「鳥類学(オーニソロジー)と言ったのはバード(鳥)である。はいこれを英語で」 

 

 辻村くん(オーニソロジー)やYuki Atoriくん、守くんと一緒に北京ダックを食っていたら1月が終わってしまった。素晴らしいプレイをしてくださった宮川さんと小川さんは明日が早いということでお帰りになったが、恐らくそれは、良くも悪くもなく、「家庭がある」ということだろう。僕にはとうとう経験できなかったが、「家庭を持ち(維持し)、子供ができて、家族のためにもステイタスをあげ、家族を食わすためにちゃんと働く」というのが労働のグランクリュだ。誰もが最短でも一時的にそうなる。今日、テーブルに着いた3人だってやがてはそうなるかも知れない。それはとても達成感と自己肯定感をもたらす、強い行為だからである。

 

 このコースから自発的、恣意的にコースアウト出来る人間はいない。適応できたら死ぬまで続けることになるこのコースに、乗れないのに乗っかってしまい、弾き飛ばされたものだけが、1週間の中で、2日も同じ北京ダックを喰って、朝まで飲んでるような人間なのである。この僕のように。

 

 60になると、飲み食いの量が減る。性交に至ってはもうやめてしまう者も多い。僕は煙草こそ止め(「止めさせられた」が正しい。僕は欲望に関して、恐らく、だが、自分から止めた事は一度もないと思う。誰かに止めさせられるだけだ。生きることが欲望なのだとしたら、だが、僕は殺されて死ぬだろう)たが、飲み食いが全盛期の半分まで落ちたわけではないし、性交も変わらずしている。「人のセックスを笑うな」という本が売れたのがいつかは忘れてしまったが、僕のセックスを見たら、多くの人々は慄くと思う。ロジェ・バディムの自伝の中に、ピカソと寝たことがある女性が出てくる。「どうだった?」と聞くと「殺されるかと思ったわ」と彼女は、「実に嬉しそうに」答えるのである。

 

 性愛もろくに経験せずセクシスト(エクソシストならともかくだ)という言葉を簡単に口に出して、(僕を含む)呪われた人々を糾弾してはスッキリすることもできないバカにもわかるように嚙んで含めるが、別に絶倫を誇るとかではない。子育てや家族の維持にかかる莫大な労働を逃れた、僕らはある意味での兵役拒否者だと言える。人は自らにはいくらでも逆らえるが、天命には逆らえない。自分の神に背いてはいけない。もう一度最初から。小さなライブハウスが満員になって、全員が満足する。そこからもう一度やり直すのである。