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【第159回 直木賞 候補作】『宇喜多の楽土』木下昌輝
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【第159回 直木賞 候補作】『宇喜多の楽土』木下昌輝

2018-07-11 13:00


     ――武も運も 命もはてし 石山の……

     そこまで口ずさんで、宇喜多八郎は首をひねった。
     なにかが、ちがう。しっくりこない。
     風のない一日で、鳥たちも季節を忘れたかのように声を殺していた。
     目を閉じて耳をすます。
    〝命もはてし〟では、流れが悪い。
     国もはてし……、いやちがう。山河もはてし……、でもない。
     横には、旭川がたゆたっていた。流れは湖面のようにゆったりとしていて、岸辺にある石山城(後の岡山城)を鏡のように映す。宇喜多直家がこの地に居をかまえ、山陽道をつけかえるなどして、石山城下を巨大な商都に変えたのは八年前だ。まだ、八郎が二歳のころである。
     後ろをむくと、宇喜多家の家臣たちがいた。激化する毛利家との合戦話にもちきりで、八郎が離れていることに気づかない。
     童ながらも、八郎は武家の礼服である直垂に身をつつんでいた。胸には〝兒〟の字の紋が白く染めぬかれている。手には、脇差から取りはずした小柄(刀に付属する短刀)がにぎられていた。剣片喰という大きな三つの花弁の文様が、鞘と柄にわたるようにあり、刃を納めると割符のように紋が完成する。旗指物につかわれる〝兒〟の字など、宇喜多家にはいくつか紋があるが、剣片喰は一族の身の回りの品にしか使用が許されない誉あるものだ。
    「誉か」とつぶやいた。

     ――武も運も 誉もはてし 石山の……

     これだ、と思った。八郎は満足気に何度もうなずく。
     上の句はできた。下の句は、なにがいいだろうか。

     ――かかる世間と……すこしかたい。

     ――苦しき現世と……これもしっくりとこない。

     上の句の「石山の」を変えてみるか。
    「ねえ」と、突然声をかけられた。
     いつのまにか、粗末な単衣をきた女童がたっている。歳のころは、八郎と同じ数えで十歳くら
    いだろうか。
    「なにをひとりで、ぶつぶつといっているの」
    「ああ、歌を考えていたんだ」
     女童は首をかしげた。
    「そんなに難しいことじゃないよ。だれでもできる」と、八郎はやさしく答える。
    「わたしでも」と、女童が不思議そうにきいたのでうなずく。花が咲くように女童が笑った。
    「じゃあ、こっちへきて、みんなにも教えてよ」
     八郎の手をとって、連れていこうとする。ちらりと後ろを見ると、大人たちはまだ話に夢中だ。八郎が女童と離れても、気づきそうにない。
     そういえば、いつも城の上から童たちが遊ぶ様子を眺めるだけだった。
    「わかった、いこう。けど、すぐに帰らないといけないよ」
     八郎は、そっと大人たちのもとから離れる。

     歩きつつ、八郎と女童は歌を詠む。特別なことをするわけではない。目につく花や木、鳥、川の流れに五感をゆだね、心のなかにうかんだ句を口ずさむ。女童は歌のことはわからないので、細かいことは注意しない。興のおもむくまま、詠う。
    「あのたんぽぽを見て、なにか上の句は思いつくかい」
     八郎は女童に語りかける。川岸に、たんぽぽが群生していた。黄色く花咲くものもあれば、白い綿毛に変わっているものもある。女童はすこし考えてから、ゆっくりと口を開いた。

     ――綿帽子 ふけば哀しや 禿げ頭

     へえ、と八郎は嘆声を漏らす。
     川辺に咲く花を、人の頭にたとえるとは思いもしなかった。はじめてにしては、随分と筋がいい。次は八郎が下の句を考える番だ。しばし考えてから、八郎は詠う。

     ――しばし休まん 晩春の風

     八郎が下の句をかえすと、女童が嬉しそうに飛び跳ねた。
     たんぽぽが群生する川辺をとおりすぎると、いつのまにか家臣たちの姿はどこにも見えなくなっていた。
     かわりに、破れむしろと廃材でできた小屋がひしめく風景が目に飛びこんできた。その様子は、磯に貼りつくふじつぼを連想させた。戦乱で住む場所を失なった流民たちが、石山城下の外れに集まっていることを思いだす。気づかぬうちに、八郎は流民の住処へと足をふみいれていたよう
    だ。
     湿った小屋のなかに、痩せた人々がうずくまっており、大きな目玉が顔の皮膚を突き破るかのようだ。
     歌を詠っていた八郎の喉が強張り、ごくりと唾を吞んだ。
     ぶしつけな目差しが、容赦なく浴びせられる。
    「ねえ、あっちにいけば城が見えるよ」
     女童が、八郎をさらに奥へと誘おうとしたときだった。
     悲鳴となにかを打擲する音が響きわたる。木がおれ、むしろが引きさかれているのだとわかった。
    「ええい、隠しだてすると許さぬぞ。どこだ、どこにいる」
     とどいた怒声は、さきほどまで八郎の世話をしていた武士たちのものである。
    「我々は、誰もかどわかしてなどいません」
     流民たちの弁解の声も聞こえてきた。
     あわてて走る。
     傾いだ小屋のひとつを曲がると、十数人の武士たちがいた。棒をもって、痩せた男たちを威嚇している。
    「おお、八郎様ではないですか」
    「探しましたぞ。どこにいたのですか」
     武士たちが、八郎のもとへと駆けよってくる。
    「ええい、邪魔だ、散れ散れ」
     武士たちが棒を振りまわし、集まろうとしていた群衆を追いはらう。
    「やめてくれ。彼らはなにも悪くない」
     八郎が叫ぶと、やっと棒を振りまわすのを止めてくれた。
     ちいさくだが忌々しげに舌打ちしたのを、八郎は聞きのがさなかった。
    「八郎様、よいですか。軽々に下賤の者とつきあってはなりませぬぞ」
     武士が片膝をつき、八郎の両肩に手をおいた。
    「あなたはいずれ宇喜多家の当主となり、すべてを采配する身です。宇喜多和泉守様のご嫡男としての自覚をもちなさい」
     八郎の肩におかれた手が、ずしりと重くなる。
     八郎の父の宇喜多〝和泉守〟直家は、備前(岡山県)で下克上と仕物(暗殺)を繰りかえしのし上がった大名だ。他家に自分の娘を嫁がせて寝首をかく謀略は、同盟する味方の大名からも〝捨て嫁〟と陰口をたたかれているほどだ。その代償なのか、近年は全身から血膿を吹きだす〝尻はす〟という奇病に冒され、床から起きあがることもまれである。膿で汚れた直家の着衣は毎日捨てられるが、噂ではそれを拾い生計の足しにする乞食の老婆もいるという。
    「毛利との戦いが、正念場を迎えていることは知っておられましょう」
     宇喜多家は、かつての盟主の毛利家を裏切り、織田家に与している。中国方面軍司令官の羽柴秀吉の尖兵として、各地で合戦を繰りひろげていた。
    「さあ、あちらに大名の世継にふさわしい遊戯や遊び相手を用意しております。参りましょう」
     武士たちは先導するが、八郎の足どりは重く緩慢だった。何度も振りかえり、武士たちは八郎の歩みを待つ。
    「八郎様も、すこしは左京様を見習われよ」
     忠告を装った武士の一言には棘があった。
     宇喜多〝左京亮〟詮家――父直家の弟の宇喜多〝七郎兵衛〟忠家の息子だ。
    「八郎様の年のころには、左京様は戦遊びで何人もの童の腕をおったほどですよ」
     腕をおるというが、宇喜多の一族が相手であれば、だれも本気で戦うことはできない。左京の相手をさせられた童のことを思うと、八郎のちいさな体は不快感で一杯になった。
    「それがそんなに偉いことなのか。弱者を虐げているだけではないのか」
     自身でも思いがけぬほどつよい口調だった。
     だが、武士がひるむことはなかった。
    「そのような弱き心で、宇喜多家をひきいていくことができると思っているのですか。今は乱世ですぞ。われらが盟主とあおぐ前右大臣(織田信長)様は、十四歳の初陣で敵の村を焼きはらいました。弱き者に情けをかけていれば、家を滅ぼしかねません。亡国の君主として、八郎様は名をのこしたいのですか」
     家が滅ぶということは、家臣を路頭に迷わせ、領民に塗炭の苦しみを味わわせることだ。幼い八郎にも、それぐらいはわかる。
    「こんなことならば左京様のほうが……」
     武士は途中で口ごもった。宇喜多左京のほうが君主にふさわしい、という言葉を吞みこんだのだ。父直家は娘ばかりで長らく男児がいなかった。当初は、忠家の子の左京とその兄のどちらかが家をつぐはずだった。だが、八郎が生まれたことで、左京が宇喜多家をつぐことはなくなった。ちなみに左京の兄は、今年の二月におこった毛利家との合戦で亡くなっている。
    「わかったよ。宇喜多家の嫡男として、ふさわしくあるように努める」
     なんとか言葉を絞りだすと、武士は満足気にうなずいた。

      二

     石山城の本丸からは、旭川の流れが見渡せた。昨日、八郎が遊んだ流民の住処が点々と広がっている。
     だれかが剣術の稽古でもしていたのか、城内の広場の地面は踏みかためられていた。その上で、ひとりの男が彫像のようにたたずんでいる。風がふいて砂埃が顔をなぶるが、身じろぎひとつしない。
     胸にあるクルスだけが、はかなげに揺れている。年のころは、十八、九歳だろうか。背が高く、手足は長い。うすい髭が口元やあご、頰をおおっているのが、若い顔のつくりと不釣りあいだ。
    「左京殿」
     これ以上近づくのがためらわれて、八郎は声をかけた。だが、宇喜多左京からは返事はない。どころか、表情さえも変わらない。八郎は左京と親しく口をきいた記憶がない。左京が毛利家に人質として送られ、二年前に毛利と手切れになって戻ってくるまでほとんど面識がなかったからだ。
     ゆっくりと近づくと、左京の長い腕が動いた。着衣を整えるように、腰の脇差に手をそえる。それだけで、場の空気が凍えた。
     宇喜多左京が手でもてあそぶのは〝頭割〟と名づけられた脇差だ。
     この男は、ふたつのことで家中に名を轟かせている。ひとつは、美作(岡山県北部)に伝わる竹内流という武道の皆伝者として。戦場では〝山姥〟という剛槍をあやつり、若年ながら幾度も兜首をあげた。もうひとつは、無礼討ちの多さだ。腰にある“頭割”は、侍女の首を一刀のもとに刎ねたゆえの命名である。
     恐るべきは、侍女を殺したことではない。配膳途中の彼女の首を、一刀両断したことだ。
     絶命の太刀と断頭の太刀は、まったく異質である。絶命はともかく断頭は至難だ。観念した罪人の介錯でさえ、失敗することからもわかる。
     だが、宇喜多左京は絶命と断頭の太刀を、同時になした。
     しかも、脇差という短い得物でもってしてである。
    「なんのご用でしょうか」
     唇だけを動かして、左京が言葉を発した。
    「左京殿にお尋ねしたいことがあるのですが」
    「なんなりと」
     くり抜かれたかのような瞳は、ただただ昏く、そこには八郎の姿さえも映っていないかのようだ。
    「どうすれば、左京殿のようになれますか。乱世を生きぬくには、私ではたよりないと家臣たちがいいます。つよい心をもたぬまま私が元服すれば、宇喜多家は滅ぶ、と」
     いいつつ、胸が苦しくなる。
     まばたきをして、左京の表情にかすかに変化があらわれた。
    「たやすいことです」と、また唇だけを動かしていう。
    「八郎様、ついてきてください」
     八郎の歩幅を無視した大きな足取りで、左京は歩きだした。城で働く小者たちに「ついてこい」と声をかける。
     兵糧蔵の裏へと誘われたときには、五人の小者が怪訝そうな顔で従っていた。
    「さて、八郎様、このなかに毛利の間諜がいます」
     左京の口調からは、一切の感情が読み取れなかった。何人かが、首をかしげる。八郎を含めみな、意味を理解できない。
     かまわずに、左京はつづける。
    「先日、毛利の忍びを捕らえ、吐かせました。城内に間者がひそんでいるそうです。その者と満月の夜に、城下の酒場でやりとりしているとか」
     五人の表情から、たちまち血の気がひく。
    「残念ながら、肝心の間諜の名をきく前に、忍びは息絶えてしまいました。が、今ここにいる五人は、満月の夜に城下に出ていたことがわかっています」
    「では今から、だれが間諜かを調べる、と」
     八郎の顔が冷たくなる。痛めつけて白状させることで、八郎の心をつよく鍛えようというのか。
    「そうではありません。この五人を、今すぐに成敗するのです。無論、八郎様自身の手によってです」


    ※7月18日(水)18時~生放送
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