昔は自分1人で引き込んでいたもんだけれども、今回は町山さんが予定していた「ヌードの夜」ではなく、本番が始まってから「<ソウルの春>にする」と言い出して、「昨日まで韓国にいて、一睡もしてないんですよ笑」と言ったので、僕と塚本ニキさんの心の中で同時にひらめたいのは(だったらソウルから東京に来れば寝れたのでは&3人ともパルコに来れたのでは?笑」という事ばかりで笑、まさか大韓民国があんなトチ狂った事になっているとは思いもよらなんだ。
僕の世代は、よど号ハイジャック事件も、金大中事件も、光州事件も、ソウルオリンピックも、IMFの監査も、少女時代とKARAのシン・K-POP黎明期も知っている。歌舞伎町に住んでいた頃は今みたいに明洞化する前の、まだまだ牧歌的=ぶっちゃけ汚い笑、スンデ屋とかがいっぱいあって、韓国語でオムニと会話していたものだけれども(もう、みんな忘れてしまった)、客の할아버지=ハラボジが、「俺は光州事件に参加してた」とか言い出して、うおー、とか思って話聞いてると、かなりのハラボジだと思っていたら僕と同い年でびっくりしたりしていたもの。17歳じゃないか。こっちは誰もいない海~とか歌ってる間に、向こうさんは軍事クーデターの後に戒厳令ですよ。結局治安も経済も悪くないんだからさあ、国に対してガツガツ文句言ってないで、もっとノンポリでおっとりしていることを誇った方が良い。日本人は。じゃないと、オレの大嫌いな全共闘が威張って然るべき構図になんぞ。
にしても、金大中が拉致された事件なんて知らないでしょうみなさん、そして今、脳が24時間刑事コロンボになっている民事ナルンボ(警察は民事不介入の原則があるから、離婚裁判専門の弁護士は「民事コロンボ」。ということになって、、、、まあいいやもう)としては、金大中事件って確か73年だから、絶対にコロンボの「第3の終章(74年。これは間違いない。全部暗記したんで)」に影響与えてるんだよね。間違い無いけど、本には書かない。なんかめんどくさそうだから。
コメント
コメントを書くユン・ソンニョルは「北朝鮮の共産主義勢力による脅威からリベラルな韓国を守り、人々の自由と幸福を略奪する反国家要素を排除するために、私はここに非常戒厳令を宣言します」とテレビで演説したらしいですが、この報に接して私は「おおすげえ、特定の “主義者”を一方的に敵認定して排除するやり方。在りし日のツイッターみたいだ。いや違うか、ツイッター常用者たちのやり方が20世紀的なパージの模倣だったのか?」と思いました。「リベラル」の名のもとにファンタジー化された敵と戦いながら結局何ひとつ倒せない(どころか国民の側から倒される)、という「同盟国」での一幕を見せられたUSA市民の心中に、一体何が去来したのか? ということがまず気になります。
学級委員長または喧嘩番長が、主観的な「非常事態」を解決するためにいきなりフリークアウトするも、周囲の至極冷静な視線に晒され、結局のところ事態は順当に鎮静化する。という場面の類型が私は好きで、『インファナル・アフェア』第三作目の終盤でもそんなシーンがありましたが、今回の大韓民国における「戒厳令」騒動からその類型を思い出しました。逆をとれば、かの国にはまともなツッコミ役としての民が一定以上の層を形成している証拠で、いま「政治家は全部ダメ。政治家であるからには誰も要らない」という真実にちゃんと気付けている国家の筆頭は大韓民国なのではないか、とすら私は思っています。一方、数年前からやたらと出始めた韓国産の御自愛系エッセイ(『死にたいけどトッポッキは食べたい』みたいな)の著者とその読者や、やたらと「HELL朝鮮」を唱えたがる人々からは日本国のツイッタライズドリベラリストと同じ臭いがして、むしろこちらのほうが大韓民国においては少数派なのではないかとすら思わされます。もちろんこれには、私による勝手な隣国への理想化も多分に働いているとは思いますが。
数手遅れの感想ですが、菊地さんの『クチから出まかせ』を先週から読ませていただいており、それをきっかけとして、ここ数日『ありがとう、トニ・エルドマン』などを改めて観返しております。御著者内で一番面白かったのは、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演『モンスター・ハンター』がケイト・ブランシェット主演『TAR』のエンディングに地下茎的に繋がっていたというご指摘でした(笑)
おかげでここ数日ずっと久しぶりに映画づいており、御著者に掲載されていない映画『スペンサー』(『ジャッキー』監督作)に物凄い感銘を受けたり(『スペンサー』を満足に評することができるのは、音楽と服飾への適性も含め、菊地さん以外には存在しないと思われます)、ラジオデイズで紹介されていたトランプ伝記劇映画についても既に色々書きたくなっているのですが、昨晩、菊地さんも高評価のコメント(と、公開時パンフレットの解説文も?)寄せていらした『探偵マーロウ』を観ました。
画面全体を覆うアイリッシュグリーンの美しさと、その均整が唐突な赤と青で崩される中盤以降のコントラストが実に見事で、2時間以内の映画とは思えないほどの充実感がありました。しかしやはり一番魅力的だったのは音楽で、20世紀的なハードボイルド類型である「擬(偽)ジャズ」ではなく、ラテン由来でなおかつ通俗性のある音楽が映画冒頭からいきなり流れたので驚かされました。既存曲の使い方も、「ビリー・ホリデイの『I'll Be Seeing You』って、109分ある映画の60分めみたいな中途半端なタイミングで流していい曲なんだっけ?(笑)」と思わされ、その「ジャズ名曲」の異化された使い方さえも、劇伴音楽の異質性をより一層引き立てているように思われました。何よりこの映画が最終的にたどり着く「アイリッシュ探偵とメキシカンタフガイとのバディ関係」成立までの流れが、冒頭から流れる音楽の方向性によって自然に正当化されていたように思います。アイルランド×メキシコという同盟関係は、いわゆる西欧列強によって植民地化されたカトリックの当事者意識が燃料になっているのかな? など鹿爪らしいことは抜きにしても、あの映画で最終的に生まれる男ふたりの友情関係(←ニール・ジョーダンはこのパターンを延々と反復しているような監督ですね、トランスセクシュアル者も含めて)はとても美しく暖かなものでした。反射的に泣かされるようなものではないですが、2時間未満でここまで充実した映画があるのはとても幸せなことですね。もしこの映画が不評を被っていたのだとしたら、それは現在の映画界における別の病の所在を逆照射的に示しているに違いないと思います(笑)
『探偵マーロウ』を観たあと、ふいに『黒い罠』サウンドトラックにおけるラテン音楽使いに関して菊地さんが言及していらしたのを思い出し、そちらを聴き直しています。朝鮮半島の出来事をそのままUSAにアナロジーするわけではないですが、硬直化した国家が新しく友愛的なバイブスを獲得するには、「国境の南」から恐怖混じりの魅惑を注入されるしかないと思います。『探偵マーロウ』は、USAが拒絶したがっているラテンアメリカとの融和を、アイルランドが仲介人として立つことで済し崩し的に成立させてしまおうという、実は周到に策士的な作品だったのかもしれません(笑) 私はチャンドラーの原作については何も知りませんが、現在コロンボ研究期にあられる菊地さんが『探偵マーロウ』について改めて思うことがあれば、ぜひお聞かせください。
>>3
民事は概ねコロンボですよ笑。僕の民事コロンボはバンド仲間が弁護士に転職したんですが笑、見事に解決してくれました笑。
>>4
ソウルの春とヌードの夜は思いっきりライミングですが、コロンボも「闘牛士の栄光」と「魔術師の幻想」が連続していてライミングすぎるんですよね笑。「士」と「師」が違うところが絶妙というか笑。
「泥棒成金」は、かなりコロンボです。というか、本の中に、架空の陰謀論ブログを捏造して入れているのですが、それは「コロンボのモデルは<罪と罰>じゃなくて(そういう風説があるんですよね笑)、ヒッチコックである」というもので、名前が「<泥棒成金>論」っていうんですが、これは、悪名高いジジェクの「ヒッチコックによるラカン」の中の論文の名前でもあって、書いていて段々、韜晦的な内容になってきて困っています(わかりやすくて面白いのを目指しているのに笑)。
菊地さん、菊地さん、スガダイロー,細井徳太郎、秋元修、めちゃめちゃご機嫌ですよ。コロンボもやっと「祝砲の挽歌」までたどり着きました。さて、もうすぐ恒例のピットイン楽しみにしております。
来春後期高齢者。
>>9
大晦日にスガさんと僕と秋元くんで(珠屋の予定がダメになり)年越し出るんですが、ユニット名が「菊地成孔 / スガダイロー / 秋元修」って異常なまでにカッコ悪いじゃないですか笑、なので「山下洋輔トリオ」にしようと思うんですが、誰も僕のセンスわかってくれなくて笑、困ってるんですよね笑。
秋元くんのコンディションは、僕、DCPRGのオーディションからずっと見てますが、今、現状で最高の状態にありますね。彼の世代のドラマーは石若くんがいる限り抑圧があるわけなんで笑、僕、ものすごい気長に(僕が気長なのは、あまり知られてないんですが、ものすごい気長です僕は笑)定点で見てたんですよ。石若くんがどうこうじゃないですけど、もうポピュリズムまで行ってるんで(まだ驚いてるんですよね「よくあすこまで行かせたよな日本の音楽シーン」と思ってます。恵比寿のアレが留め刺したんじゃないですかね。全員が椎名林檎さんの前座になるという笑)、ある力は失ったと思います。僕は誰を育てた彼を育てた言わない人間ですけど、秋元くんを絶好調にしたのは僕とスガさんと長谷川白紙さんの3人だと思います笑。
>>6
確かに大韓民国の人々は、「政治家は全員ダメだ」という感覚を持っていて、僕もストレートに移入できるところなんですけど、とにかく罰する力がすごくて笑、日本人はとても敵わないなと思います笑。フェミニストの女性が、自分が推しの男性アイドルを消費していることに対して自罰する、という物凄さで、なんというか、単なる多血質とかではなく、ある意味でものすごくリベラルなわけです。そのおかげでヘルコリアとか言い出すんですよね笑。リベラルのある状態までは所謂、ワイマール的なファシズム待望になりますが、それを超えると自罰というか、自傷的になるので、まあまあリベラル批判とか詮無いことは言いませんが。リベラルに発達段階があることは、リベラルもそうでない人も理解した方が良いと思うんですよ。今、リベラルではない人々の発達の状態しか認識されないので。
20世紀は、まあリベラシオンとかグルマンディーズとかいうことをメインにパリと北京が比較対象になりやすかったわけですが、21世紀は、パリとソウルの同一性が高いと思っています(以下の話はドミューンの続きで聞けますが笑)。川を挟んで二分されていること(東京のケル「川向こう」とか、あんな粋な話ではないんで笑)、内需よりも外需が高いこと、そして反政府、反体制に成功経験があることで、そこはミラノだとか東京都は全然違いますよね。そして韓国はフランスよりも、引退した政治トップに厳しいです。民主主義が帝政と背中合わせだという事を、中国よりもはるかに思想的に知っちゃってますよね。中国はそのことさえ訳がわかない状態になってますし、そこが大国のエグいところではあるんですが。
ただ、ユン・ソンニョルは僕、かなりのコリアン・クール、というか、ぶっちゃけジャパン・クールな大統領だと思うんですよ笑。ああいう戯画的なヘタレをやらかしちゃうんで。そういう意味では、東京はソウルからリベラルの発達段階を学ぶターンに来ている気もします。
「マーロウ」については溜飲が下がった、っちゅうか笑、あれ一般的にはクソだと思われてて笑、僕、逆張りズムとかじゃなくて、マジで最高だと思うんですよね笑。それは音楽が単純にアメリカンクラーベみたいだし(それは凄いことなんですよね。映画史的にも、チャイナタウンとか、ロンググッドバイとかではなく「黒い罠」と直結してることになるんで)、ご説の通り、アイルランダーとヒスパニックを、明確に政治的(というか、植民地主義的に)繋ぐ線を引くというのは、やっぱ難しいですよ現代劇では特に。
僕もチャンドラー読みではありませんが、チャンドラーが孤独死したのは、TVシリーズ第1作「構想の視覚」に出てくるサンディエゴのホッジス湖畔(メキシコ国境の近く)の高台にある高級住宅街です。コロンボは、驚くほどヒスパニック問題を扱わないです(それ以前に人種問題を扱わないので=実質がコナン・ドイルなので)、イタリア系設定であるコロンボがヒスパニックや東欧(ピーター・フォークの父親はロシア系のユダヤ人で、母親はいわゆるアシュケナズですが。それがコロンボの、東欧、特にルーマニアでの絶大な人気と関係あるかもしれないです)に見える構図になってるんですよね。
そして、そんなコロンボの、シリーズ中最高にシリアスな回は、IRAの問題を扱うので(旧シリーズの最終回)、やはり優れた合衆国のエンタメというのは、人種的な補助線の引き具合だなと改めて思わざるを得ません。
リアルに相対性理論がよくわかるヤバい日記でしたが、今の世の中の感じがしっくりきました。
ピンプって言葉は初耳でした笑。
>>12
ソイル&ピンプ・セッションズって言うじゃないですか笑。スクエアプッシャーとかと同じですよ(違うか)
>>11
ご返信をいただきありがとうございます。
触発されたことを色々書こうかなと思っていたのですが、それよりも日記中で扱われている「屋台崩し」について(数時間前にいきなり)思いついたことがあり、そちらについて再びコメントさせていただきます。
<菊地成孔の日記 / 令和元年6月12日午前4時記す>
https://sp.ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi/blomaga/ar1773982
↑菊地さんが夢としてご覧になったこの筋書も、「屋台崩し」のバリエーションとして理解しうるでしょうか? この夢にまつわる話の内容は、短編としての完成度が高すぎてふいに思い出すことが多かったのですが、ここ数日ラジオデイズのコロンボ関連回を聴き続けていた最中に、今までとは全く別の文脈で思い出されました。
あと、ポランスキー『ローズマリーの赤ちゃん』のラスト近くの「あれ」も「屋台崩し」のパターンでしょうかね? シャロン・テート事件はこの映画が公開された後で起こりましたが、いわゆる「金持ち娯楽産業界で起きた殺人事件」の60年代末的インパクト(外傷性記憶)が、70年代から始まったコロンボの筋書に(無意識的にでも)影響を及ぼした可能性はあるのかな、と素人ながら思いました。その場合、『ローズマリーの赤ちゃん』的な「屋台崩し」がシャロン・テート事件とダブルイメージになっていたとしたら、フロイト的に面白いと思うのですが。
>>14
<↑菊地さんが夢としてご覧になったこの筋書も、「屋台崩し」のバリエーションとして理解しうるでしょうか? この夢にまつわる話の内容は、短編としての完成度が高すぎてふいに思い出すことが多かったのですが、ここ数日ラジオデイズのコロンボ関連回を聴き続けていた最中に、今までとは全く別の文脈で思い出されました。>
コレは夢なので、確かに屋台崩しは起きやすいですね。ただ、屋台崩しは現実で起きるものなので、夢の中での屋台崩しは現実の屋台崩しではないですが。
<あと、ポランスキー『ローズマリーの赤ちゃん』のラスト近くの「あれ」も「屋台崩し」のパターンでしょうかね? >
アレはドンデン返しだと思います(どちらも歌舞伎の用語ですが)。
<シャロン・テート事件はこの映画が公開された後で起こりましたが、いわゆる「金持ち娯楽産業界で起きた殺人事件」の60年代末的インパクト(外傷性記憶)が、70年代から始まったコロンボの筋書に(無意識的にでも)影響を及ぼした可能性はあるのかな、と素人ながら思いました。その場合、『ローズマリーの赤ちゃん』的な「屋台崩し」がシャロン・テート事件とダブルイメージになっていたとしたら、フロイト的に面白いと思うのですが。>
いやコロンボは、かなりダークサイドないです。「死者のメッセージ」という、アガサクリスティがモデルの、小さいおばあさんが出てくる会があるんですが、その役やってる人が、ローズマリーの、あの悪魔崇拝的な新興宗教の中核のおばさんですね笑。あと、もちろん、ローズマリーには完全バイト感覚で出ていた笑、カサヴェテスも1回出てますし、ピーター・フォークがカサベテス組なんで、ジーナローランズやベンギャザラ、フレッド・ドレイヴァーといった組員がこぞって出てますけどね。