弱いなら弱いままで。
「おじさんが心の中の美少女に気づくとき~VRが導く「外装からの逸脱または解放」(https://togetter.com/li/1196771)」というまとめが面白い。
つまりはVRで美少女になり切ることによって、現実世界ではどうしても付きまとう「外装の呪縛」から解放されるという内容なのだけれど、『ソードアート・オンライン』というより柾悟朗の『ヴィーナス・シティ』めいた話だと思う。
いくつもの意味で興味深い。このまとめでは、50代の男性が「初音ミクとしての自分」に目覚めていくプロセスが綴られているのだが、はたしてぼくなら、「VR内での初音ミクの肉体」を「自分」として感じられるだろうか。
あるいは、どんなに自由に動かせたとしても、あくまでそれは「他者」としてしか感じられない気もするのだ。
あるいは、仮にVR内のミクを「自分」として感じられたとしても、そこから現実世界に「帰還」したと
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コメント
コメントを書く海燕さんの絶望を、僕は正面から否定します。
確かに、他者となって獲得した成功は、自分ではなく他者のものなのかも知れません。
でもその時の成功体験は、紛れもなく自分のものです。そんな体験の蓄積は、現実世界の自分とは無関係なのでしょうか。
深くは言及しませんが、プリパラの大神田グロリア校長のように、現実では交わるはずのなかった接点によって、仮想現実が自分を変えることもあるはずです。