韓流ファンレターBOOK ~韓流&K-POP・憧れのスターにキモチが伝わる~ (タツミムック)

 インターネットは素晴らしい。それはいっきに自己表現の垣根を下げ、無数の「シロウト作家」を生み出した。ブログやメルマガも広い意味では創作であり、表現であるとするならば、ぼくもそんな「シロウト作家」のひとりといえないこともない。

 もちろん、わがニコニコ動画は日本が世界に誇るシロウト創作の実験場である。いまさらいうまでもないことだが、ニコニコの特性はその動画を見たひとの意見が「作家」にダイレクトに伝わってくるところにある。

 その際、好意的な意見をたくさんもらえればやる気が出るし、逆に批判的な意見ばかりだとやる気がなくなっていくというのは、当然の人間心理だろう。相当意思の強いひとでも、批判意見ばかりでは創作を続けられないものだ。

 こういうことを書くと、「いや、創作者は批判意見をも受け入れ、参考にして次作に活かすべきなのだ」というひとがいるかもしれない。しかし、そうはいってもその「批判」は限りなく玉石混交である上に、「石」の比率がかなり高い。いちいち気にしていたら、精神が摩耗していくに違いない。

 ネットを見ていると、だれかに批判されて落ち込んでいるシロウト作家を見かけることがある。そのひとは大勢のファンに囲まれていることが周囲から見るとあきらかなのだが、本人はそのことに気づいておらず、悪意ある批判に打ちのめされているのだ。

 そして、ネットで創作することをやめてしまったりする。これは非常にもったいない展開だ。ほんとうは好意をもっているひとが大勢いるのに、それが届かないために悪意が上回ってしまうというパターン。こういうことはしばしばある。

 あなたもニコニコ動画をうろついていているなら、大好きな創り手が創作をやめてしまう現場に立ち会ったことがあるのではないだろうか。こういうことは結局、ひとが好意を伝えることを怠っているために起こるものである。

 ファンをやっている作品に対し、各個人がもっと積極的に好意を伝えるよう努力すれば、こういうことにはならないかもしれない。もちろん、ニコニコ動画は非常に好意が伝わりやすい優れたシステムだといえる。しかし、それでもわずかな悪意が好意を上回ってしまうことは残念ながらある。なぜひとは自分の好意を伝えることを怠るのか。