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どもです。
あまり根を詰めて記事を書いているとだんだん生産性が落ちてきますねー。30分で書けた記事が1時間かかるようになったりする。
効率が良くないので、適度に休んだりする必要があるのだと悟りました。じっさいに疲れ切るところまでいかないと悟れないあたり、オレ、マジどうしようもないな。
そういうわけで人生に疲れ果てたからアニメでも見るかということで、『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』を見ています。
あー、これ、ほんと見やすい。異常に楽。心にストレスが一切かからない素晴らしいアニメだな。
『灰と幻想のグリムガル』とか『甲鉄城のカバネリ』みたいなきびしい話もそれはそれでいいけれど、この種の願望充足萌えファンタジーも人類には必要だよなあ。
これと『くまみこ』があればしばらく生きていける気がするよ。
ただ、そういうふうに気楽に見れるには違いないのだけれど、リアルに考えるとけっこう切実な話だよなあとは思う。
リアルに適応できない、ネトゲのなかでしか生きられないような人間はどうすればいいか?
物語のなかでは亜子は仲間を見いだし、旦那まで見つけてそこそこ幸せそうに暮らしているわけだけれど、これが現実だったらひきこもり一直線でしょうねえ。
そう考えるとかなり辛いものがある。「リアルはしんどいです」は非リアの魂の叫びだよなあ。よくわかるよ、ぼくもしんどいもん。
アニメ見て漫画読んでゲームやるだけの暮らしをしたい――って、既にもうそういう生活をしているか。
まあ、そうはいっても一切リアルとの交流を断つわけにはいかないので、それなりに色々あるのですよ。
こういう限りなく楽な生活を送っているぼくですら辛いと思うのだから、真面目に学生とか社会人とかやっている非リアの人はほんとうに辛いだろうな、と思う。
それはひきこもりも増えるわ。リアルは無理ゲーだもん。どう考えても。あんなもん。まともにプレイできる奴らのほうがおかしい。どっか狂っているに違いない(偏見)。
「坑道のカナリア」ではありませんが、神経が繊細な人間はこの社会の異常さをだれよりも早く感じ取って苦しむものだと思うのです。
もちろん、狂っていない社会など存在しないのかもしれないし、どうあがいてもそこから脱出することなどできるはずもないんですけれどね……。
リアルに絶望した人間が、ネットゲームのなかに希望を見いだす話というと、『ソードアート・オンライン』もそうですよね。
まったく違うように見えるけれど、ある意味では共通点があるお話ということになる。
ただ、『ソードアート・オンライン』の世界まで行ってしまうと、学業とか仕事もネトゲのなかでこなせばいいような気がする(笑)。
あの仮想現実の世界はゲームをはるかに超えているよね。
いまの時代、それもプレイステーションVRとかでなかば現実になりかけているあたりが恐ろしい。
これから実現するであろうヴァーチャルリアリティ・ネットゲームの依存度の高さはいままでのネトゲの比じゃないでしょうね。
じっさいのところ、何かしらの対策を練らないとまずいんじゃないでしょうか。
萌え萌えっていうレベルじゃねえぞ。出生率さらに下がるかもしれないぞ。
まあ、『ヲタクに恋は難しい』がミリオンセラーを記録したりするところを見てもわかるように、我らオタク・トライブのイメージもだいぶ明るいものにはなりましたが、それでもリアルに適応できない人は一定数いるわけなのですよ。
さらに進歩を続けるゲームの世界はそういう人にとって救いになりえるかもしれない。
でも、そうやってゲームに耽溺すればするほどリアルがさらに耐えがたくなっていくという矛盾があるわけで、それはどうしようもないのかもしれないなあ、とも思います。
あるいは、
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