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<菊地成孔の日記 2024年11月17日記す>
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<菊地成孔の日記 2024年11月17日記す>

2024-11-18 10:00
  • 10

 夢グループが、前番組、前々番組も含めると、気がつけばもう10年以上になるテレビ番組(BS朝日)があって、毎回見ているテレビ番組(BS朝日)があって、毎回見ている。「人生、歌がある」というタイトルで、まあ、改めていうまでもないが、ベタなタイトルである。この4月からは、司会が吉育三と岡田美里(ファンファンの娘で、元・マチャアキの嫁)になり、完全に安定した。

 

 夢グループのことも、ましてや、この番組のことを、「正しく」説明するのは、僕には無理だ。いま、説明が一番難しいものになってしまった。これを20世紀的なキャンプの果てとするか21世紀的なニューシングとするか、もう既に、前者はマツコ・有吉でも取り上げられまくっているし、なんと我が故郷の銚子電鉄(廃線になるなる詐欺と言われて30年ぐらい経つ。僕も、デビューしてからほぼ毎年、イベントの依頼が来るが=全てが「セーヴ・ザ・銚電」なのだけれども)とさえ夢グループはコラボしている。

 

 20世紀サブカルの知性の最高値を持ってしても、夢グループの説明は難しい。不確定性原理の説明が難しいような難易度ではない。そこに映るものは、50代以上の日本人なら誰でも知っているような有名物の残骸ばかりで、僕も、初見の時は残骸の集積にしか見えなかった。

 

 なのだけれども、それがそうでないことはすぐにわかった。その時の、途方に暮れ方はハンパなかった。自分の説明能力を過信していたのだ。何だって的確に説明できる。オレが説明して意味不明というやつは救いようがないバカだ。ということで、60年近く生きてきてしまったし、未だに、夢グループと、「人生、歌がある」に関して以外ならば、そのことに揺るぎはない。

 
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ビュロ菊だより
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最終更新日:2024-11-18 10:00
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 コロンボに関しては完全にアイスの身ながら、菊地さんの新著は「未精算の20世紀的トピックを21世紀的に批評する」ものになるのかもと思っていましたが、今回の日記で筒井さんの著作にも同じ視座をもって臨んでおられると知って驚きました。

「フェミニズム的に赤点な内容の作品群が女性当人から熱烈な支持を受ける」という(菊地さんが特番収録で察知なさった)現象は、この国ではスタジオジブリ作品によって夥しい件数が観測されているように思われ、実際に自分も(通俗的な意味での)ファザコンをヌルく温存していそうな女性の知人たちがジブリ作品を語る際に凄まじい移入を見せる例を多く見てきまして、「彼女たちはあの作品群の中にどのような位置を確保して・どのようにして自分の欲望を満たしているのだろうか?」と長らく疑問に思っていたところでした。
 このような「ある集団性にとって(政治的に)相容れない要素を持っている作品が、他ならぬその集団性から歓迎される。それを第三者が指摘しても解離されてしまう。そのような状況下における当事者性」は、以前菊地さんも「西部劇の良し悪しが解ってしまうインディアン」という表現で指摘しておられたと思いますが、実のところ「自身の尊厳を損いかねない対象に愛着と期待を抱いてしまう」心的機制は、4年前にバイデンに投票してしまったアイリッシュアメリカンの心情にも似て、極めて21世紀的に重要なテーマだと思います。

 何より菊地さんが、(筒井さん作品のミソジニー傾向と、それを看過して愛着してしまう女性読者。という現象に対して)それを不問のまま済ませていいの? と柔らかくも当然の批評を加えておられることが、(変な言い方ですが)単純にカッコイイと思いました。20世紀に不問のまま逃げ果せてしまいそうな問題系を21世紀に押さえておきたい(しかし経絡は開かないかもしれない)という御姿勢は、自分のような三十路には備わっていない問題意識と諦念であり、たいへん勉強になります。

 私の住居にはTVも録画機器も無いので、来月あたりhuluに繋いでコロンボを観てみようかと思います。菊地さんがかねてより指摘しておられる、ファン投票では最も人気のエピソード『別れのワイン』に(不問のまま)内蔵されているミソジニー&ホモソーシャル傾向についての分析が、現時点での私にとっては最も興味深いです。

No.2 4日前

今、コロンボを配信で少しづつ観ているのですが「忘れられたスター」がヤバすぎて先に進めません笑
クライマックスでタキシードを着たコロンボはもうコロンボなんだかピーター・フォークなんだかわからず「ハズバンズ」「カリフォルニアドールズ」「天使の詩」はもちろん「サイコ」のイメージまで召喚する凄まじいチェックメイト!
しかも結局「コロンボの負け(?)」という結末には参りました!

No.3 4日前

菊地さんこんにちは。BSの特番で顔出しの朗読が斉藤由貴と池澤春菜の女性二人で(ナレは男性)あきらかに池澤さんの表情がどうかしていて、朗読する『モナドの領域』のラストでGODが「時かけ」に言及するくだりは典型的マンスプレイニングだなぁと、これを最高峰と語る彼女の瞳孔は開いておりました。

全話録画はじめたコロンボ第一話『殺人処方箋』冒頭の若山弦蔵の声でやられて、なかなか前に進めません。ちなみに菊地さんが滞在されているのは、もしや閉館中の山の上ホテルじゃないですよね。

No.4 3日前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>2

 詰まるところ、プロパガンダの話なんですよね。プロパガンダに対する20世紀の総括っていうのはもう使えないですから、今、言語化し、客観化した方が良いと思うんですよ。

 「じゃあお前、筒井康隆の小説はプロパガンダだっていうのかよ?」っちゅう話ですが、チャップリンは、ヒトラーを「殺人狂時代」で批判した時に、「すべての映画はプロパガンダだ。ラブストーリーは愛のプロパガンダだ」と言いましたが、まあそれともまたちょっと違うんですよね。

 「千と千尋の神隠し」を、「若い母親」が熱狂した時、「ああ、これが純粋プロパガンダだな」と思いました。「純粋プロパガンダ」というのは、見るものの政治性を見えなくしてしまう。ただそれだけの力で、その先がないものです。ただ魅力的で、それ自体がめちゃくちゃ売れるけれども、ナチスのプロパガンダとかとは違うという感じで。

 「夏樹先生、いいんですか女はバカで感情的だ、ぐらい欠いてある小説に熱狂して笑」と言ったら「男もギタギタにやられるからいいんです!!笑」と、元気にお答えになったので、一瞬納得しそうになってしまいました笑。

 僕は20世紀みたいに、プロパガンダを脅威に思う、とかいう話がしたいんじゃなくて、また、クラカウアー時代の「プロパガンダには、人々を熱狂させる要素がある」とかいう話とも違って、まあ結局アンビバレンスですね。ご説にあるバイデンに投票。のことですが、そもそもアンビバレンスは精神分析学の用語です。SNSは、ちょっと前まで、悪いやつを消せる。と、特に根拠もなく思い込んでいました。が、結局、消すことは出来ず、ヤバい人を押し上げる力が証明されてしまった。これだけでも、プロパガンダについて落ち着いて考え直すべきだと思いますし、あらゆるエンタメに対しても然るべき形で処すべきだと思います。

No.5 3日前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>5
「池澤先生」でした笑

No.6 3日前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>3

「忘れられたスター」にやられた時、コロンボかっこいー!(あれは「タキシードコロンボ」のデビュー作ですし、次作「ハッサン・サラーの反乱」で「パス」として2度連続でタキシードコロンボが登場するんですが笑)となりますよね。映写室の投射光と埃だけで演技したりしてかっこいいですし。

 とまれ、ジャネット・リーのキャッツアイとかにもヤラレてるんですよね笑。意識の表層まであがってくるかどうかは別として。ジャネット・リーかわいい良い人だけれども、ショーの資金欲しさに、あんなに良い旦那さんの頭を拳銃で吹っ飛ばすんで笑、えぐいですよね笑。

 パスについて欠いておきます。こういう具合になります

 「5時30分の目撃者」から「忘れられたスター」へのパス(共通フラグメント)

 1)ヒロインの心、もしくは脳に問題があって、心的に常に不安定(殺害後に錯乱)
 2)病理考証が曖昧
 3)ヒロインがエロい
 4)ヒロインが飛び降りる
 5)寝不足コロンボ

 「忘れられたスター」から「発散・サラーの反乱」へのパス

 1)タキシードコロンボ
 2)法律的に、特措的なエンディング
 3)たくさんのヤングと、絡む(ヒロインと若いダンスチーム)(コロンボと学生デモ)

 
 

No.7 3日前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>4

 池澤さんはマンスプレイニングというより、ファザコンの人がトランスしやすい。という現象だと思っていたんですが、ただ、収録が終わるまで知らなかったんですが、日本SF協会?の会長さんなんですよね笑。「ファザコンの女性がマンスプレイニングしやすい」とするとしっくり来ますね笑。ああいう方は、敵対者には強い(対応できる)んですけど、僕みたいのは気持ち悪がられたと思います笑


 

No.8 3日前
userPhoto 菊地成孔(著者)

>>8

 あ、山の上ではないです笑、今あすこ、ぱんぱんですよ笑。っていうか、もう戻ってきました。結局スタジオで書くと思いますね笑。ネカフェは全く馴染めませんでした笑。

No.9 3日前

>>5

 ご返信をいただきありがとうございます。「純粋プロパガンダ」に関し、連想されたことがありましたので余計ながら付記します。
 2020年代に入ってからの日本国においては、「銃刀法」なるものにまつわるイマジネーションが、純粋プロパガンダ的な非政治性でもって前景化するようになったと思います。これは『タクシー・ドライヴァー』トラヴィスめいた銃器へのフェチシズム=暴発待ちの童貞性ではなく、主に「カッコよく銃を持ち・使う女性」のイメージで市場に流通しています。

 そもそも Ado のブレイク端緒となった『うっせえわ』(2020年10月発表)のMVが「怒りとともに銃をぶっ放す少女」でしたが、あの曲に付けられた歌詞と動画には「まだ(当時)高校生だったはずのヴォーカリストが、職場での飲み会マナーのような些事について怒りをぶつける」というテーマから「でも、あなた未成年でしょ? その歌詞で唄われてる飲み会のこととか、あとMVでカッコよく撃ってる銃の所持とか、一体あなたと何の関係があるの?」と問われただけで詰んでしまう余地があり、いわゆる「多感な少女の思春期的反抗」の20世紀的イメージを寸分も出るものではありませんでした(当然ながら、女性が置かれている政治的境遇からの変革必要性を「多感な少女の思春期的反抗」のような旧弊なラベリングから引き離すことこそが21世紀的なフェミニズムの前提条件であり、それを基準に評するなら、 Ado に『うっせえわ』を負わせたスタッフたちも・彼女自身も同時代のフェミニズム的に失格だったということになります)。が、大きく「コロナ禍期に入ってから」としますが、「日本国籍の少女ふたりが、職業性を帯びた任務として銃を扱う」テーマの作品が実写映画とアニメの両方で立て続けに出てきまして(前者の実写映画は2021年7月/後者のアニメは2022年7月発表。ちなみに、後者のアニメの第1話が放送された翌週に安倍晋三が射殺された)、それらの作品たちは、いわゆる「リベラル」な作品評価軸を持つ人々の間でも高く評価されました。
 トカレフとマカロフの違いさえ解らない私のような銃アイスから見ると、先述の作品たちは「銃器なるものがもたらす小児的万能感のあられもない表出」、およびその気持ちよさの享受を目的とするソフトポルノ(←一般的リビドーに置き換えてより正確に喩えるなら、性欲グツグツの中学生なら問題なくオカズにできる程度にはエッチな少年誌連載漫画。くらいの質)にしか映らなかったのですが、それらの作品は、とある「銃をはじめとする兵器がもたらす愚かさをテーマに据え続けている世界的ゲームクリエイター」や、「主にUSA経由でリベラリズムやフェミニズムの一般性を身につけるようになったラッパー兼映画批評家」からも無邪気といってよいほどの絶賛を受けており、そのさまを見た私は「えっと……あなたがそれを好きになること自体は別にいいんですけど、それは日本国に厳然と存在する銃刀法という、暴力の直接的激発のストッパーを “想像的に” 排除してよい、という態度の表明に他ならないのでは……」と思ったのですが、現在においてもそれらの作品群は好評を得・続編も予定され続けており、ああこれは指摘しても解離されるパターンだからもう無駄だな……と諦めたことがありました。
 しかし、 Ado の『うっせえわ』が「多感な少女の思春期的反抗」の枠におとなしく収まっていたのに対し、ここで述べた実写映画やアニメは前提として「いいね? ここはいくらでも好きなように銃を扱える世界だ。銃刀法なんてつまらないものは一旦忘れるんだ。そんな現実の世界よりずっと心踊るものを見せてあげるからね」と懐柔しにかかる構造を備えており(というか、作り手当人たちがそのような心性をフェチシズムと併せ持っていたとしか思えない)、隔世の感があります。「銃ってカッコいいぜ」の精神が男の童貞性から少女の刹那性に輸出され、それで問題なく機能するようになったこと。あれほどマリファナやアシッドを絶対悪とし・ドラマやアニメやマンガの登場人物にさえ使わせない(使わせるとしたら必ず「堕落」や「頽廃」のラベリングが伴っている)日本人が、銃器に関しては現実の法律無視で実写・アニメ問わずキャラクターたちに持たせてぶっ放させて耽溺してしまえること。など色々ありますが、最も呆然とさせられるのは、「銃のイメージがもたらす気持ちよさに躊躇なく耽溺してしまえる人々がこんなにたくさんいるなら、いつか現実の銃刀法もなくなっちゃうだろうなあ」と自然に思わされてしまうことでした。これがゲッベルス的な20世紀プロパガンダなのか/21世紀的な純粋プロパガンダなのかは判然としませんが、少なくとも前者の「仕組んだ政治家/踊らされる大衆」という陰謀論的二分法で対処できる代物でないことは確かです。

“SNSは、ちょっと前まで、悪いやつを消せる。と、特に根拠もなく思い込んでいました。が、結局、消すことは出来ず、ヤバい人を押し上げる力が証明されてしまった。これだけでも、プロパガンダについて落ち着いて考え直すべきだと思いますし、あらゆるエンタメに対しても然るべき形で処すべきだと思います。” という菊地さんのご指摘に触発されるかたちで書いてみましたが、この間にもX上では兵庫の投票結果をもたらした大衆的心性をナチスのプロパガンダになぞらえるお定まりのルーチンが可視化されており、その「管理された欲望」にまつわるイマジネーションの貧困ぶりに驚かされます。「管理された欲望を管理する構造」まで考えろとは言いませんが、菊地さんの“プロパガンダについて落ち着いて考え直すべきだと思いますし、あらゆるエンタメに対しても然るべき形で処すべきだと思います。” という得難く冷静な視点には寄り添うものかもと思い、ひとまず縷述してみました。
 ここで私が述べた内容が『七瀬』シリーズの内容分析にも使えるかどうかは解りませんが、2020年代以降に銃を扱う主体として執拗に求められたのが「若い女性」で、それが『セーラー服と機関銃』的に率直な男性側のリビドー暴発とは異なった質であることが重要かもと思います。


追伸:
 いただいたご返信のなかで、池澤春菜さんのお名前が父親の「夏樹」にされていますが、これは菊地さん側のフロイディアンスリップとしても面白いと思いました(笑)。意地の悪い指摘ですが、池澤春菜さんのように「優秀な文化的父親を持ち、その資本を潤沢にあてがわれて育った女性」は、こちらの愚見として述べた「根本的に母性憎悪/少女崇拝なスタジオジブリ作品に熱烈な移入を抱いてしまう女性」のプロファイルとして典型的な例なので(笑)。

No.11 3日前

筒井康隆作品に触れたのは、中学に入った頃にドラマ「木曜の怪談」枠で『七瀬ふたたび』(七瀬役が水野真紀さん/筒井先生もエロ親父の悪役で出演)を観て面白いなと思ったのが最初ですが、
直後に『家族八景』を読んで軽く人間不信(男性不信)になりました。
義務感からシリーズ三部作は読み通しましたが、失礼ながら苦手意識が拭えず、他は短編を何作か摘み食いした程度で長編には手を出せないでいます。

筒井先生ご自身はおもろいおじいちゃんで好きです。
菊地さんのことが出てくる部分目当てで読み始めた「偽文士日碌」も全編楽しんで読みましたが、今年いっぱいでサイトが公開終了だそうで残念。webはこれが怖い。
未刊の後半部分も書籍化されるといいのですが…日記文学は残してほしいものです。

邪道なのでしょうが、小説に関しては作品そのものより書評を読む方が好きかもしれません。
うちはテレビがありませんが、ご出演された『100分de名著』はとても気になるので
配信で視聴できる方法を調べたいと思います。

No.12 2日前
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