このあいだ偶然見つけたギョルゲ・ササルマン『方形の円 偽説・都市生成論』という本が気になっています。今月20日の発売なのだけれど、

「いくつかの想像上の都市の短い叙述で本を一冊作るというアイデア。その中に5000年の都市史の偉大と悲劇を圧縮する」――ルーマニアの鬼才が描き出す、「憧憬市(アラパバード)」「学芸市(ムセーウム)」「憂愁市(シヌルビア)」ほか36の架空都市の創造と崩壊の歴史。カルヴィーノ『見えない都市』に比肩する超現実的幻想小説集。アーシュラ・K・ル=グィンによる英語版序文を併載。

 って、これ、絶対に面白いでしょ。カルヴィーノの『見えない都市』大好き! 幻想文学好きの血がたぎる。出たら読もうっと。

 「架空都市の創造と崩壊」といわれると山尾悠子が思い浮かぶところですが、そういえば昔、「架空幻想都市」というタイトルのアンソロジーがあったなあと思いだしたりもします。おお、旧き懐かしき日々よ。

 幻想文学というジャンルは、あるいは文学全体のなかでは傍流と見られるものかもしれませんが、ぼくは決してそんなことはないと思っています。むしろ、リアリズム文学のほうが文学全体から見れば小さな領域に過ぎないでしょう。

 まあ、何をして幻想文学と見るかにもよりますが、文学において「現実」とはひっきょう、そのように見える蜃気楼のひとつの形ということに過ぎません。そういうわけで、ぼくは幻想文学好きです。

 といいつつ、たくさんの本が積読になっているのですが。ジェフリー・フォードの短編集『言葉人形』とか、ミロラド・パヴィチ『ハザール事典』、あるいは倉数茂の『名もなき王国』、めちゃくちゃ面白そうと思いながら積んでいる本がいっぱい。

 SFでも、ミステリでも読んでいない本がたくさんあるからしかたないのですが、とりあえず名作が確定している本は読んでおかないといけないとは思っています。どうしても軽い小説から手を出してしまうのだけれど、この癖は何とかしなければ。

 もしかしたら文学というとただそれだけで陰気で堅苦しい作品を想像される方もいらっしゃるかもしれませんが、それは誤解です。その種の思い込みは、たぶん、日本の私小説のイメージから来ているのでしょう。世界文学はもっと自由で豊穣です。

 そう、自由! それこそが文学の本質だと思います。あたりまえの日常から敢然と離陸し、想像力の翅で言葉の空を翔びつづけること。その愉楽。

 あるいは怪奇な、あるいは耽美な小説世界に入り込み、ひたすら頁をめくり読み耽ることの悦楽はやはり何ものにも代えがたいものがあります。

 文学って基本的に「何でもあり」なんですよ。SFやミステリといったジャンルフィクションがある種の規格で自らを縛るところから始まっているのに対し、文学はほんとうに何をやってもいい、どんな荒唐無稽な実験、ばかばかしいスラップスティックも許される。そこが文学の良いところですね。

 そこにはたしかにそこには底なしの闇黒も、陰惨きわまりない邪悪もあるのだけれど、その一方でほんものの自由がある。

 あるいは文学を読みなれない人が前衛的な作品を読むと、「まったく意味がわからない」ということになるかもしれませんが、ほんとうは「意味」なんてどうでもいいんです。

 大切なのは、その作家のイマジネイションに感電すること。果てしなく続く言葉の森で陶然と迷うこと。よく迷宮に喩えられる小説がありますが、じっさい、小説を読んでいていちばん愉しいのはほんとうに果てしなくすら思える長大な作品で迷っているときです。

 いつまでも読み続けていたいと願いながら、一頁、また一頁とめくっていく歓びを知っている人は幸せでしょう。

 だいたい、小説にかぎらず、「意味」がなければないほど面白い。「意味」とはしばしばそこから何かしら利益を得ようとする貧しい心が生み出す価値に過ぎないからです。

 小説を何かしらのイデオロギーで測ろうとする人がいますが、ぼくはそういうの、嫌いですね。政治的に正しかろうが何だろうが、面白くないものは面白くないし、その反対もある。文学の歓びはそこにはない。

 そもそも、文学を社会に還元して役立てようなどと考える人、そのような文学にしか価値を見出さない人は、たいして小説を好きじゃないんですよ。そういう人はつまり、社会と現実がいちばん好きなわけだから。

 幻想の森で渉猟することそのものに価値を見いだす人間にとって、文学はそれじたいが価値なのです。

 ただ、おそらくそういう人たちは現実社会を生きる人間としてはなかば不適格であるかもしれません。社会における雑事が最も大切だという価値を信じ切れないところがあるからです。

 しかし、どちらが幸福かというと、それはわからないですよね。少なくとも、ぼくは自分は幸せだと思っています。

 うーむ、『方形の円』は未発売なので、とりあえず、『言葉人形』を読むかな。ふたたび、また、神秘の森へ。