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アニメ評論家・藤津亮太のアニメの門ブロマガ 第2号(月2回発行)
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アニメ評論家・藤津亮太のアニメの門ブロマガ 第2号(月2回発行)

2012-09-28 10:00

    ご挨拶

     皆様、アニメ評論家の藤津亮太です。朝晩涼しい日が増えてきましたが、風邪などひかれていないでしょうか。今回のメルマガから『フリクリックノイズ』などで知られるライター宮昌太朗さんの連載が始まります。タイトルは「“日常系”の再学習――70年代の高畑勲」。俗に日常系といわれる作品がどういう表現史の上に位置するのかを考察する(であろう)本格評論です!

     それから、諸事情で急遽決まったのですが『劇場版魔法少女まどか☆マギカ [前編]始まりの物語』公開記念(?)として、藤津が昨年書いた原稿を2本まとめて再録します。いや~、大盤振る舞い(笑)。これに合わせて映画公開前日になる5日にも生配信で『まどか』の話を少ししてみようかと思ってます。


    1、最近のお仕事紹介
    2、今月の「帰ってきたアニメの門」
    3、スペシャルお蔵だし『まどか☆マギカ』特集
    4、隔月連載「“日常系”の再学習――70年代の高畑勲」ライター宮昌太朗
    5.Q&A
    6.お知らせ・ゆうきまさみ、左のボカロ絵が秋葉原グッ鉄カフェで公開(8日まで)
    7.次回予告


    最近のお仕事紹介

    1. ラジオ『渋谷アニメランド』
       NHKラジオ第一で日曜日20:05分から放送中のアニメについて語るラジオ番組。音楽評論家の冨田明宏さんと交互にパーソナリティーを務めています。
      藤津の担当回は10月7日。ゲストは『TIGER&BUNNY』のさとうけいいち監督。『タイバニ』『アシュラ』はもちろん、『鴉―KARAS―』の発想はどこからきたのかなどうかがってます。あと歌でDVD-BOXには入らなかったあの第一期OP「BIG-O!」(永井ルイ)がかかりますよ!
       さらにその次の藤津担当回21日は、小見川千明さんです。こちらは収録これからです。

    2. SBS学苑『アニメ映画を読む 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』
       静岡県静岡市のSBS学苑パルシェ校で10月7日(日)10:30~12:00に講座を行います。今回で3回目ですが、東京以外で行うことは珍しいので、今後とも継続していくためにも地元の方には是非とも参加していただければと思います。ちなみに静岡には某学園祭関係で11月にもおじゃまする予定です。詳細は未定ですが。 http://www.sbsgakuen.com/gak0130.asp?gakuno=2&kikanno=150008

    3. 講座『アニメ映画を読む』10~12月期
       今回は以下の3回のラインナップです。
      【10月】“女子”向けアニメの歴史~魔法少女からノイタミナ~
      【11月】「耳をすませば」
      【12月】「映画けいおん!」
      個別申し込みもできますが、まとめてお申し込みがお得です。また学割もあります。
      http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=173388&userflg=0

    4. イベント「アニメの門場外乱闘編」
       詳細未定ですが、12月8日(土)という日本史的に大事な日の昼間(←ここ要注意)にやります。いつも通り相方は、声優博士こと小川びい氏です。
      会場はネイキッドロフト、入場料は1000円です。また決まったらtwitterなどで告知します~。

    今月の「帰ってきたアニメの門」

     今月の「帰り門」は「『じょしらく』キャラクター/声/フレーム」と題して、『じょしらく』の原作とアニメを比べることで、“キャラクターもの”について考えています。
    時評連載というのはおもしろいもので、連載を始める前にはあまり深く考えていなかったことが、一つの大きなテーマとして浮上してくることがあります。アニメ誌で『アニメの門』を連載していた時は、それは[アニメビジネス」というテーマでした。どうやら今回は「キャラクター」という要素がどうもそんな具合になりそうです。
     直接的にはアニメではありませんが、今年になってアニメ系の舞台を2つ見て(『コードギアス 反逆のルルーシュ 騒乱前夜祭』『TIGER&BUNNY THE LIVE』)、さらに近々もう一つ見ることになりそうなので、そういう2.5次元方面からも、「(アニメの)キャラクター」というテーマ考えて見る必要もあるかなーなどと漠然と考えてます。

    「アニメ評論家・藤津亮太の帰ってきたアニメの門」はキャラクターとクリエイターの最新情報サイト「ぷらちな」で連載中です。

    スペシャルお蔵だし『まどか☆マギカ』特集

    本来ならメルマガ下旬号はここに朝日カルチャーセンター講座の抄録というか講義レポートをご紹介するコーナーが入るのですが、今回はスペシャルお蔵だしということで『まどか☆マギカ』関連の原稿を2本再録します。

    1.魔法少女の成長物語(2011年5月7日朝日新聞夕刊「茶話」掲載)
    2.魔法少女たちに永遠の花束を(同人誌「ティロ・フィナーレ本」収録)


    魔法少女の成長物語

     MBS・TBSなどで放送された「魔法少女まどか☆マギカ」が堂々たる完結を迎えた。

     本作の魔法少女は、自らの願いと引き替えに契約を結び、災いをなす“魔女”と戦う存在だ。主人公まどかがそんな魔法少女の戦いを知るところから物語は始まる。

     だが契約には落とし穴があった。魔法少女たちが絶望し力尽きた時、彼女たち自身が魔女となってしまうのだ。何故こんなルールがあるのか。物語は終盤、そこに焦点をあてて壮大なSF的ビジョンを展開する。

     中核をなすアイデアに美少女ゲームからの大きな影響があり、クライマックスでは宇宙の法則にも言及するなど、美少女ゲームやSFの文脈から読み解かれるのが本作のもっとも正統な読み方であろう。

     だが本欄は、隠し味のように潜む成長物語の要素に注目しようと思う。

     ポイントはまどかの母。彼女はべらんめぇ調のワーキングマザーで、少ない出番ながら強い印象を残す。

     最終回直前の第11話で魔法少女になることを決意した時、まどかは母と対峙する。娘を心配する母の言葉を飲み込んだ上で、まどかはそれでもやらなければならないことがあると駆け出す。第1話では母がリボンを選んであげていたまどかが、自分の意志で人生を選び取った瞬間だ。

     またまどかは、第3話で母の人生を「夢を目的にするのではなく、生き方そのものを夢にする生き方」と理解する。これは最終回で魔法少女となったまどかの行動に繋がる。

     母の生き方を理解し、自分の生き方を選択する。実に王道の成長物語だ。そこには図らずも『魔法のスターマジカルエミ』('85)など「成長」をテーマにした魔法少女ものの遠いエコーも響いているように思う。

    (2011年5月7日朝日新聞夕刊「茶話」掲載)

    [メモ]

     約700wほどの原稿にできるだけ詰め込んでみました。まとめサイトに取り上げられたせいもあって、ちょっと僕にはよくわからない反響があった原稿でもありました。で、この時はいろんな要素をギュっと圧縮して700wで書いたわけですが、それを解答というか展開して書いたのが次の原稿です。これは2011年の夏コミに出た同人誌「ティロフィナーレ本」に寄稿を求められて書いたものです。


    魔法少女たちに永遠の花束を

    1、魔法少女はどこから来たのか
    2、魔法少女から魔法少女へ
    3、古典的な仕掛け「友のある者は敗残者ではない」――『素晴らしき哉、人生!』
    4、魔法少女の中の「少女」
    5、「あなた」を見つめる視線の源

    1、魔法少女はどこから来たのか

    「ジャンル映画とは何か。強調すべき第一点は、ジャンル映画とはハリウッドの大量生産システムから生み出される大衆消費財だったということである。それはフォードやトヨタの工場の自動生産ラインに乗って組みたてられる大衆車のように生産され、消費された。好むと好まざるとにかかわらず、ハリウッドは一定のパターン(それは「好み」に応じて斬進的に変化しないわけではないが)に基づいて自社の製品をつくりつづけ、観客はそれをそのパターン条件下で享受しつづけた。パターンのこの反復可能性が継続的な大量生産/消費を可能にする。そしてパターンゆえに、生産者側も消費者側も自分たちが何を売り、そして何を買っているのかはっきりとわかっていた。ジャンルの生成と発達は安定拡大を目指す産業の必然なのである。」
    ――『映画ジャンル論 ハリウッド的快楽のスタイル』(加藤幹郎、平凡社)

     『魔法少女まどか☆マギカ』は、“魔法少女もの”ではない。それは脚本を担当した虚淵玄も言明している通りだ。

     けれども今回、『まどか☆マギカ』について語るにあたっては、「魔法少女」という単語から全てを始めようとと思う。それはこの言葉が、この作品を語る上でさまざまな因果をつなぎ止める特異点になっているからだ。

     だから、まず最初にこうやって問いかけることから始めよう。

     「魔法少女はどこから来たのか」。

     教科書的に答えるならば、その起源はまず1966年に求められる。

     同年『奥様は魔女』にヒントを得た横山光輝の『魔法使いサリー』が初の「少女向けアニメ」として東映動画(現・東映アニメーション)映像化されたのだ。

     そして『サリー』のヒットを受けて制作された『ひみつのアッコちゃん』(1969)では、「変身用小道具(魔法のコンパクト)」「あこがれの職業への変身」「お付きの小動物(猫のシッポナ)」といったジャンルを特徴づける要素が早くも登場している。

     以降、東映動画は1980年までの14年間に9作の魔法少女ものを送り出す。だが、この中で「魔法少女」を肩書きに持つのは『魔法少女ララベル』だけだ。

     肩タイトルで「魔法少女」をうたわないのは、東映動画作品だけではない。

     1980年代に魔法少女ものに革新をもたらした『魔法のプリンセスミンキーモモ』から『魔法のアイドルパステルユーミ』に至る5作も「魔法」の言葉は使えど、「魔法少女」の単語は避けている。

     『ララベル』が「魔法少女」を名乗らざるを得なかったのは、この作品が前作『花の子ルンルン』へのカウンターとして、日本を舞台にした庶民的な作品――つまり世界観に特異性が薄い方向性――を目指したため、肩タイトルにその世界観を象徴させることが難しかったからだろう。

     この『ララベル』を例外として、次に「魔法少女」の単語が登場するのは、1996年の『魔法少女プリティサミー』。そして、その後、2004年に『魔法少女隊アルス』、『魔法少女リリカルなのは』、2005年に『奥様は魔法少女』、2006年に『砂沙美☆魔法少女クラブ』と続く。いうまでもなく『リリカルなのは』の監督は新房昭之である。

     これらの作品の特徴はいずれも「魔法少女もの」という系譜からすると、かなり変化球な作品であるということだ。パロディにするか、肩タイトルだけ借りるか、その意匠を解体するか、そのアプローチはそれぞれだが、いずれにせよ「もはや魔法少女ものとは呼びづらい作品が、あえて魔法少女をうたう」という共通点がある。

     1990年代以降の「魔法少女もの」は、その見取り図が非常に描きづらい。

     「魔法少女もの」の正統な系譜が『おジャ魔女どれみ』(1999)、『Cosmic Baton Girl コメットさん☆』(2001)と登場する一方で、 『美少女戦士セーラームーン』(1992)から『ふたりはプリキュア』(2004)へとつながる「戦闘美少女もの」が一大潮流を形成する。そのほかにもさまざまな「魔法少女もの」(バリエーションの「アイドルもの」も含め)が登場するが、それらの存在はスタンドアローンで1980年代までのように、シンプルな系譜を描くことは難しい。

     この混迷はおそらく、1988年に『ひみつのアッコちゃん』のリメイクが成功した時から始まる。、その時から「魔法少女もの」の単線的な歴史は終わり、「魔法少女もの」という漠然とした巨大な概念と、ターゲットや方向性によって切り口が変化する個別の作品が存在するだけになったのだ。

     だからこそ「魔法少女もの」として変格な作品が、視聴者との関係を取り結ぶために、その不透明な立ち位置を明瞭にする目的で「魔法少女」を率先して名乗る。それはずいぶんとアクロバティックな転倒だ。

     だが現代にあって「魔法少女」を名乗るということは、このアクロバティックな転倒を自覚することにほかならない。だから「魔法少女と名乗っているにもかかわらず、魔法少女ものではない」といわれてしまう『まどか☆マギカ』は、「魔法少女もの」の歴史に鑑みて実に正しい。

     『まどか☆マギカ』の立っている場所はそのような場所なのだ。

    2、魔法少女から魔法少女へ

    「ある願望があって、それも願わくは妄想的でも平凡でもない強烈な願望があって、それをどうしても達成しようとは思わないではいられないやはり強烈な性格の人物がいる。そして彼は見事にその願望を達成するのだが、それを達成するということは、同時に彼がまさにその上に立っている基盤そのものを見事に否定し去るのだというそういう逆説の存在。『オイディプス王』から『人形の家』まで、すぐれた戯曲をつらぬいているものは、この絶対に平凡でない原理であるように思う。そしてその原理こそがドラマであり、その原理の集約点がつまりドラマのクライマクスである。」
    ――『ドラマとの対話』(木下順二、講談社)

     では魔法少女ものの歴史の終端で生まれた『まどか☆マギカ』は、かつて世に出た魔法少女たちからまったく縁がないだろうか。いやけっしてそうではない。たとえば変身して華麗な戦闘服になるというパターンは、『セーラームーン』以降の意匠だ。

     だが、注目すべきはそうした表層ではない。過去の魔法少女と『まどか☆マギカ』をつなぐのはもっとも本質的で重要なのは魔法少女となるヒロインたちの「願い」の描き方だろう。

     
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