グルメエッセイ「もしあなたの腹が減ったら、ファミレスの店員を呼ぶ丸くて小さなボタンを押して私を呼んでほしい」
第五回 <ドイツをもう一度最初から>
06/11/14
本日もペペ・トルメント・アスカラールのリハーサルでした。本日は業界用語で言うところの「ゲネプロ」でありまして、本番と同じ形で全曲を通して演奏する日なのですね。
今やアイドルの方々でさえも「明日はゲネだぁ~」等という程に業界に定着しているこの言葉ですが、ワタシの推測を申し上げれば、これ「和製ドイツ語」ですね。
高い確率でゲネラル(「総合/全体」)とプローベ(「練習/稽古」)をくっつけたもので、恐らく、クラシック関係者が最初に使ったと思われます(ドイツ語に多くの基礎用語を持つ業界と言えばクラシック界と医学界と登山界ですが、手術や登山にゲネプロ。つまり「総合的な練習」を行うという可能性は、まあゼロとは言わないまでも、かなり低いと思いますので)。
これまた推測になりますが、ヨーロッパのオーケストラでは「ゲネプロ」という略語、というよりも、そもそも略語など使わないのではないか。特にドイツ人いうのは、全部しっかり言おうとするが余り、単語がとんでもない長さになる人々。でして、ワタクシ昔日はかなり頻繁にドイツに行きましたが、「エビ蒸し餃子」をゲデンプファー・ガルネーレン・クネーデルン・・・もう忘れてしまったな。何にせよとんでもない長さの言葉で注文したのを覚えております(その、すさまじい不味さと共に。私感では世界中で最も中華料理を独自に咀嚼してしまっているのがゲルマン文化です)。
とまあ、例によって例の如く、「何だってググったら仕舞い」という世界の中で、少ない教養から推測や妄想をたくましくして生きる。という方法を採用しておりますが、「最近のドイツ人はそうでもないんですよ。アメリカ人みたいな言葉の使い方になってます。フランス人のように」といった声がドイツから届いたとしたら楽しいな。というような話でもあります。
06/11/16
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菊地成孔様
今でも、ドイツでは短縮されずに言われています。
ドイツの日本食レストランで働いていますが、毎日長い長いセリフ(メニュー)を言っています。
たかだかエビ天ぷらを言うのにも「ゲバッケネ ガルネーレン イム テンプラタイヒ イン ライヒター レティッヒ サケ ソヤゾーセ」だのとにかく長い。そしてドイツ人はきちっとすべてを言っている。私は面倒くさくて全ては言わないんですが。
はい、中華が不味いのもそのまんまです。
世界中での、安くて美味しいものが食べたければ中華に行け!というお約束を、きっちり裏切ってくれるのがドイツの中華。持ち帰りさえも不味くて買いません。
彼らにとって、食事とは栄養的にあるいはお腹が減るので食べるというだけのもので、それ以上の何物でもないです。悦びも追求心も、食事にお金を使うこともない。
現状を変えたくない国民性のためか、何十年経っても、あんまり変わらないと思いますよ。
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うわすぐ翌日にこんなお便りが届きました。有り難うございます。何と、ドイチェランドでは少なくとも略語に関する文化と中華料理に関する文化は健在の模様です。素晴らしいガンコさですねー。どうやったらあれほど不味い中華料理が出来るのか、厨房に潜入して、一挙一動を見つめる欲望に駆られるほどですが、とはいえ、南北極とオセアニア以外、ほとんどの地域に伺った身として申し上げるならば、朝食に関してはドイツ(とオーストリア等のゲルマン圏)に悪い思い出はありません。
特に、カタカナでは表記が難しいブラート・ブリュスト、つまり「焼いたソーセージ」ですが、これに関しては、サラミやソーセージに限らず、世界中の肉保存食の中で一番旨いと思っております。「ソーセージは茹でるのが通だ(粒マスタードをつけてね)」みたいな風潮がありますが、焼いたものを何も付けずにそのまま食べるのが最高でした(特にニュールンベルクでは。因に「ニュールンベルガー」は、日本では使われませんが、ソーセージの種類の名称になります。小振りの奴ですね。南米料理の「チョリソ」という鉄板焼きの辛いアレは、明らかにニュールンベルガーの影響下にありますね。そっくりだもの)。
とはいえ「晩飯の楽しみがない」というのは困ったことでありまして、勢い、朝食と昼食(大抵、ブラート・ブリュストか、有名なヴィーナー・シュニッチェルか、ホッペルポッペルとかいった剽軽な名前がついた、所謂「ジャーマンポテト」と、食後には名前は忘れてしまいましたが、カルトフェル何とか、ええとこれは、ジャガイモのパンケーキですが、それにアプフェル・ゾーセ、つまり擦りリンゴのソースがかかったものを食べます)を食べておなかを一杯にし、夜はトローテ・イン・ブラウ(鱒を酢とバターで炊いた奴)か、レバー・クネーデルン・ズッペを半分(レバーを肉団子にしたものをコンソメに浮かべたもの。それでも日本人には食べきれないほどのポーションなので)と発酵生地の堅くて酸味のあるパンひと齧り。食後はナーハ・シュパイゼ(スイーツ)を何か一つ。といった感じで、ひっそり終わったものです。
夜が軽いので健康的ですね、イタリアやフランスに行くと、貧相なワタシでも立派な食デカダンになります。朝から晩から深夜から早朝まで食べ続けてしまう。
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これがまだ、私が酒を嗜む前(直前ですが)に書かれていたという事実に、我が事ながら圧倒されるほどです。私が今のように葡萄酒をがぶがぶ飲むようになるのは07年に入ってからでして、それまではグラス一杯で、いやさ一口だけで顔真っ赤っかといった有様。味は好きだし、下戸の癖にちょっとした知識があったりして、最初の一口のためにグラスワインの一番高いのを頼んで、後は残す。という、貴族的なんだか貧乏臭いのか意味がわからない感じだったんですね。
まあまあ、人生いつ飲み始めるか、死ぬ前日に。という人だっていると思いますし、誰にもわからない。わからないのが人生で、日記を紐解くというのはそういう愉しみもあるわけですが、もしわたしが、高校生から。とまでは言いませんが、30代で飲み始めていたりなんかしたら、少なくとも90年代(27~37歳までの10年間。この時期私は、最も数多くの欧州ツアーをこなしていました)のヨーロッパ体験は大変なことになっていたなと思います。