勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 ひとはその男を「神」と呼んだ。梅原大吾。若干14歳にして格闘ゲームの日本最強を自認し、さらには17歳で世界チャンピオンにまで成り上がって、あらゆる賞賛と栄光を独占した男。本書『勝ち続ける意志力』は、その「天才」ウメハラが勝利の秘密を公開した秘伝の書である。

 とはいえ、そのキャリアにふさわしい花やかな言葉を期待すれば裏切られることになるだろう。本書一冊から浮かび上がってくるのは長年の風雪に耐えた巨岩のような、ウメハラのストイックな素顔だ。

 まだ二十代であるはずだが、十数年にわたって勝負の世界に身を置いてきたウメハラの言葉には、武道の達人さながらの重みがある。ただ単に才能に恵まれただけの者の言葉には決してないほんとうの意味での「重み」。それが一読、読むものを圧倒する。

 神と呼ばれた男の素顔は、自分が選んだ世界に対してどこまでも真摯で、生真面目な少年のものだ。たしかにウメハラに生まれつきの素質がなかったわけではないだろう。しかし、いまのかれはそんなものを遥かに通り越した境地にいる。

 ひとがいう「天才」とは、かれの表皮をなぞった評価に過ぎない。十数年の修羅の時を超えて、ウメハラはいま、並大抵の才能とは次元が異なる境地に立っている。そのことが読めばすぐに腑に落ちるのだ。読むべき本とは、本書のことである。

 一部の読者は失望するかもしれないが、本書にゲームの戦術にかんする具体的な内容はほとんどない。そもそもウメハラが攻略してきたゲームはどれも過去の存在なのだからそれについて詳細に語っても仕方ないといえばそれまでだが、それ以上に重要なのは瑣末な技術ではないということなのだろう。

 本書ではひたすらに「勝負に臨む姿勢」「ゲームに対する心構え」の話が続く。これがおもしろい。十代にして世界の頂点に立ち、その後も継続的に「勝ち続けている」男の精神の形が見て取れるからだ。

 もちろん、一読して納得したところですぐに真似できるものではないだろう。それどころか、凡人が一生かかってもたどりつけない達人の境地ですらあるかもしれない。しかし、それでもやはり、おもしろい。長く頂点に立つ男の凄みが言葉から伝わってくるからだ。

 いま、ウメハラはひとの目をまったく気にしないという。かつては気にした。しかし、絶対的な努力を長期間続けてきたことによって、その足かせはなくなった。いまのかれは書く。

 これまでの経験から、諦めなければ結果が出るとは言い切れない。だが、諦めずに続けていれば人の目が気にならなくなる日が来るのは確かだ。そして、人の目が気にならない世界で生きることは本当に楽しい、と確信を持って断言できる。
 努力を続けていれば、いつか必ず人の目は気にならなくなる。

 いまのウメハラは高山の頂きに住まう仙人さながら、「人の目」を超越したところに住んでいるのだ。そしてその言葉からわかるように、才能をもねじ伏せる圧倒的な努力。それがウメハラの「天才」の正体だ。

 しかし、ほんとうにそうなのか。やはり生まれつきの特別な能力があって初めて、あの華麗なキャリアが成り立つのではないか。そう考えるひともいるかもしれない。じっさいにこの本を読んでみれば、そんな考えは吹き飛んでいくはずだ。

 本書でウメハラが語っているのはひたすらに継続的に自分の限界を究めていくその方法論なのだから。それなら、ただしゃにむに自分を追い込んでいけばいいのか。精神的にも肉体的にもリミットを超え、自分自身を破壊していけば結果は付いてくるのか。そうではない、とウメハラは語る。「自分を痛めつけるだけの努力はしてはいけない」と。

 例えば、いろいろな障害を越えてゴールを目指すレースがあったとする。その途中に壁がある。殴って壊れる壁もあるだろう。しかし、殴っても絶対に壊れない壁だったら、そんなものはよじ登ればいい。近くに梯子があるかもしれない。ノブをひねればドアが開くことに気づく程度の問題かもしれない。多角的に考えれば、きっと攻略法は見つかる。
 それなのに、とにかく根性で殴り続ければ先に進めると思い違いをすることがある。
 確かに、ガムシャラな努力で先に進めることもあるだろう。しかし、人間の力くらいではビクともしない壁もある。それこそ人間の手には負えない才能の壁だ。そんなとき、「俺の才能はこんなものか……」と落ち込む必要はない。
 それよりも頭を使って考えるべきだ。殴って壊れない壁なら、別の方法を探せばいい。考えれば、もしかしたら壁を越える必要すらなくて、迂回する道を作るほうが早いかもしれない。才能を超える努力とは、そういう突拍子もないコペルニクス的な発想の転換も必要だ。

 ウメハラは、幼い頃、七才年上で勉強のできる姉を前にして「才能の壁」を思い知ったことがあるという。典型的な「グレートネス・ギャップ」。多くのひとが打ちのめされる展開だ。しかし、かれはそこから劣等感をバネに尋常ではない努力を始める。

 いまの自分を批判し、ときに否定し、ひたすらに変わりつづけること。それがウメハラが選んだ作法だ。そこに決まりきった「勝利の方程式」などは存在しない。本書に書かれていることは、ある意味では精神論である。自己啓発と呼ぶこともできるだろう。

 しかし、ここには凡庸な自己啓発書に付き物の説教臭さや押し付けがましさはない。ウメハラ自身、一度はゲームの道をあきらめて麻雀へと進み、その麻雀でも挫折して介護の世界へと至った身だ。決してかれは「こうすれば勝てる」「勝てない人生に意味はない」などとはいわない。

 その意味でウメハラの姿勢はどこまでも謙虚である。かれは「勝ち続けること」のためには「勝つこと」すらも犠牲にする。その禁欲的なスタイルは、しかし放埒なまでに自由でもある。

 自分に才能がないのではないか、いくらやっても無駄なのではないか、と考えているひとは本書を読んでみるといい。ここには天才の仮面をかぶったひとりの人間の、苦悩と青春の日々がある。それはひとつゲームの世界を越えて通用する普遍性をもつものだと思う。

 神と呼ばれた男ウメハラ、その伝説の裏の素顔は、ぼくたちに多くのものを教えてくれる。これは才能を超える努力の学び方、その一端を教えてくれる本である。必読!