うおっとびっくりしたあ!昨日、電少のラストライブ観て渋谷系のことばっかり考えてたら、大晦日だと思っちゃったよ!まあ<映画に憧れる音楽の大晦日だった>。と言えなくもないけれどもムッフー。何せ電少は音楽としての自立性の臨界まで来ている。昨日も書いたけど「曲が終わっても拍手がない」んだよね。演劇(歌舞伎とかも含めばもっと)だって途中で見栄切りがあって拍手するでしょ。それもない。なぜか?映画だからだ(「日本人が見る」とする。アメリカ人は映画に対し、音楽のコンサートぐらい拍手喝采するから)。

 

 もうこれ以上、音楽が映画に寄生 / 擬態 / 同一化を起こすことは出来ない。「ライブを全て映画作品として完成させ、映画館で上映する、という活動内容のバンド」という、一種の極限値に出て来て欲しくもなくもないが無理でしょ。ビリオネア~トリリオネアが「映画制作」に目もくれなくなった今、映画は産業としては発達化