久米宏が亡くなって、例によってオールドメディア一本槍だけれども、最初は尊厳死だと思った。以前書いたが人類の平均年齢は近代に入っていきなり2倍になり、21世紀には更に1・5倍になるらしいので、130ぐらいまで寿命が伸びたとして、尊厳死はカジュアルになると思う。自死は負けをイメージするが、負けでない自死があるとしたら、過去には戦士しかなく、未来には尊厳死があると思う。

 

 別にスキャンダラスなことを書いているのではない。20世紀中盤までの俗流ソフトSFの多くは<人間は不老不死になって、デカダンになる>とするのが平均的なものだったが、やはり現実になると違う、小説には未来への予兆性はない気がする。音楽や絵画と比べると象徴の力が著しく低いからだ。

 

 久米宏に関して、特にファンだとかアンチだとかいうことは無いが、世代的に仕事のほとんどは知っている(それが一番「強い」ということだと思うけれども)。その上で、日本人で「尊厳死」がカジュアルになる時代の先駆けとして、ある種のダンディズム(「ニュース・ステーション」の最終回のビール一気飲みと同じ、ソーダ一気飲みの後、元日に死亡。と妻が発表。というのはムッチャクチャ昭和和風ダンディー=「そんなに上手くいくかい笑」)をキックボードに「実行」する有名人がいるとしたら、後出しの発想になるが、久米宏しかいないのでは無いかと思ったからだ。