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フェミニズム批判が岐路に立つとき。いつまでも批判だけしていて良いのだろうか?
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フェミニズム批判が岐路に立つとき。いつまでも批判だけしていて良いのだろうか?

2019-05-23 00:57
     おっと、更新するといっていたのに微妙に遅れてしまいました。申し訳ありません。

     きょうはYouTubeから離れて、Twitterでいま話題になっている痴漢と安全ピンの話をしたいと思います。これ、痴漢を撃退するために安全ピンで刺すことがいいと発言した人がいて、その是非を巡って論戦になっているんですね。

     ぼくはというと、「勝手にすればいいんじゃね?」くらいの立場ですが、あえていうなら、やめておいたほうがいいと考えています。その理由は主にふたつあって、

    1.人物の誤認の可能性が消し切れない。
    2.相手が痴漢であっても、正当防衛が成立せず、傷害罪で訴えられる可能性がある。

     この二項目ですね。まず、いくら安全ピン支持派が「痴漢を間違えたりするはずがない」と熱く語ろうとも、現実にはやはり「冤罪」の可能性は消し切れないと感じます。

     何といっても状況は多くの場合、満員電車のなかだと考えられるわ
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