」と指摘。自らの意見陳述については、「思いは伝えられた」と手ごたえを語りました。
県の代理人を務める加藤裕弁護士は会見で、高裁の姿勢を「中身を審理しようということだ」と述べ、一定の評価を示しました。松永和宏弁護士は、国の弁論が質問のすり替えや抽象論に終始したことをあげ、実質的な弁論にしていくことが今後の課題だと指摘しました。
翁長知事の冒頭意見陳述
2日、福岡高裁那覇支部で開かれた辺野古代執行訴訟の第1回口頭弁論での翁長雄志沖縄県知事の冒頭意見陳述(全文)は、以下の通りです。沖縄県知事の翁長雄志でございます。
本日は、本法廷において意見陳述する機会を与えていただきましたことに、心から感謝申し上げます。
私は、昨年の県知事選挙で「オール沖縄」「イデオロギーよりアイデンティティー」をスローガンに、保守・革新の対立を乗り越えて当選を致しました。
本件訴訟の口頭弁論にあたり、私の意見を申し上げます。
歴史的にも現在においても沖縄県民は自由・平等・人権・自己決定権をないがしろにされてまいりました。私はこのことを「魂の飢餓感」と表現しています。政府との間には多くの課題がありますが、「魂の飢餓感」への理解がなければ、それぞれの課題の解決は大変困難であります。
簡単に沖縄の歴史をお話ししますと、沖縄は約500年に及ぶ琉球王国の時代がありました。日本と中国・朝鮮・東南アジアを駆け巡って大交易時代を謳歌(おうか)しました。琉球は1879年、今から136年前に日本に併合されました。これは琉球が強く抵抗したため、日本政府は琉球処分という名目で軍隊を伴って行われたのです。併合後に待ち受けていたのが70年前の第2次世界大戦、国内唯一の軍隊と民間人が混在しての凄惨(せいさん)な地上戦が行われました。沖縄県民約10万人を含む約20万の人々が犠牲になりました。
戦後は、ほとんどの県民が収容所に収容され、その間に強制的に土地を接収され、収容所からふるさとに帰ってみると普天間飛行場をはじめ米軍基地に変わっていました。その後も、住宅や人が住んでいても「銃剣とブルドーザー」で土地を強制的に接収されました。
1952年、サンフランシスコ講和条約による日本の独立と引き換えに、沖縄は米軍の施政権下に置かれ、日本国民でもアメリカ国民でもない無国籍人となり、当然日本国憲法の適用もなく、県民を代表する国会議員を一人も国会に送ったことはありませんでした。犯罪を犯した米兵がそのまま帰国することすらあった治外法権ともいえる時代でした。ベトナム戦争の時は沖縄からB52爆撃機の出撃をはじめいろいろな作戦が展開されており、沖縄は日米安保体制と、日本の平和と高度経済成長を陰で支えてきたわけです。
しかし、政府は一昨年、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」として式典を開催し、そこでは万歳三唱まで行われたのです。沖縄にとっては悲しい、やるせない式典でした。まったく別々の人生を歩んできたような気がします。
1956年、米軍の施政権下で沖縄の政治史に残ることが起きました。プライス勧告といって、銃剣とブルドーザーで強制接収した土地を、実質的な強制買い上げをするという勧告が出されました。当時、沖縄は大変貧しかったので喉から手が出るほどお金が欲しかったはずですが、県民は心を一つにしてそれを撤回させました。これによって、基地のあり方に、沖縄の自己決定権を主張できる素地がつくられ、私たちに受け継がれているのです。
沖縄が米軍に自ら土地を提供したことは一度もありません。そして戦後70年、あろうことか、今度は日本政府によって、海上での銃剣とブルドーザーを彷彿(ほうふつ)させる行為で美しい海を埋め立て、私たちの自己決定権の及ばない国有地となり、そして、普天間基地にはない軍港機能や弾薬庫が加わり、機能強化され、耐用年数200年ともいわれる基地が造られようとしています。今沖縄には日本国憲法が適用され、昨年のすべての選挙で辺野古新基地反対の民意が出たにもかかわらず、政府は建設を強行しようとしています。米軍基地に関してだけは、米軍施政権下と何ら変わりありません。
米軍施政権下、キャラウェイ高等弁務官は沖縄の自治は神話であると言いましたが、今の状況は、国内外から日本の真の独立は神話であると思われているのではないでしょうか。
辺野古新基地は、完成するまで順調にいっても約10年、場合によっては15年、20年かかります。その期間、普天間基地が動かず、危険性が放置される状況は固定化そのものではないでしょうか?
本当に宜野湾市民のことを考えているならば、前知事の埋め立て承認に際して、総理と官房長官の最大の約束であった普天間基地の5年以内の運用停止を承認後着実に前に進めるべきではなかったでしょうか。しかし、米国からは当初からそんな約束はしていない、話も聞いたこともないと言われ、前知事との約束は、埋め立て承認をするための空手形ではなかったのか、それを双方承知の上で埋め立て承認がなされたのではないか、いろいろな疑問が湧いてきます。
日本政府に改めて問いたい。普天間飛行場は世界一危険だと、政府は同じ言葉を繰り返しているが、辺野古新基地ができない場合、本当に普天間基地は固定化できるのでしょうか。
次に基地経済と沖縄振興策について述べたいと思います。
一般の国民もそうですが、多くの政治家も、「沖縄は基地で食べているんでしょう。だから基地を預かって振興策をもらったらいいですよ」と沖縄に投げかけます。この言葉は、「沖縄に過重な基地負担を強いていることへの免罪符」と「沖縄は振興策をもらっておきながら基地に反対する、沖縄は甘えるな」と言わんばかりです。これくらい真実と違い沖縄県民を傷つける言葉はありません。
米軍基地関連収入は、終戦直後にはGDPの約50%。基地で働くしか仕方がない時代でした。日本復帰時には約15%、最近は約5%で推移しています。
経済の面では、米軍基地の存在は今や沖縄経済発展の最大の阻害要因になっています。
例えば、那覇市の新都心地区、米軍の住宅地跡で215ヘクタールありますが、25年前に返還され、当時は軍用地料等の経済効果が52億円ありました。私が那覇市長になって15年前から区画整理を始め、現在の街ができました。経済効果としては52億円から1634億円と32倍、雇用は170名程度でしたが、今は1万6千名、約100倍です。税収は6億から199億円と33倍に増えています。
沖縄は基地経済で成り立っているというような話は今や過去のものとなり完全な誤解であります。
沖縄は他県に比べて莫大(ばくだい)な予算を政府からもらっている、だから基地は我慢しろという話もよく言われます。年末にマスコミ報道で沖縄の振興予算3千億円とか言われるため、多くの国民は47都道府県が一様に国から予算をもらったところに沖縄だけさらに3千億円上乗せをしてもらっていると勘違いをしてしまっているのです。
沖縄はサンフランシスコ講和条約で日本から切り離され、27年間、各省庁と予算折衝を行うこともありませんでした。ですから日本復帰に際して沖縄開発庁が創設され、その後内閣府に引き継がれ、沖縄県と各省庁の間に立って調整を行い沖縄振興に必要な予算を確保するという、予算の一括計上方式が導入されたのです。沖縄県分は年末にその総額が発表されるのに対し、他の都道府県は、独自で予算折衝の末、数千億円という予算を確保していますが、各省庁ごとの計上のため、沖縄のように発表されることがないのです。
実際に、補助金等の配分額でみると沖縄県が突出しているわけではありません。例えば、地方交付税と国庫支出金等の県民1人あたりの額で比較しますと沖縄県は全国で6位、地方交付税だけでみると17位です。
都道府県で国に甘えているとか甘えていないとかと、いわれるような場所があるでしょうか。残念ながら私は改めて問うていきたいと思います。沖縄が日本に甘えているのでしょうか。日本が沖縄に甘えているのでしょうか。ここを無視してこれからの沖縄問題の解決、あるいは日本を取り戻すことなど、できないと断言します。
沖縄の将来あるべき姿は、万国津梁(ばんこくしんりょう)の精神を発揮し、日本とアジアの架け橋となること、ゆくゆくはアジア・太平洋地域の平和の緩衝地帯となること。そのことこそ、私の願いであります。
この裁判で問われているのは、単に公有水面埋立法に基づく承認取り消しの是非だけではありません。
戦後70年を経たにもかかわらず、国土面積のわずか0・6%しかない沖縄県に、73・8%もの米軍専用施設を集中させ続け、今また22世紀まで利用可能な基地建設が強行されようとしています。
日本には、本当に地方自治や民主主義は存在するのでしょうか。沖縄県にのみ負担を強いる今の日米安保体制は正常といえるのでしょうか、国民の皆さますべてに問いかけたいと思います。
沖縄、そして日本の未来を切り拓(ひら)く判断をお願いします。