中庸左派さん のコメント
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読み人知らず。論考「ウクライナ戦争にどう向き合うか」 今、ウクライナ戦争にどう向き合うかが問われている。その向き合い方によって、日本の進路は真逆なものになるのではないか。 ■二つの「東のウクライナ」 今日、ウクライナの惨劇には言葉を失う。国そのものが廃墟になり、その出口が見えない。 このウクライナの悲惨を見ながら、そこに近未来の日本の姿を見、警鐘が鳴らされている。 岸田首相は、今日のウクライナに明日の東アジアを見て、防衛力の強化を訴えた。 そこで想定されているのは、中国による「台湾有事」だ。それに対抗して、「反撃能力」が言われ、「専守防衛」が古語にされながら、防衛費の倍増が当然のこととしてまかり通っている。 一方、「東のウクライナ」には、全く異なるもう一つの意味がある。それは、ウクライナのように、米国の代人に押し立てられて戦争するなという意味だ。 同じ「東のウクライナ」でも、全く違った意味。それは明らかに、ウクライナ戦争に対する見方の違いに由来している。
>反核をさけぶ人はあまり真剣にものを考えないひとだとおもう。国防というものがいかに大切か。核武装をかんたんに否定するのは愚か極まりない。
実を言うと、私はサヨクには国防論がないと考えていた時期がありました。
サヨクは反戦平和だけで、アメリカ帝国打倒は良いが、日米安保なきあと、国防はどうするのか?と。
数年間、そんな素朴なギモンは私の脳裏の片隅にありました。
しかし、私は孫崎先生の説明に触れて考えを改めました。中国が持っているミサイルの数を聞いたからです。
勝てない相手から、自国を防衛する、という発想は非論理で愚かな発想だな、と。
日本には中国に対抗する軍事的能力は無い、と私は見ています。対抗力という意味では、政治経済の面からも明白。技術力だけの問題ではない。
従って、私は「国防」は「姿勢」以上の意味は無い、と考えるに至りました。まぁ、服を着る程度の意味、嗜み程度。
それは、私なりのウクライナを見ての教訓でもあります。戦争は軍事力の勝負だと考えています。勝てない相手に対抗するために、クニのためにだからと言って、若者を戦地に送るべきではない。
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