ヒトは賢いからこそだまされる―ニセ科学から衝動買いまで

 バスケットボールの試合を観戦したことがあるだろうか? バスケは確率のスポーツだ。どんな名選手でも(『黒子のバスケ』の緑間はべつとして)100%の確率でシュートを決めることはできない以上、より決める確率の高い選手にボールを集めることが合理的な戦術といえる。

 とはいえ、その日その日で調子の良し悪しというものがあるようにも思える。二本、三本と連続でシュートを決めた選手はその日、ノっているといえるかもしれない。そういうときは、その選手にボールを集めるべきだ。なぜなら、その時だけに限ればかれがシュートを決める確率は高くなっているのだから。そう思われるだろうか?

 ところが、トマス・キーダの『ヒトは賢いからこそだまされる』によると、この「ノっている(ゾーンに入っている)」という状態には根拠がないらしい。

 この本によると、バスケットボールのファンを対象に聞きとり調査をしてみたところ、「シュートに2、3回続けて成功した直後は、続けて失敗した直後とくらべて、次のシュートの成功率が高い」と考えているひとは91%だった。

 また、「ボールを回すなら、ちょうど二本続けてシュートを決めた直後の選手にパスすべきだ」と考えているひとは84%いた。ところが、じっさいにはこのノリがシュート成功率を支配するという現象(「ホットハンド」)は統計的には根拠がないものらしいのだ。

 心理学者のトム・ギロウィッチらがフィラデルフィア・セブンティシクサーズとボストン・セルティックスの80~81年のシーズンの統計を分析したところ、ホットハンド説を支える証拠は一切見つからなかった。また、シュートが入るかどうかの本人の予測と、じっさいの成績にもまったく関係がなかった。

 つまり、本人が自信をもっていようがいまいが、入るときは入るし、入らないときは入らない。本人がノっていようがいまいが、シュートの入る確率は変わらないということ。ホットハンドは実在しないのである。

 それならばなぜ、ぼくたちはホットハンドの存在を感じてしまうのか? それは人間にとって成功が続いた場合が印象に残りやすいからだ。二本連続でシュートが入ると、ひとは強く印象づけられる。三本連続ならなおさらだ。つい「あいつはいまノっているな」と考えてしまう。

 しかし、それくらいの偶然は統計的にはよくあることで、特別の意味をもっているわけではない。すべてはぼくたちが統計と確率を直感的に理解できないところから来る誤謬なのである。

 統計を正確に理解することはむずかしい。そして統計を信頼することはそれ以上にむずかしい。ひとはどうしても統計よりも自分のその場その場の判断のほうが正しいと考えがちだ。たとえ統計的に九割がたは問題ないとわかっていても、目の前に一割の失敗例があれば判断がくもる。

 だが、人間の直感ほどあてにならないものはないのだ。この本では人間の直感があてにならない一例として大学の面接が挙げられている。キーダによれば「面接を用いた個人的な評価には、信頼性もなければ妥当性もない」。

 なぜなら「このテーマについてはこれまで何十件という調査が行われてきたが、面接官による評価は、生徒のその後の成功の可能性について信頼出来る指標にならないことが示されている」からだ。統計的に見れば合否判定に面接を採用することは無意味なのだ。

 統計などで機械的に判断してしまうことは冷たい印象を与えるだろうか? しかし、じっさいには直感的に判断するより統計的予測に任せてしまったほうが正確な意思決定ができることが、いくつもの調査であきらかになっている。プロフェッショナルのカンをあてにするよりも、統計を使ったほうが確実な結果が出るらしいのだ。

 たとえば刑務所の受刑者を仮釈放していいかどうかの判断。これは非常に重要な判断だといえるだろう。しかし、この判断においても犯した罪の種類、過去の犯罪件数、刑務所内での規則違反回数など過去のデータを使ったモデルを利用したほうが、面接官より正確に失敗を予測できてしまう。ひとの直感よりも統計のほうが正確にものごとを判断できるというわけだ。

 もちろん、統計が万能であるわけではない。人間が直接に判断を下さなければならない場面はたくさんある。しかし、いつもいつも人間の判断のほうが統計より正しいとは限らないのである。

 その理由ははっきりしている。人間がさまざまな理由で判断をねじまげられるのに対し、統計は常に冷静だからだ。どんな偉大な専門家でも調子が悪いときはある。しかし、統計はいつも健康で健全だ。

 そういう意味では、数字を見る目がある人間とそうでない人間とでは、ものごとを見つめる見方が変わってくることは否めないだろう。しょせん数字は数字、信用ならないと思われるかもしれない。しかし、現実に数字のほうが人間よりたしかに判断する場合がある。

 こういう本を読むと、ぼくも少しは統計学の勉強でもしてみようかな、と思えてくる。そうすれば目の前の見せかけにだまされることもなくなるかもしれない。その前にまずは中学校の数学からやり直す必要があるかもしれないが。