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<ビュロ菊だより>No.53『フェイスブック一つ増えただけで』
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<ビュロ菊だより>No.53『フェイスブック一つ増えただけで』

2015-02-10 08:00
    <まず速報>

     

    1)「デューク本郷様」は「M/D」の文庫版の、しかも上巻にしか掲載してくれなかったので(デューク本郷氏が登場する、総てのワタシの商品のレヴュー欄に落とそうと思っていたのですが、同じ文章を多数の商品のレビューとして複数掲載するのはAmazonの規約違反になるそうです)、未だに氏からの返信はありません。もし知己ある方がいらっしゃったら、氏に教えて差し上げて下さると幸いです。


    公開討論申し込み記事
      

    っていうか、遅過ぎましたかね単純に(笑)。

      

    以下、どのネット情報よりも早いぞ!!!!

      

    2)Rinbjö「戒厳令」リリースパーティーは4/15東京

     

    3)JAZZDOMMUNISTERS「ドミュニストの誕生」リイシュー記念パーティーは6/14(52歳にして)東京

     

    4)ペペトルメントアスカラールの「結成10周年記念コンサート」は6月/東京

     

    5)DCPRGの新譜「フランツ・カフカのサウスアメリカ(仮)」リリースは5月

     

    6)そのリリースツアーは7月(過去最大規模のツアーになります)

     

    7)沖野修也さんの自伝「職業、DJ25年」を読んでいたら自分が登場してビックリ!!沖野さん、光栄ですが、オレそんなに偉くないっす!!!

     

    8)QN改め菊地一谷の新譜「コンクリートクリーン」に参加しているのですが、「成功までの道のり」というトラックのフックをやってるだけで、要するにほーんんおちょっとです(でもQNさすがで、ワタシのフックの部分はクールなのですが)

     

    9)私塾「ペンギン音楽大学」生徒募集

     

    a
    ) 短期「ブルース概念」

    b
    ) 中期「楽曲分析」

    c
    ) 長期(15年度新入学)

     

     の3つのクラスを生徒募集します。ご質問/入学希望の方は、こちらまでタイトル「ペン大入学希望」と書いてお送りください。詳細をお送り致します。  

      

    10)他にもためになる情報が山ほどありますので第三インターネット内「N/K blog」をどうぞ!!



    <とりあえず無料分>

      

    「ディベート1」

      

     持ちメディアが当ブロマガも含めて5つ(「第三インターネット」「ビュロー菊地チャンネル」「長沼のツイッター」「TABOO公式サイト」そして「ビュロー菊地のフェイスブック」)になり、こういうのをフロウ理論と言ったかしら(違いますよ念のため、積極的な誤用です。もう、こんな遊びは典雅を超えて悪徳に成ってしまうのですねこの世知辛い世界では)、4つまでなら混乱しなかったのが1つ増えただけで根本から混乱してしまうと、「モダンポリリズム」ご覧の皆様なら(軽く韻を踏んでいます)「4音デフォルト」が「5音デフォルト」になるだけで、音楽家はアドリブの際に無能に成ってしまう。そういう事がありますね。

     

     とはいえ、この混乱は速やかに収束すると思われます。長文を「第三インターネット」「TABOO公式サイト」に書いて、「ビュロー菊地フェイスブック」と「長沼ツイッター」で拡散し、お金を頂戴している、「ビュロー菊地チャンネル」はコンテンツの質を落とさず運営すれば良いという所に落ち着くでしょう。

     

     とはいえフェイスブックも毎日チョコチョコ更新(このコピー、そのうちチョコレートの製菓会社がCMに使うと思います。auが「カダフィまだ英雄。俺ソフトバンク」を使ったからね。勿論、奴らーー広告屋――が「ドミュニストの誕生」を聴いていた。といっているのではないです。そんなセンスの良い広告屋いない)しないといけないらしく(ワタシは基本的には書き込みませんが、でももう「バードマン」について書いちゃったフェイスブックに。「いいね」が99。どういう数字か全く読めないオレ・笑)、話しは振り出しへ。

     

     一個になんないかなあ?誰もが。因にワタシはメールアドレスと携帯番号は一個ですけどね。ネット内での名前も一個。ずっと菊地成孔です。ワタシはテロリストに成りたくない。というより、殺すなら実名を出さないと気が済まない、というのが普通だと考えています。マガジンの時のようなケースは構造的に実名が必要に成りますが、「菊地ですけど、パリ市民が<テロに屈しない>と言うのは嘆かわしいですよ」と言わないと気が済まないです。「アメリカが<テロに屈しない>とか良く言うよ/とんてんかん太郎さん」では腹が収まりません。ワタシはね(有名だから。とかではないです)。

     

     それよりも今後、問題化、というより安定化を受け入れなければならないのは「とうとう(4~5年前からずっと予想していたけど)SNSをやる人=ほとんどの日本人を中心に、2000文字以上の文章が読めなく成って来た」という事実ですね。

      

     最近、無料である「第三インター」にFKAtwigsのライブ評と、ISISとYouTubeについて書いたのをお読み頂いた方もいらっしゃると思うのですが、「良いと思うんだけど、長過ぎて読めない」或は、赤ちゃんみたいな、ただ「長い」という反応をかなり頂きました。ワタシの主観だと、あれは短文ではありませんが、ややこってりしているだけの、「中文(中国語の事ではなく)」という感じですが、ワタシ側がどうこうよりも、読者側がどんどん読文力が草食化してきている。というのは、SNSよりちょっと前からうっすら感じてはいました。ワタシは同じ活字なのでネットと書籍の区別が余りつかないのですが、「青春の門」に対して「長げえ」と言うネット民さんはいないと思うので、要するに、「ネットで読むには長い」という事なのでしょう。

      

     以下、ディベートの形式で考えるとして、「SNSで長文が読めなく成った人々」に対して、「否定の立場」で書くとするならば、ですが、そんなもんSNSという甘やかし幼児退行まっしぐらの無料ドラッグによって、人間はどんどん退化し、集中力が低下するどころか、そもそも文字情報が喰えなく成り、離乳食しか喰えない赤ん坊の様に涎を垂らして糞尿をまき散らしているだけならともかく、あろうことか真逆で、「字の書ける赤ん坊」として、幼児的万能感にどっぷりはまり、どんな判断も批評も、何もかも数100文字喰っただけで行うようになるという、動物化するポストモダン。いざとなったら国家は赤子の手をひねるだけ。というシチズン潰しの陰謀。最低最悪。お前等まとめて全員黙ってろ。と言うことになります。

     

     (<少々スリップ>また、今や、どんなに金言であろうと、そこにネット民批判、ネット文化批判が少しでも入っていると拒否反応が矢より早く飛んで来るのは定常化していますーーーワタシの判断ソースは、ファンメールアドレスに来るファンメール、ネットをいっぱいやっている友人からのチクり、程度ですが。

     

     意図的に実験してみたのですがFKAtwigsのライブレポートにはネット批判が入っておらず、テロリズム考察には入っています。ついでに言えば、これには勿論実験的な意図など毛頭ありませんが、中山康樹先生への追悼文にも入っています。

     

     おそらく、もっとも拡散し、語られるのはライブレポートでしょう。そうなると次の実験は言うまでもなく、FKAtwigsのライブレポにネット批判を混入し、テロ考察や中山先生の追悼文からそれを除去したら、反応がどうなるか?という事ですーーー勿論、そんな実験しませんが/出来ませんが。

     

     実験結果によってはーーー実験はしないし、したとしても結果は変わらず上記の如しなので、ラジオ番組の聴視率調査よりもおぼつかないリサーチですがーーーSNSのハードユーザーは、太鼓持ちにご機嫌とられているだけの旦那集であり、即ち<芸者よりも馬鹿>という事になります。

     

     「天に唾を吐くな。それがアップされているのはネットだろう」という考えもあるでしょうし、単に、嫌な事書かれたから嫌。という反応もあると思いますが、長文がスリップ中ですが、これも敢えてディベートで考えてみましょう。この場合、ディベート上で強いのは後者ですね。

     

     前者は、「じゃあもう人間は、一切何にも、誰の事も批判出来なく成るよ」という反論が待っているからです。自分をそこに存在させ、恩恵も受けているシステムの悪口は言えない、となると、まず親には絶対に悪口を言えません。というか、そもそも言語を使って人を批判出来ない。つうか人が人を攻撃するシステムは総て人が作って恩恵を受けている文化なので、「ネットの中でネット批判するのはダメ」は、あらゆる左派の存在を認めないファシズムになります。雑誌の批判を雑誌は出来ず、テレビの批判をテレビは出来ず、映画の批判を映画は出来ず。音楽の批判を、音楽は出来ず。キリスト教の批判を、キリスト教徒は出来ず、イスラム教徒だけが出来る。戦争の構図を推進するのか?という言い草が成り立ちます。

     

     だから、「嫌なモンは嫌なんじゃ」のがシンプルなだけに強いんですが、この場合、ワタシがディベートに参加したら。このターンではこう言うと思います。

     

     「では<「音楽が30秒しか聴けない身体が」が一般化し、3分の曲も3時間の曲も、最初の3分だけしか聴かずにえっらそうに語りまくられる社会>をどう思いますか?そんな社会来て欲しいですか?え?そんな社会は来ない?そうです。その通り。来ません。何故か?SNSはあなたがたに文章の読み書きに依存させましたが、音楽の読み書きには依存させません。つまり、あらゆる草食化の根本にはネットがある訳です」

     

     とまあ、これは若干の有効性がありますね。

     

     しかし、ディベートは、そのフェーズが終わったら立場を逆にします。<「長文読めない」肯定派>に立場を変えたワタシは、こう言うでしょう。

     

     「70年代に<ヌーベルクイジーヌ>という新しいフランス料理の潮流がありました。それまでのフランス料理は高カロリー過ぎた。特にバターの量ですが、このことが小さな革命運動から、市民の健康意識を経て、反射的な料理観にまで発育するのに、20年以上かかりましたし、それよりも、古いフランス料理の時代は95年から現在まで、というレベルではありません。「レストラン」の語源は「レストレ」つまり生き返らせる訳で、革命で栄養失調になった人々に栄養を与える場所。だった訳です。我々は今、おそらく終戦後から定着して来た<一般市民が長文を読む/読まないと教養が付かない>という長い地獄から解放されようとしているのです。そもそも学者や文学者でない限り、市民に長文を読む必要などなかった」

     

     これはかなりの有効打になるかも知れません。江戸の町民文化とか出しちゃったりして。シチズンにとって、長文を読む等というのは一部好事家の(やや特権的ではあるが、階級的というにはほど遠い程度の)趣味でしかなかった。教養というもの自体が、趣味だった訳で、持ってる人は、キャラとして持っていた(落語に出て来る、長屋のご隠居みたいな)のである。なんつって。

     

    そしてこう続けるでしょう。

     

    PCが<文字を入力する機械>である属性」が強すぎたのは、汎用機としてはワープロの遺伝子が強過ぎた。という<出自の問題>であって、この呪縛からスマホは自由です。メイン端末がスマホという世代は、<教養>のあり方を、全共闘世代が完成させるあのマッチョな偏向から解放したのです」

      

     なんつって、まだまだディベートは続く訳ですが、ここまでで既に長いですよね?(笑)

     

     え?そうでもない?面白くて一気に読んじゃった?それとも、もう4段落目あたりで無理?嫌な事も書いてある予感がするし?ブログなんて、食事みたいに、毎日少しずつ。が、一番ヘルシーじゃないかしら?でも、それが対価を払う商品価値?量が多ければ剰余価値が高い。というのは不健康?

     

     と、これ、エコ論争ですね(笑)。「ネット内での長文」という問題系に「有料/無料」という問題系を掛け合わせると、なんとエコ論争になるのでした。びっくりしたあ。ダラダラ適当に書いてたオレ自身が(笑)。と、ここまでは無料の世界に放つべきものであろう。



     <それでは以下、有料の方へ>

     
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