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吉田豪が語る「スマッシング・マシーンとPRIDE、紙プロの狂った時代」<前編18000字>です!(聞き手/ジャン斉藤)
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https://live.nicovideo.jp/watch/lv350299814
──Dropkickのジャン斉藤です。今日はですね、元『紙のプロレス』スーパーバイザーの吉田さんをお迎えして、当時の『紙プロ』や先日公開された映画『スマッシング・マシーン』の話を聞きたいと思います!
──あ、『スマッシング・マシーン』のほうが先ですね(笑)。
吉田 この配信には『スマッシング・マシーン』についてあれこれ聞きたい人が集まってるはずだから。ただ、タイムラインとか見るかぎり映画の評判はあまり良くないんだよね。
──そうなんです! ボクも試写会で見たときに「これは超微妙だな……」と。吉田さんはどうだったんですか?
吉田 試写会で映画会社の人に感想を聞かれて「面白かった」とは答えた。それはいろんな意味で語りがいがあっておもしろいし、思わず間違い探しをしたくなるって意味で。ちゃんと作ってるからこそ、「ここが事実と違う!」「あのキャスティングは酷い!」という話で盛り上がるんだろうなと。で、ついでだから映画で描かれていない余計な事実を、会ったばかりの映画会社の人に教え込んだりした(笑)。
──ボクはとりあえず「再現度がすごい!」しか言わなかったんですよ。
吉田 そう、そこはちゃんとお金をかけて頑張っていることはわかったよね。
吉田 それはもともとケアーのドキュメンタリー作品があったという前提を知らないと意味がわからないところだから、大槻さんにはDMでそれを伝えておいた。この映画を見ると、当時のPRIDEでマーク・ケアーが大スターだったかのように錯覚するけど、そもそも日本でいい試合はひとつもなかったからね。PRIDEデビュー戦で、つまづいちゃったところも大きいけど。
──ホイス・グレイシー戦の予定がケガでシカティックに変わり、その試合もシカティックのロープつかみによる反則勝ちの消化不良決着でしたね。今日はそのへんを含めていろいろと語りたいですが、ボクと吉田さんの関係がわからない人のほうが多い時代になってまして。
吉田 コメントで、「ロフトでやった『紙プロ』同窓会の配信にもジャン斉藤はいなかった」ってあるけど、2回目には出てるんだよね。
吉田 (松澤)チョロ経由で斉藤くんに、ある格闘技本を渡したために、後日警察に呼び出されるという事件もあったけどね。貴重な本を借りパクされた上に取り調べを受けたという(笑)。
──あー、その話はめちゃくちゃ長くなるので、やめておきましょう(笑)。いまは『紙プロ』も知らないプロレス格闘技ファンが多くなってるんです。正式名称は『紙のプロレスRADICAL』(のちに『Kamipro』に誌名変更)という雑誌があって、ボクはそこの編集者だったんですけど。吉田さんは同誌のスーパーバイザーでした。
吉田 『紙のプロレスRADICAL』の前が『紙のプロレス』というミニコミ誌的な雑誌で。もともとボクはその『紙プロ』の編集スタッフだったわけですよ。
吉田 その『紙プロ』が分裂して。編集長だった会長(山口日昇)以外のスタッフは、ファイティングTVサムライの設立に関わったり、『SRS-DX』という格闘技雑誌をやったりしたけど、K-1の運営にもがっつり噛んでいたという。
──そこを仕切っていたのが『紙プロ』の発行人だった柳沢忠之さん。いわゆるローデス一派。
吉田 ローデス組と『紙プロ』組に分かれて。ボクは両方で仕事をしたいから、フリーとして両方に顔を出していて。結果的に『紙プロ』の事務所に机を置いて、山口日昇をサポートするような流れになったんだけど。山口日昇は失踪しがちだったから、その穴埋めをしていたことでスーパーバイザーの肩書がついたんだと思う。
吉田 ホントにどこかに失踪したわけではなく、家に閉じこもって連絡がつかない状態。まあ鬱だったわけだよね。結局、いまと違って当時は鬱にそれほど理解がない時代で。山口日昇は通院もしてなかったし、薬も飲んでなかったはずで。だから現場もホントに大変で、編集長というすべての責任を取る人間が月の半分近くは現場にいない。企画会議で何を取材するかと決めたあとにいなくなって、山口日昇が取材まではしていることもあれば、何もしてないこともあったりで。
──山口さんの本名は「山口昇」だけど、前田明を「前田日明」に変えたように「日」を付けましたね。
吉田 そもそもRADICALはリングスと同じ一人ぼっちの旗揚げだから。
──それなのに山口さんは、別れたローデス一派との交流は続いてましたね。
吉田 そこは感情的にこじれての分裂ではなかったからね。
──ローデスはこのあと、もっと深い話になるのであとにするとして……吉田さんがスーパーバイザーだったけど、あくまでフリーで編集部所属ではなかったですよね。
吉田 事務所を間借りしていただけで、家賃が月2~3万だったかな。そのぶんRADICALを手伝うっていうルールだったんだけど、書評連載+インタビュー1本以上は毎月やっていたから。
吉田 それプラス全員の原稿チェックしたり。取材で誰も編集部にいないことが多いから電話番も留守番もやってたし、誰よりも早く出社しがちでもあったし。
──吉田さんに自覚があるかはわからないですけども、吉田さんに原稿を見られるのがすごいイヤだったんですよ(笑)。
吉田 わかるよ。キッチリとダメ出しはするからね。
──当時はデザイナーからFAXでゲラが送られてくるんですけど、松澤さんは吉田さんに見られる前に隠すじゃないですけど(笑)。
──それで『紙プロ』の編集部は鍛えられたところはありますね。ボクも編集作業は素人。『紙プロ』編集部に履歴書持参でアポなしで訪問した前日に、編集者が失踪したことで運良く採用されただけでした。
吉田 基本、『紙プロ』って野良の人が集まってて、ボクと山口日昇だけが編集者としての経験があったから。
──素人のボクが幸運だったのは山口さんと吉田さんのインタビュー原稿の担当だったことで、原稿のまとめ方を教わったことですね。あとレジェンドレスラーの取材現場に立ち会えたことなんですけど、一番思い出深いのはストロング小林さんの自宅訪問です。
吉田 小林さんには非常にお世話になりましたよ。本当にかわいらしい人で最高の思い出。マニアな視点でストロング小林さんを取材する人たちはいたけど、呑気な感じでいったら想像以上のかわいらしさ全開インタビューですごく盛り上がって。当時出版されたスタン・ハンセンの自伝に、ストロング小林にボディスラムをやろうとすると、高等テクニックで俺の股間を掴んでくるから力が出なくなって……みたいなことが書いてあって(笑)。
──どんな高等テクニックなんですかね(笑)。
吉田 そのことを小林さんにぶつけたら「そんなことするわけないじゃない。オカマじゃないんだから!」って肩を叩かれて(笑)。「なんだ、この完璧な返しは!」ってすべてが面白かったんだよね。原稿でも、とにかくかわいらしい口調をそのまま活かして、本人の原稿チェックでも削られることもなく。唯一削られたのが当時『元気が出るテレビ』で結婚相手募集の企画をやったという箇所だけ。「そこがNGなんだ!」って。
──あのとき小林さんが吉田さんのことをめちゃくちゃ気に入ってましたね。
吉田 そうそう。取材が異常に盛り上がって「原稿チェックはどうしますか」って聞いたら「FAXがないから直接、あなたが持ってきてちょうだい」って言われて。その日は小林さんの自宅の1階で取材してたんだけど、「今度は2階にあるプロレスグッズを見せてあげるから」って。ぜひ2階にも行ってみたいけど、また来るのはキツイから斉藤くんに頼んだんだよね。「海外出張で行けません」と嘘をついて。パスポートも持ってないのに(笑)。
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