池田にとって絶体絶命のピンチに思えたこの場面。しかしマウンドの橋川正人は驚くほど冷静だった。彼は強打でならす優勝候補の浪商にも、あるいは甲子園の数万の浪商応援団にも、一歩もひるむところがなかった。

この池田の「ひるまなさ」はどこから来るのだろう。それこそがおそらく、蔦野球の真骨頂ではないか。蔦文也は、池田町にルーツを持ちながらも、徳島市で生まれ育ち、当時まだ希だった大学に通うため大阪に出た。その後、徴兵され特攻隊員として全国の基地を周り、さらにはプロ野球選手として東京にも一年間暮らした。

この時点で、蔦文也はすでに「世界を一周」しているといっていいだろう。都会から地方まで、天国から地獄まで、栄光や挫折、生と死も含めて、この世のほとんどのものは全て体験済みだった。

その経験値の深さが、文也の人間性の深さとなっていた。文也は人間そのものは確かに小さかった。巨大な世界の前に、虫のようなちっ