菊地成孔の一週間~1人称そしてポーションに関する哲学者のごとき探究を終え、なんかもう適当にやれば良いやたかが日記なんだからと開き直るそろそろ今年ももう終わりですね~




12月11日(火曜)

 

「ポップアナリーゼ(当メルマガの動画コンテンツ)」の収録。来年の1月分(2013年の最初の4回分)という事に成る。カメラに向かって「あけましておめでとうございます」とか言って、テレビタレントにでも成った気分である。



 ネタバレ、という程ではないが、12月の女学生である(大変な才媛であり、秘密結社鷹の爪の吉田君にそこはかとなく似ている)小田朋美さんに<今月の女学生>ではなく、分析チームのメンバーになって貰い、プレ・シーズン2の特別月間として「新春転調ショー」というタイトルの遊びをやった。



 全員に「オレの好きな転調ベスト5」を持ってきてもらい、順番に一人ずつプレゼンしてああだこうだ言い合うという、一種の正月番組なので、楽理の話はキツいなあというビュロ菊会員の方にもお楽しみ頂けるのではないかと思う。



 田中ちゃんと小田さんが5時でタイムアウトなので、収録後に原稿を書いたりして、選曲家の中村くんを待つ。既にオンエア後だが、12月16日のスペシャルウイーク(「粋な夜電波」を、というかそもそもAMラジオを聴かない、という会員の皆様の為に説明すると、聴取率調査の週間というのがラジオ界では決まっており、まあまあ、そこに力を入れるのである)用に、オノ・ヨーコさんのソロ音源ゲットを頼んでおいたのと、中村君の「仕入れ」もいくつか聴いてみる。どれも良かったのだが、オノ・ヨーコがあらゆる意味で桁違いだ。いつか特集を組もうと決心。



 その後ブリッコラへ。中村君は前シェフ&スムリエ独立後の新生になってから一度も行っていないので、その違いに驚いていた。



 前菜6種ミスト(金時豆のヴィシソワーズ、赤ピーマンのブルスケッタ、姫帆立のジェノベーゼグラタン、大麦を使ったイナダの手鞠寿司風、小ミートローフ、スプーン乗せのフォワグのムース)は、赤ピーマンのブルスケッタが飛び抜けて旨く、甘みも香りも歯ごたえデザインもハンパ無い。点心のような集中力。



 その後も白トリュフのリゾット、太打ち麺のジェノベーゼ、低温熟成の和牛肉を何とサルスイッチャに(「熱いサラミ」みたいな。焼いてサラミ喰う人には夢の一皿)。という絶品が並ぶが、一番驚いたのは、スムリエの村上さんが合わせた一本目だった。



 そもそも前任の原品さん(現、神谷町「ダ・オルモ」)と村上さんは先後輩の関係で、お師匠さんは一緒である。このお師匠さん(ルックスが伊藤俊治先生とソックリ。旨そうでしょう)は今は地元で料理店をやっているが、とにかくこのお師匠さんの必殺技だったのだと思う。「濃いめでワイルドな、誰も飲んだ事のないような白、によって、うるさがたの客をひーひー言わせる」が。



 「DINAVOLO」は、聴いた事の無い土着品種を使って、若手の精鋭が好きなように作った07。という説明しか覚えていないのだが(味にビックリしてみんな忘れてしまったのだ)、色的にはもうロザートであり、味はかなりワイルドで、人肌やチーズ蔵の白カビ感、唾液や涙等、澄んだ分泌物の香りと、深い酸味、とんでもない所に位置している糖と熟成感、と、けっこうワイルド&アクロバティックなのだが、料理と合わせると、これがもうとんでもなく旨いので、中村君と二人で大笑いしてしまった(まだあると思うので好事家の方は菊地のメルマガで見たと言ってオーダーして下さい。合うのは肉)。



 確かにこの技は原品さん時代からのブリッコラの必殺技だったのだが、北村さんの女性的で繊細な料理に、ともすれば勝ってしまう事があり、現シェフのクラシコでウオモな料理には、クロスカウンターのようにバッチバチである。ひーひー。



 更に我々の世代には懐かしい「オッソブッコ(牛テールの煮込み)」が復古しているのも超嬉しい。「オッソブッコとコトレッタディロマーニャ出してくれたら2万払う」とか、この10年位半ば本気で言い続けてきたが、少なくとも日本では出てこなかった。メニューの栄枯盛衰というのはある(卵丼は消えたし、きつね丼も消えた、沢蟹料理も、少なくとも街からは消えた)。



 しかし、オッソブッコなんて、韓国料理によって「牛テール」がここまで浸透した今こそ(昔オッソブッコが街のトラットリアに普通にあった頃には、牛の尻尾と思わずに、スネか何かだと思って喰っている客がたくさんいたと思う)オッソブッコの文字通り復古を!と思っていたら、ブリッコラがやってくれたという訳である、ここのところブリッコラがGJ連発。さすがにオッソブッコは赤にするという事でグラスでアリアニコを。









12月12日(水曜)





 DCPRGとSIMI LABで新宿BLAZE(日比谷野音の追加公演)。この日ばかりは、それこそ当地ニコ動で生中継をしたので、追い打ち詳細は要らないだろう。



 6000名が観て、大谷君のガイドに従って入会ボタンを押した方が100人という、どう考えれば良いか全く解らない数字が出た(ニコ動の人からは、視聴者数も入会者数も凄く多いと言われ感謝されたが)。先ずはビュロー菊地チャンネルの、二回目の生放送のリベンジを果たせたようなので一安心である(本番前は中継が乱れたようだが、まあアレはオマケなので)。



 大谷君に「本番のステージ上で入会の案内をさせる」というのは、リハーサルの最中に突如思いついてやってもらった。世界一の大谷ファンとしては、もうこれが出来ただけで満足である。



 それにしても、ここんところ「音楽それ自体の充実感」が単体で存在する。という目線の設定自体がもう無理なんではないか?と思うほどのご時世になった。あれを6000人が観た&(先が観たくて?)100人入会した。と言われても、おとぼけではなく、ほとんどピンと来ない。物凄く多い様な気もするし、そこそこな気もするし、物凄く少ない様な気がする。鉱水を一気に4リットル飲めば、かなり多い。とはっきり解る。



 「開始15分で課金(今回は「入会」)にしてしまうのが一番良いんですよ。今回、ハノイとサークルラインが丸々タダ聴き出来たんで、あれで40分ぐらいでしょう?もう充分喰った感があって、先は取りあえず良いや。ってなったんですよ。有り難過ぎですよDCPRG」とお客さんに言われたが、でも15分は1曲目であるハノイのクライマックス地点だ。そこで「はい、ここから先はカキーン」というのは、金属バットの打球音だとしてもあざとすぎる。



 「いやあ、だって、どうせ15分後か40分後かの違いで、全部ただで聴かせる訳じゃない、という意味では同じでしょうが」と言われそうだが、しかしそれは「1人殺すも2人殺すも」と言っているのと同じである。グダグダはいけない。この発想の果てに「人生というゲームのプレーヤー」という馬鹿みたいな思想に行き着く。プレイは一部の人間がやったり休んだりする物で、人生は全員が休まずにやる物だ。鬱病はプレイオフか。



 というよりもそもそも、<相手の欲望を読んで、先回りして先回りして上手くコントロールする>という事を、一対一(セックスとかチェスか対談とか)ならまだしも、一気に大多数を出来るなんて才能が無い。そういう人も世の中にいないといけないのだろうが、人間には「搾取されたい。コントロールされたい。そして、その事に苛立ちや絶望を感じて、ずっとイライラうじうじしていたい」という凄まじいマゾヒズムもあるので、両者が上手くグルーヴしてしまったりする。「オマエラ勝手にやってろや」というは易し、恐ろしいのは汚染である。



 音楽はそもそも一対一では出来ないし、一対一でも売れない。童話としては良いと思う「客席がたった一つしか無いコンサートホール」は(「広い客席に、一人しかいないコンサートホール」ではない。これは少なくとも童話としてはさほど良くない)。音楽はそもそもアコースティック時代からPA(パブリックアナウンスメント)である。音楽はセックスやチェスのように、相手の欲望を読んだりコントロールしたりしなくて良いので(というか、出来ないので。「音楽の<相手>」というのは何だ?)ので気が楽だ。



 打ち上げに「魚民」に行ったが、菱田さんの酒乱に怖れを成して、来たのはケンタと田中ちゃんとアリガスと高見Pだけだった。ケンタも終電で帰り、残りで朝まで飲む。