ベルリン・フィルと子どもたち スタンダード・エディション [DVD]

 告白します。今年の初め、ぼくは腐っていました。というのも、いままで運営していた「Something Orange」というブログでできることをすべてやってしまったと感じていたからです。

 まあ、憶えているひともいるでしょうが、その頃のぼくといったら「やることない」「めんどくさい」「ヒマだ」「退屈だ」「すべてむなしい」「くだらない」といったダメワードをつぶやき続ける役立たずマシンと化していました。

 退屈はひとを荒廃させるもの。やるべき仕事が何もないという想いは、ぼくをうんざりさせていたのです。「Something Orange」という「場」がぼくにふさわしいものではなくなっていたのだと思います。

 しかし、御存知の通り、この「ゆるオタ残念教養講座」という「場」を得てからは、我ながら生まれ変わったように活動的になりました。何しろ1日2本ペースで延々と更新しつづけていますから。最近は1日4本が常態化しつつあるようです。1週間に1本も書かなかった男が、この変わりよう。いったい海燕に何があったのか?

1.かわいい彼女ができた。
2.何も起こっていないが、「場」を得てやる気が出た。

 正しい答えを選びなさい。いやまあ、答えはいうまでもないのでふれずに続けると、この体験を通してぼくはつくづく思いました。ひとの能力は適切な「場」を得ることによってしか発揮されないのだな、と。

 たとえば、イチローがその才能を発揮できるのはメジャーリーグベースボールという「場」があるからこそであるわけです。いくらイチローに高い能力があっても、野球をする場がなければその能力は腐っていくばかりであるはず。

 ひとは「場」を得ることによって輝き、「場」を失うことによって腐る。そういうことがいえるのではないでしょうか。だから、自分を常に適切なフィールドに置いておくことが、能力を発揮するためには必然となるといっていいと思います。ぼくにしても、はてなダイアリーという「場」からニコニコブロマガという「場」へ移ることが必要な時期に来ていたのだと思います。

 それでは、どのようにすれば自分にあった「場」を発見できるのか。