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【第159回 芥川賞 候補作】『風下の朱』古谷田奈月
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【第159回 芥川賞 候補作】『風下の朱』古谷田奈月

2018-07-11 13:00
     我が明水(めいすい)大学野球部の、私はその年唯一の新入部員だった。新入生獲得のためにサークル棟からわっと飛び出してきた上級生たちが、まるで四月の熱気そのもののように構内に渦巻いていた頃、やはり同じ目的で構内をうろついていた侑希美(ゆきみ)さんに誘われたのだ。
     でも彼女の現れ方は、渦巻く熱気というより逃げ水だった。さらりと、気付いたらそこにいた。
    「あなたって健康そう」目が合うとそう言って、侑希美さんはあどけない笑みを浮かべた。
     足を止め、私は軽く周囲を見回した。昼時ということもあり、大学生協の前は学生たちの往来で賑わっていたが、健康そう、と彼女が評した人物は確かに私のようだった。正直なところ、なぜこの時点でそう思われたのかよくわからない。私の健康さは、たぶん、入部してから培われていったものだった。
     しかし侑希美さんは眼力に自信を持っている様子で、「ね、新入生だよね」と言葉を継ぎながら近付いてきた。幼い顔立ちと、重く見えるのに軽く跳ねるウェービーヘア、ふわりと広がった菜の花色のフレアスカートに見とれて私は立ちつくした。きれいに編み込まれた前髪は、花かんむりを飾っているように見えた。「新入生で、野球経験者。でしょ?」
     陽光を含んで輝いた瞳に見つめられ、私は黙って頷いた。部活かサークルの勧誘だとすぐ察したが、これまでずっとそれを避けてきたことなど、もう考えられなくなっていた。目の前までやって来た彼女に、断りもなく手を握られたのだ。もともと、私は人に触れられるのが好きじゃなかった。母親の指がちょっと腕に触れるだけでも抵抗があった。初対面の相手となるとなおさらだったが、相手の手つきは当然その権利があると言わんばかりだったし、上級生への遠慮もあって、そこではただされるままになっていた。
    「やっぱりね」侑希美さんは私の手を開き、繰り返し皮が剝けて固くなった皮膚に、満足げに自分の指先を沿わせた。「健康な子と野球経験者はすぐわかる。打順は? 高校ではどこ守ってた?」
     その質問か、侑希美さんから漂ってくる花蜜の匂いか、読み込むように私の手を撫でる彼女の指の感触か、まずそのどれに意識を集中するべきか迷っていると、「ごめんね、いきなり」と背後から新しい声が来た。
     振り返った先には、生協から出てきた二人連れの姿があった。長身でベリーショートのほうが杏菜(あんな)さんで、ボブのほうが潤子(じゅんこ)さんだと、あとでわかるがそのときには侑希美さん同様まだ名前も知らない二人が、こちらを見て苦笑しているのだった。
    「急に声をかけられたでしょう」と、さっきと同じ声で潤子さんが言った。「びっくりさせてごめんね。その人、うちの部長なの。焦ってるのよ、ちっとも部員が集まらないんで」
    「いい選手しか欲しくないだけ」侑希美さんはそう言うと、発掘したての貴重な鉱石を披露するように私を二人に紹介した。「見て、この子。かっこいいでしょう」
    「ごめんね」と潤子さんはもう一度謝り、「気に入らなかったら引っぱたいていいんだよ」と杏菜さんは顎をしゃくって笑った。
     侑希美さんは杏菜さんに挑発的な笑みを向け、「二番ファースト」と叩きつける感じに言った。それから潤子さんを見て、「三番サード」
     最後に、再びこちらに向き直り「四番キャッチャー」と告げた。その声色が明らかに名乗りのそれだったので、ようやく、私は彼女が部員紹介をしているのだと気が付いた。私はまた侑希美さんに握られることのないよう、ジーンズの尻ポケットに手を突っ込み、三人の先輩たちを眺めた。明かされた打順と守備位置を名前がわりに、二番ファースト、三番サード、と胸の内で呟きながら見つめると、杏菜さんは実に二番ファースト、潤子さんは実に三番サードといった雰囲気だった。
     それに引き替え、四番キャッチャー、この人は違和感に満ちていた。可憐さの中に荒々しさを潜ませる彼女は、私の知るほかの誰とも違って見えた。そしてまた、私の知るどの四番とも、どのキャッチャーとも違うのだった。目に映る侑希美さんの姿と四番キャッチャーというポジションを結びつけることは、私が彼女から押し付けられた第一の難題だった。
     八番ライトの間違いではと、私は彼女を眺めながらまずそう思った。あるいは七番ショート。九番ピッチャー。百歩譲って四番としても、サードがせいぜい──というのは、キャッチャーの必需品であるあの筋肉という厚い鎧を、侑希美さんはほんの少しも身につけていなかったのだ。守備中、一人黙々とスクワット運動をし続けているに等しいキャッチャーが、剛球を時に体で受け止めるキャッチャーが、走者を刺すべくホームから二塁へと鉄火の送球を撃ち込まねばならないキャッチャーが、これほど華奢でいられるわけがなかった。それに、あの手──強張ったこちらの手に対し、なんと柔らかかったことか。
     目で侑希美さんの体を一巡し、最後に視線を合わせたところで、彼女はもう一度名乗った。「四番。キャッチャー」
     こちらの疑念を見通しているとわかる、戦意の滲んだ声だった。私は思わず笑みを浮かべた。もっとよく見ろと明らかにそう求めている彼女の不敵な立ち姿に、走者を待ち受ける捕手の貫禄が確かにあったのだ。この立ち姿ならよく知っていた。何がなんでも一塁に出、二塁三塁を盗み取り、捕手というこの最後の砦を破ってホームに帰ることが、私の長年の任務だったのだから。
     私は尻ポケットに両手を突っ込んだまま、できる限り不遜に、できる限り油断ならない走者に見えるよう気遣いながら名乗った。「一番セカンド」
     ぱっと見開かれた侑希美さんの目に、強い期待の色が躍った。こちらの虚勢になど気付いてもいない様子だった。「一番セカンド! 足が速いんだ!」
     我ながら単純だとは思ったが、まあ、と答えながら私ははにかみ、うつむいた。セカンドという地味なポジションについてきた私にとって、一番打者であるということ、ただ打順を明かすだけで俊足巧打をほのめかせることは、選手としての自信を保つ上で何より重要な一事だったのだ。
    「野球歴は? 何年? 高校の三年間?」侑希美さんは上機嫌に尋ねた。
    「いえ、六年。中学からなので」
    「完璧だね」
    「でもあの、野球じゃなくて、ソフトボールですけど」
     杏菜さんと潤子さんが、そこでカラッと笑い声をあげた。咄嗟に反感をおぼえたが、二人が笑ったのは私ではなかった。潤子さんはからかいと警戒の入り交じった目で侑希美さんを見つめ、杏菜さんは意味深に侑希美さんの腕を叩き、侑希美さんは苦笑いでその手を払った。
    「それで? 大学でもソフトボールを続けるの?」
    「ソフトボール部の見学に行ってみた?」侑希美さんの質問に答える前に、潤子さんが質問を重ねた。「結構強いのよ、うちのソフト部」
    「うちの(傍点)ソフト部ってどういう意味?」
    「うちの大学のソフト部って意味」刺々しく投げかけられた侑希美さんの問いに、潤子さんは真顔で答えた。「ほかに何があんのよ」
    「あの、私、ソフト部の見学には行ってないです」私はやんわりと口を挟んだ。「今のところ、行くつもりもないです。大学では、何か別のことを始めてみようと思ってたから」
    「一番セカンド!」再び目を輝かせ、侑希美さんは私の肩に腕を回した。「じゃあ私たちと野球しようよ。今日から野球選手になろうよ。ね、いいでしょ?」
     無理強いしない、と潤子さんはたしなめたが、いいでしょ、いいでしょ、と侑希美さんは私にずっしりと体重を預けた。私はどうすべきかわからなかったが、今だやれ、一番セカンド、と杏菜さんに明るくけしかけられたらなんだか妙に可笑しくなって、大笑いしてしまった。先輩たちの勢いと四月の陽射しに浮かされ、大学に入学して初めて、声をあげて笑ったのだった。
     その後、誘われるまま、知り合ったばかりの彼女たちと一緒に昼食を摂った。杏菜さんは中庭の真ん中にあと五人は座れそうな大きなレジャーシートを広げ、潤子さんはみんなの靴を重しがわりにシートのふちに置き、侑希美さんはその真ん中にふわりと座って、買ってきたばかりのお弁当やお菓子を広げた。少し風が強すぎたが、ご飯に砂がかかろうと髪が乱れようと先輩たちは気にせず、間断なくお喋りに花を咲かせた。
     そのお喋りの中で初めて、私は野球部のメンバーがここにいる三人だけだということを知った。しかも正式な部として大学から認められておらず、サークル申請さえ出していない。要はメンバーたちがただそう呼んでいるだけの集まり、それが明水大学野球部だったのだ。しかし、そのぶん夢は大きく、杏菜さんと潤子さんは卒業までに部員を集めて大学の認可を得たいと願っていたし、侑希美さんは一刻も早く公式戦に出たがっていた。できれば翌春のリーグ戦にエントリーしたい、その翌年には全国大会まで進みたい。二人の仲間に笑われながら、彼女はまっすぐに夢を語った。
     選手としての話題は、その後、観戦者としての話題へ移った。少し意外だったのは、彼女たちが開幕したばかりのペナントレースの話も、BCリーグの話もせず、社会人野球の話ばかりし続けたことだった。三人は自動車メーカー・蓮岡(はすおか)技研工業による野球チーム、ハスオカ硬式野球部を応援していて、これは県内に本拠地を置く唯一の企業チームだから今日からでもファンになるべきだ、と私にも熱くすすめてきた。
     そのチームの中でも、侑希美さんは特に三波(みなみ)という投手に入れ込んでいるようだった。「三波が奪う見逃し三振は──」と彼女は日の光のように顔を輝かせて語った。「日本で観測できる中で、一番神秘的な自然現象よ」
     私はハスオカの三波どころか社会人野球がどういう流れで動き、全国にいくつ企業チームがあるかも知らなかったので、三人が先日観たという試合の話にそんな私への講義も加わり、昼食の席はうんと賑やかになった。
     午後の授業が始まる五分前になったところで、私たちは慌てて片付けを始めた。強い春風はビニール袋を吹き飛ばし、レジャーシートさえさらいかけたが、杏菜さんと大笑いしながらそれをたたむ侑希美さんのフレアスカートは不思議と静かで、彼女の白いふくらはぎをちらりと覗かせただけだった。
     その白さに目を奪われた一瞬、横殴りの、ひときわ激しい風に全身を打たれた。目が合うと、髪に隠れてほとんど見えなくなった顔に、侑希美さんは笑みを浮かべたようだった。
     あれはその侑希美さんから始まったことだったろうか。それぞれの教室へと散りながら、私たちはようやく本当に名乗り合ったのだ。強風の中、まるでボール回しのように、一人一人の名が順に仲間に投げ渡された──侑希美、杏菜、潤子、梓(あずさ)。


     大学では何か別のことを始めてみようと思っていた、というのは事実だった。中学、高校の六年間を、私はソフトボールに捧げてきた。休日返上の練習、休暇返上の合宿、すべてを懸けた地区大会と、汗と涙と叱咤激励。そんなことが長らく私の日常で、スポーツはいわば私の少女時代を象徴するものだった。だから大学では、その少女時代と訣別するという意味で、一人だけで何かに打ち込んでみるつもりだったのだ。カメラを始めてみるとか、文学全集に手を付けてみるとか、とにかく何か新しいことに。
     サークルや部活の勧誘から逃げていたのもそのためで、運動系のグループは特に意識的に避けていた。高校を卒業する前、一足先に大学生になった先輩がひょっこり部室に顔を出して色々と教えてくれたことがあり、それにもおおいに影響を受けていた。先輩によると、大学というのは高校とはずいぶん様子が違い、同期入学者でも年齢はバラバラ、年上の相手とも同じ立場で話すのがマナーで、そのマナーはときに上級生にも適用される。つまり大学で重視されるのは個人のあり方であって、部活内のような上下関係をあんまり尊んでいると、幼稚で野蛮な人間と見なされるということだった。
    「みんなはこの高校で、チームプレーがいかに大切かを学んで──」と先輩は語った。「大学では、自分自身を見つめることがいかに大切かを学ぶことになると思う。孤独を知って、味方につけて、もっとタフになれると思う」
     練習用ユニフォームを泥だらけにした後輩たちを見回し、私みたいに、と先輩は結んだ。留学を目前に控え、自分のルーツを一つ一つ巡っているところだという先輩は、私たちのチームにいた頃よりはるかに勇ましく、美しかった。
     その勇ましさと美しさに、私は憧れた。先輩は留学だったが、そのときの私は引退試合となる夏の大会を目前に控え、ルーツより未来に関心があった。戦い抜いたその先を見通したいときだった。先輩はまさにそれを示してくれたのだ。
     私の憧れは、しかし偽物だったのだろうか。憧れたつもりでいて、実は変化を恐れていたのだろうか。あるいは、東京の大学に進んだ先輩に対し私は地元の群馬から出なかったことと、何か関係があったのだろうか。侑希美さん、杏菜さん、潤子さんの振る舞いはあの日先輩が教えてくれたような大学生像の逆を行っていたが、むしろそのために私は彼女たちに惹かれた。下級生を前にした上級生特有のどこか見世物じみたやり取り、そのやり取りから漂う底意の匂い、ふんわりとした威圧感──そのすべてが私をまるで家にいるような心地にさせ、上下関係など尊ぶべきではない、大学生にもなって、という自制心を逆に制してしまったのだ。滞留でも退行でも、安らげるなら構わなかった。
     野球部の練習場は、講義棟の建ち並ぶ一帯の、並木道を挟んだ反対側に隠れていた。そちら側が運動場になっているのは知っていたが、講義棟のほうから眺めるぶんには陸上競技場とテニスコートしか見えなかったので、その奥に練習場があると教えられたときには驚いた。隠れている。すぐにそういう印象を持ち、なぜか胸がざわめいた。
     中庭でともにお昼を食べ、名乗り合った日の午後、先輩たちに連れられて私はさっそくその練習場に向かった。右手に六面、左手に四面と贅沢に広がるテニスコートのあいだに通る、ところどころ木洩れ日の落ちた小道を、テニス部員たちを眺めながら歩いた。昼食のときと違って会話はあまりなかったが、ラケットを振るテニス部員たちの動き、軽くて重いストロークの音が心地良く、私には楽しい道行きだった。そこにスポーツがあるだけで、心も、体もはしゃぎ出すというこのごく単純な現象は、大学生になったら変わらなければならないと思い込んでいた私にとって、単純なぶんだけ重要なことに思われた。
     そうしてテニスコートを抜け、眼前に現われた野球場は、まさに壮観と呼ぶにふさわしい佇まいだった。塀の上に取り付けられた銀色のネットフェンスが天を覆わんばかりに広がり、神話に由来する地ででもあるかのように堅固に、恭しく野球場を守っていた。一瞬、スタンド席があるのかと錯覚したほど広大なグラウンドは、遠目にも上質なものとわかる芝と黒土で覆われていた。そして、その黒土を霧のように舞い踊らせ、かけ声を高く響かせながら、揃いの赤いアンダーシャツを着た選手たちが守備練習に励んでいた。丸い体をしたノッカーは、ゴロにフライにライナーにと自在に打球を繰り出しながら、誰よりも威勢のいい声を出していた。
     私は熱いため息をついた。ネットフェンスも黒土も、天然芝も選手たちも、その野球場に属するすべてが美しく見えた。今日からここをホームと呼べるのだと思うと嬉しくてたまらず、優に二十人はいるこの赤いアンダーシャツの選手たちがいったい何者なのか──野球部員は全員ここに揃っているはずなのに──ということに、なかなか思い至らなかった。
     そんなとき、おどけた口調で杏菜さんが言った。「部長、一年がソフト部に見とれてまあす」
     それを聞き、私はようやく自分が何を目にしているかを理解した。あまりにも見慣れていて違和感を持てなかったが、よく見れば、選手たちが投げたり捕ったりしているボールは野球のものよりもずっと大きいのだった。
     自分の目の中で野球場がソフトボール場へ、赤いアンダーシャツの選手たちが野球選手からソフトボール選手へと完全に姿を変えてから、私は前を歩く侑希美さんに視線を移した。杏菜さんの告げ口を受け、振り返るところだった。
    「ソフト部はね。金も部員も持ってるけど、ついでに病気も持ってるから」侑希美さんはそう言った。並んで歩いていた杏菜さんと潤子さんが、私のうしろでフンと笑ったが、「だからここを通るときには、風向きに注意して」と侑希美さんは構わず続けた。「こっちから向こうに吹く風はいいの。今みたいにね。でも逆はだめ。連中の風下に立たないで。もしあいつらから吹く風に当たっちゃったら、まずダッシュよ。五百メートルダッシュ。それから熱いシャワーを浴びる」
     どっちがビョーキなんだか、と潤子さんが呟き、杏菜さんが笑う声が、またうしろから来た。私は振り返って困惑の笑みを浮かべ、そうすることで「病気」の解説を求めた。はっきり尋ねてしまうこともできたが、上級生が下級生に学ばせたいことというのはいずれも、口に出して聞いてほしいこと、自分たちが言い出すのを待っていてほしいこと、黙って察してほしいことの三種に分けられるのを私は知っており、このときの話題は少なくとも一番目には該当しないような気がしたのだった。そして、私の無言の問いがそっと無視されたことからいって、二番目でもないようだった。
     私は侑希美さんがもうこちらを見ていないことを確認してから、あらためてソフト部員たちを見た。その頃にはいくらか後方に退いていたソフトボール場の上で、彼女たちは赤く躍動していた。小気味良い打球音が空へ放たれると、彼女たちの声もそれを追い、セカーン、と高く舞い上がった。
     ソフトボール場を過ぎると道はだんだんと獣道のようになり、やがて完全な草むらに成り果てた。早くも夏めいた陽射しに頭を焼かれていたせいか、私はまるで夢へと渡るような心地でその草むらを歩いた。このまま進んでも野球場になど永遠に辿り着かない、とそうして歩きながらなぜか確信したが、ソフトボール場から離れるほどに気持ちは高ぶり、目の前で揺れる侑希美さんの黄色いフレアスカートをガイドの手旗のように見つめて進んだ。行ったことのない場所に行けることだけは確かだった。
     野球場には辿り着かない、という私の予感は半分だけ当たっていた。不意に尽きた草むらの先に、まるで青草の海に浮かぶ小島のようにぽっかりと現われたのは、バックネットもダートサークルもピッチャーマウンドもない、野球場にはとても見えない空き地だった。それでも、朽ちる寸前のいびつなフェンスにどうにか外縁を辿らせることで何らかの場所であることは示していたし、野球部員を名乗る先輩たちが練習の準備を始めた以上、少なくとも、彼女たちがいるあいだは野球場であるはずだった。フェンスの向こう側には、田植え前の寂しい田んぼがどこまでも広がっていた。
     グラウンド上には今にも消えそうな白線でダイヤモンドらしき四角形が描かれており、三塁側には錆びたベンチが、一塁側には、やはり屋根の錆びたプレハブ小屋がぽつんと佇んでいた。先輩たちは揃ってその小屋に入っていき、練習着に着替えてまた出てきた。ソフト部のような揃いのユニフォームではもちろんなく、三人とも私物の機能性シャツにジャージという格好で、侑希美さんの黒い野球帽だけが唯一野球部らしさを醸し出していた。
     その野球帽の下からふんわりした三つ編みを二つ下ろして肩のあたりで揺らしながら、侑希美さんは私にグラブを放ってよこした。「スパイクもあるけど」
    「いえ、平気です」グラブを受け取り、答えた。チノパンにスニーカーと、その日は軽い運動ならば問題のない服装だった。もっとも、私はスカートを一枚も持っていなかったので、毎日似たり寄ったりの格好だったが。
    「まあ、今日は慣らし(傍点)だから。激しいことはやらないようにする」そう言いながら侑希美さんはバットを肩に置き、練習用の硬球がいっぱいに入ったオレンジ色のボールケースを足で引き寄せた。「とりあえず、これまでどおりの守備位置についてごらん」
    「見て、梓。ここが一塁だよ」その声に振り返ると、薄汚れたベースを持った杏菜さんが、私のいるバッターボックスのあたりから三十メートルほど離れた場所に立っていた。
    「遠い!」心底ぎょっとして、思わずそう叫ぶと、「十メートル近く違うからね」と潤子さんが三塁にベースを置きながら言った。「ソフトボールに慣れてると、びっくりするよね」
     私は一塁に向かってゆっくりと駆けた。バッターボックスから一塁へ──勝手知ったる一本道のはずだったが、これまでより十メートルばかり伸びたというだけで、何か神聖な経路を辿っているような心地になった。潤子さんもソフトボール出身なのだろうか、初めてこの距離を走ったとき、やはりこんな心地になったのだろうか。そう考えながら、杏菜さんの置いた一塁ベースを踏んだ。二塁を見ると、そこにもまた杏菜さんがベースを置くところだった。潤子さんは自分の置いた三塁ベースの前で、のんびりとストレッチを始めていた。
     なんだか妙に楽しい気分になって、私はセカンドの守備位置についた。右も左も広々として、まるで新しい部屋に越してきた感じがした。それはつまり守備範囲が広がったということで、喜ぶよりは気を引き締めるべき変化だったが、大地の受け持ちが広がり、空の受け持ちも広がった、そう考えるとわくわくして、春の風の強く吹き過ぎてゆく空を、私は一度も任された経験のない外野手のつもりになって見上げた。
     それからようやくバッターに目をやった。侑希美さんはバットを肩に担いだまま、足元のホームベースを少し退屈そうにスパイクの先でつついていたが、顔を上げ、私と目が合うと、ニッと嬉しそうに笑った。その後どんなことに巻き込まれるかも知らず、私は彼女に見とれた。生協の前で声をかけられたときとは違い、このときはただ、容姿の幼さに見入っていた。童顔の印象は最初からあったし、お下げ髪の効果もあったろうが、練習着越しに浮かぶ未熟な線、渋みさえ感じるその無愛想な体つきには、そのときまで気付かずにいた。大学二年生。どんなに若くても十九だったが、勝ち気な笑顔とポーズはまるで十一、二の少女を思わせ、ソフトボールというチームスポーツをまだ知らなかった頃の自分が確かに持っていた宝、あの孤独な自由の記憶を、その姿から私は不意に引き出したのだった。
     それでぼんやりして見えたのだと思う。コツン、と侑希美さんのバットから放たれた第一球目は、そっと私を揺り起こすような、弱く遅いゴロだった。にもかかわらず、私は見事にそれを取り損ねた──正面に構え、しっかりグラブに入れたはずが、体を起こしてみるとボールは足元に転がっていた。あれ、と私は左手にはめたグラブをぱくぱくさせながらボールを見下ろした。捕った感触はあった。球から目をそらしもしなかった。
    「ドンマイ」潤子さんがサードの位置から声をかけてくれた。「大丈夫、すぐ慣れるよ」
     その笑顔にはっきりと同胞の親しみが見え、頼もしい気持ちで私も笑みを返した。潤子さんはソフトのときもサードだったんですか、とあとで聞いてみようと考えながらボールを拾おうとしたとき、しかし早くも次の球が来て、一塁のほうへ転がったそのゴロに向けて私は走った。グラブはどうにか間に合わせたが、球はまた落ち、その小さな球体を捕まえることに私が淡い絶望を抱く間もなくまた次の打球が放たれた。
     侑希美さんは私にだけ向けて打った。激しいことはやらないという約束は早々に反故にされ、一球一球の間隔は狭まり、打球音はみるみる尖って鼓膜を刺し始めた。私は夢中になって受けた。選手としての脊髄反射より、動物としての生存本能に近かった。実際、体勢を立て直さないうちに飛んできたライナーのうち一球は私の髪を掠め、一球はふくらはぎに命中した。杏菜さんが立ち尽くしているのが時折視界の左端に見え、侑希美さんを呼ぶ潤子さんの声がやはり、時折聞こえた。どちらも遠かった。
     向かい風に逆らいながら、私は拡大した守備範囲の中を駆けずり回った。それが守備練習ではなく通過儀礼であることはもうわかっていたが、いわゆるしごきとはどこか違うとも感じていた。侑希美さんの打球に込められていたのは、今後の覚悟や先輩たちへの忠誠といった、こういう場面で上級生が下級生に求めがちなメンタリティではないように思えた。腿に、肩にと疑いようもなく意図的に打ち込まれる球から私が感じたのは何かもっと実際的な要求で、打球そのものからもたらされる教えは、そうした打者の思惑を抜きにしても実際的なことばかりだった──野球ボールがいかに速いか。いかに硬く、いかに痛いか。バットの上での荒っぽさとは裏腹に、手の中ではいかに小さく慎ましやかか。打球を文字通り全身で受け続けることで、ソフトボールとは似て非なる野球の現実を私は徐々に知っていったのだった。
     やがて私の捕球技術も、安定したというほどではないにしろましになった。何よりグラブに入れたときの、ソフトボールと比べるとまるで無を摑んでいるようだったあの空虚さが確かな手応えに変わったことは、慣れという言葉では片付けられないほどの喜びを私にもたらした。球を摑んだ──野球の心臓を摑んだ! しかしその実感を得ると同時に、体の内部に昔からずっと貼り付いていたものが荒っぽく剝がされていく感じもした。借り物のグラブで硬球を受けるたび、腹が喪失の萎縮で疼いた。新しい宝を得る喜びと、古い宝を捨てる痛み、二種の体感に私はいっとき恍惚とし、今、硬球に打たれているのは過去の自分なのだ、ソフトボール選手としての体なのだと、その中でようやく悟ったのだった。
     そしてそれこそが、おそらくは侑希美さんの要求でもあった。元ソフトボール選手の私は彼女にとって不体裁な細工の施された彫像で、バットは槌、打球はいわば鑿だったのだ。
     球ばかり見ているうちに影が遠のき、肉体を持った存在というよりは白球を降らせる大いなる力のように思われ始めていた侑希美さんを、私は久しぶりに目視した。それを拒むかのように彼女は二遊間に高めの打球を、一二塁間に強烈なゴロを、正面に強襲狙いのライナーを放ったが、それまでにさんざん鑿で削り取られていた私は新しいフィールドの上をまるで我が家にいるような身軽さで跳び回った。そしてすべて捕球しただけでなく、打球と打球のわずか数秒のあいだにしっかりと打者を見据えた。大いなる力でも、概念でもなく、確かな肉体を備えた一人の人間として侑希美さんはバットを構えていた。次の球を待ち構える私の目に映ったのは、剛力の四番打者だった。
     その日初めてのフライが、まっすぐ、天を穿つように打ち上げられた。もし存在すればピッチャーマウンドのあたりと呼べる位置まで出て、上空ではなぜか黒く見える白球が落ちてくるのを待った。青空に今さら気が付き、自然と笑みが浮かんだ。その笑みの真上で捕った。
     それが最後の一打だった。侑希美さんはバットを捨てると、かわりに拾い上げたキャッチャーミットをはめ、投げろと合図した。彼女もまた笑顔だった。そのそばにはいつの間にか杏菜さんがいて、ボールをケースに戻していた。私が取り散らかしたボールを集めて杏菜さんに送っていたのは潤子さんで、私が見たとき、彼女は一塁のあたりをうつむき加減にうろついていた。ノックが終わったことには気付いていたはずだが、顔を上げようとはしなかった。
     私はグラブの中のボールを握りしめ、もうそれを小さいとは感じないことを確かめてから、山なりに投げた。打ち身が熱を持ち始めていたが、おかげで風が気持ちよかった。


    ※7月18日(水)18時~生放送
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