なぜ勉強するのか? [ソフトバンク新書]

 昨夜、というか朝までてれびん(@terebinn)とぐだぐだ話していて、これがなかなかおもしろい話だったので、ぼくの意見を交えつつまとめておこう。簡単にいうと、ひとはなるべく若いうちにたくさん失敗するべきだ、という話。

 この場合の「失敗」とは「挑戦」とワンセットだ。つまり、若いうちにいろいろ挑戦して成功もし、失敗もするという体験を数多く積んでおくべきだということなのである。あたりまえのことと思われただろうか。ところが、ほんとうに若い頃はなかなかこの理屈がわからないと思うのだ。

 歳をとると、十代や二十代前半の頃を「人生の前哨戦」「いま使っている武器をそろえていた時代」と捉えられる。しかし、リアルタイムで十代を生きているときは、当然そのときがすべてに思えるから、なかなか「失敗してもいいから挑戦しよう」という気分にはなれない。まだ自分の武器も整っていないのだからあたりまえではある。

 しかし、結論からいうと、これは年寄りの見方が正しい。学生時代はやはり「戦う時期」というよりは「戦いの準備を整える時期」なのである。

 もちろん、学生時代の「戦い」もまた楽ではないことはぼくも知っている。それはときとして命がけだ。しかし、それでも学生のうちにきちんと経験値を積んでおかないと、その後にはもっとシビアで残酷な戦いが待っている。その過酷な「実戦」に比べれば、授業とか模試とか部活といったものは、やはり「模擬戦」に過ぎないのだ(オリンピックを目ざすとかいったらまた話は別)。

 だから、模擬戦のうちにたくさん「死んでおく」べきだ。「死ぬ」ことを怖がって物陰に隠れてばかりいれば、たしかにそのときダメージは受けないが、そのかわり経験を積んで成長することもない。そしてそのままの状態で「実戦」に出てしまうと、当然、武装が整っていないからあっというまに「死んで」しまう。

 実戦における「死亡」は模擬戦における「死」よりはるかにダメージがでかい。へたすると、ほんとうに死んでしまうことにもなりかねない。だから、学生のうちはなるべく積極的に前線へ出て「死亡経験」を積んで、武器をそろえなければならないのだ。

 よく学生は「どうして勉強しなければならないの?」「こんなことが何の役に立つの?」と大人に訊いたりする。あなたはこの質問にどう答えるだろうか。ぼくの答えはこうだ。

 ほんとうは勉強などしなくてもいい。しかし、勉強しないならそのかわりにどういう武器で今後の人生を戦っていくのか考え、そして実践しなければならない。その用意ができていないならせめて真剣に勉強するべきだ。「何もしないこと」は貴重な模擬戦の時間を空費することでしかないのだから、と。