弱いなら弱いままで。
【無料記事】ネルフは碇シンジに報酬を払え。(1034文字)
その日、巨大組織ネルフを統帥する父ゲンドウから呼び出された碇シンジは、汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンへの搭乗を命じられる。
一度は困惑し、拒絶するものの、傷だらけになりながらエヴァに乗りこもうとする同年輩の少女を見て、かれは自分自身に語りかけた。「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」。そして、恐怖と困惑を押し殺してエヴァンゲリオンに乗りこむのだった。長い物語の始まりである。
この『新世紀エヴァンゲリオン』第1話に対しては昔から賛否両論があるのだが、今回取り上げたいのは別のこと。つまり、シンちゃんってただ働きですよね? ネルフからお給料もらっていないよね? ということなんですけど。
もちろん、ミサトのマンションに同居してはいるから、住宅は提供されているわけだけれど、それ以外にはとくに報酬をもらっているようには見えない。たぶんミサトから生活費や小遣いは出ているでしょうが、それだけじゃ命がけの仕事に見合うものじゃないよね。十数年前に初めて『エヴァ』を見たときからここが不思議でね。
シンジは「逃げちゃだめだ」と痛々しく自分を追い詰めるわけですが、本来、かれがそんなふうに悩まなければならない理由は、何もない。かれ自身にはエヴァに乗るべき義務も責任もないのだ。何しろ、かれはネルフに何の借りもないのだから。どう考えても、頭を下げて頼まなければならないのは、ゲンドウやミサトたちのほうだ。
シンジは、エヴァに乗ることは乗るにしても、もっと良い待遇を要求しても良さそうなものだ。ほとんど、不当な安月給でこき使われる新入社員を思わせる。いまの時代、じっさいにもこういう状況に追いこまれているひとは少なくないと思う。
善良で真面目なひとほど、社会のメッセージ通りに「――しなきゃだめだ」と思いこみ、そして社会にその思いこみを利用されることになる。くたくたに疲れきっているのに「もっと真面目に仕事しなきゃだめだ」と思っているひとは大勢いるだろう。そういうひとほど、仕事が出来ない自分を責めて、悩み苦しんだりする。
しかし、本当にその考え方は正しいのだろうか? よく考えてみれば、全然苦労に見合う報酬をもらっていなかったりするのでは? 「――しなければならない」という思考法は、自分自身のなかからわき出てきたように思えても、その実、社会や組織のエゴをそのまま反映していることがある。
ゲンドウみたいな胡散臭い大人にひっかけられないよう、十分注意することにしよう。
コメント
コメントを書く>かれ自身にはエヴァに乗るべき義務も責任もないのだ。
その通りだと思う。本来なら大人連中がシンジ君に報酬払って頭を下げて頼むべき。機体の受けたダメージがパイロットにも伝わる鬼仕様だしその位やって当然。
自分に優しくない世界を守ろうとする人間はまずいない。ネルフは「暗殺教室」の殺せんせーや烏間さんを見習ったほうがいい。
語り尽くされていまさら言うことでもないかもしれないが、
初期のシンジは必要とされたい、承認されたいという気持ちが大きかったわけで、戦いが報酬のようなものだったのでは。
まあその後、ゼルエル戦でただただ誰かを助けるために戦ったはずが
なぜか次の話でそうではなかったことになってて困惑しましたが。
そもそも報酬を貰う、貰ってないって、どうでもいいこと
お金をテーマにしたアニメじゃないよね
裏設定で貰ってるが貯蓄してるとか色々創造して楽しむも良しと思うけど、金銭のやり取りとか書かれて何を伝えたいのか、そんな場面ファンは見て何を思うか、作り手としては省いて当然だと思う。
どうしても書かないと話として繋がらない場面があれば入れると思うよ。
まあ、自分が思ってることはもう論議されし尽くしてると思うけど作品を色々な角度で検証するのは面白いですね。
エヴァという作品は、何でも語れてしまうという点でいい作品だと思うので、あえてこういう切り口もいいとは思います。
そもそも児童労働のうえ、契約書も無いままなので、どうかというのはありますが、ヤル気をもって搾取するという事は確かに、本田由紀さんが問題にしていたことです。
自己実現の為に、世界を救うかどうかを天秤にかけるというのも、壮大すぎるというのがありますが、大なり小なりこういう仕事を通して考える事を強いられるのはありますし。
当時そういうのがあったかは分かりませんが、ブラック企業という言葉そのものでしょう。現代で考えるなら。
まあ今更そう言い募っても、金銭を伴わない過酷な労働というのが、プラットフォームとしてあるので響くとは思いませんが、現実問題では最低限の労基法違反をしない、契約内容に問題があれば、団結権+スト権を行使出来るだけの環境が担保されてないというだけで、これだけ残酷な労使関係になるのかってのを見てると嫌になりますね。
創作物はやはり抜きにして考えられる、いつでも逃げられるいい所です。