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tako2008さん のコメント

>>1

私は、当時の日本の指導者達は、「愚かでもあり、賢くもあった」
と思います。

当時はまだ、人類が今ほど賢くなく、世界の価値観として、
中世の戦国時代の延長にあったと思います。

「支配するか、支配されるか」という、弱肉強食と相互不信の中で
各国がしのぎを削って生存競争を生き抜いていました。

近代的な軍事力を持てない国はどうなったか。
もちろん、東南アジア諸国のように、何百年も植民地にされ、
そこでは白人を神として崇めなければならなくなったでしょう。

その状況で、「国土防衛」を疎かにするわけにはいきませんし、
現実的観点から「軍事力」を捨てるわけには行きません。

そして、軍事力を維持し、軍備を増強するには資源が必要であり、
何らかの手段で資源の確保は必要だった。

かつての我が国は、その資源確保の手段を、間違えたと思う。

侵略して奪い取るのではなくて、「貿易」あるいは「出資」による
「共同開発」という手段で資源を確保するべきだった。

しかし、当時は、経済優先ではなく、軍主導の「先軍政治」で
あったで、「貿易」とか「経済協力」という近代的観念が薄く、
また、欧米の植民地主義を真似た面もあったと思います。

そして、短絡的に中国を侵略するという行為を行ってしまった。

これは完全な戦略のミスだと思います。
自ら周辺国である中国を敵に回し、包囲網の一つに参加させている。
中国とは、敵対するよりも、「利害」を説き、協力するべきだった。

当時の日本に対する脅威は、植民地主義、帝国主義を正当化してい
いた「欧米」であって、中国が脅威であったわけではません。

これにより、米国は日本を警戒するようになり、戦争の口実を
与える動機にもなってしまった。


>軍部での出世競争みたいな部分が多く、軍事費を拡大するための
>口実作りという側面はなかったのでしょうか?

NakaBBさんの言われたことが、まさに諸悪の根源だと思います。

中国という格下の「侵略し易い国」がすぐ隣あり、これに軍部の
連中が己の野心のために短絡的に飛びつき、戦略を誤らせた。

「専守防衛」に徹する場合、外国に基地を持つ必要はなく、
地政学に意味はありませんから、他国を侵略する必要はない。

「軍部の野心」が資源確保の手段を誤らせ、国の舵取りを誤らせた
と考えるのが妥当ではないでしょうか。
No.4
124ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
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孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。