弱いなら弱いままで。
ゲーミフィケーションという単語をご存知だろうか。「ゲームにすること」というほどの言葉で、仕事や生活の一部分をゲームのようなシステムに変えて楽しむことを意味する。子供じみた思いつきのようだが、じっさいにはすでに何冊も専門書が出ているほどの画期的概念であり、ゲームテクノロジーの進歩とともに各分野に浸透しつつある。
この記事は、それでは「セルフゲーミフィケーション」、自分で自分の人生をゲームのように把握して楽しむことは可能なのか、というテーマだ。「リアルはクソゲー」とは、『神のみぞ知るセカイ』の主人公桂木桂馬のセリフだが、これを「神ゲー」に変えることはできるのかという問題である。
結論からいうと、ぼくはできると思っているし、ある程度は実践している。もちろん、ぼくにとって人生がパーフェクトに素晴らしいゲームだという気はない。しかし、それを自分にとって十分におもしろいゲームだと認識することは不可能ではないし、そう思えるよう挑戦することには意義があると思う。
人生は退屈だが、ゲームはおもしろい。そういうふうに思っているひとは少なくないだろう。それなら、人生もある種のゲームだと思いこめばいい。そうすれば、そのまま生きるより二倍も三倍も人生を楽しむことができるだろう。仮に失敗することがあっても、しょせんゲームなのだと割り切れば気分は楽になるではないか。
こう書くと、すぐにも反論が飛んできそうだ。ひとつは、人生はゲームではない、もっと真剣なものだという意見である。人生をゲームだなどというのは人生を甘く見ている態度であり、そういう態度で生きていては決して幸福になることなどできるはずはない、と。
たしかに人生はゲームではない――そのままでは。しかし、ゲームとして認識することはできるのであり、その認識は人生をより良く楽しむことを可能にするのだ、というのがぼくのいいたいことである。
もうひとつの反論は、こっちのほうがよりクリティカルだと思うのだが、人生とゲームはあまりに違いすぎていて、そうしたくても人生をゲームだと思うことなど不可能だ、という意見だ。
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