いつも楽しく読ませてもらっています。『「黙れ小僧! お前におれの不幸が癒やせるか!」にどう答えるか。』の記事について私見を述べたいと思います。まず、ちきりんさんについてですが私はちきりんさんの著作を読んだことがないのでネット上での印象で言ってしまうことになりますがご容赦ください。私はちきりんさんは世の中に存在している「面白がり屋」の一人だと感じています。面白がり屋とは「黙れ小僧! お前におれの不幸が癒やせるか!」と言う人とは正反対の人たちです。ちきりんさんの他に、ひろゆきさん、ドワンゴ会長川上さん、ホリエモンさん等が挙げられます。この人たちの価値基準はたった一つ「自分が愉しめるか、もしくは面白がれるか」です。ですので、自分が愉しめないと感じたらわりとすぐに手を引いたりするし自分に不意な不幸が訪れたとしても、その中で愉しんでしまおうとします。この面白がり屋たちには、多くの賛同者と同時に批判者が存在します賛同者は面白がり屋に憧れを抱いています。自分たちには出来ないことを平然とやってのけるからそこにしびれてあこがれるわけです。ですが、この人たちには多くの批判者たちから批判を受けます。何故なら、面白がり屋は大体の場面において「不真面目」に見えるからです。不真面目に見える人たちは誠実さに欠けるように見えるので批判の対象になりやすいのでしょう。話を戻しますがちきりんさんの「40代で二度目の人生を歩む」というのは面白がり屋の発想だと思います。「人生をより面白がるなら、別の環境に変えるのは一つの手じゃない?」と主張する事は悪魔のささやきをしているように「良識的な」人たちは感じると思います。だから、「その生き方はリスクが大きい」と考えるのです。多くの人たちは「安定」という名の答えを求めます。彼らはなぜ安定を求めるのか私は確信をもって言うことは出来ませんが一つ考えられることは、肉体、もしくは遺伝子のレベルで「安定を求めることが自己の生存を高める方法」だと刷り込まれている可能性です。安定を求めない、逆に世界の不安定さを愉しんでしまう面白がり屋はイレギュラーな存在なのかもしれません。ですので面白がり屋は憧れと不信の両方の視線で見られるのでしょう。しかしながら、そういったイレギュラーな存在が生物の進化を促していったことも一つの事実だと思います。また一方で、安定を求める多くの人たちに必要とされるのが「宗教」であり、「伝統」や「歴史」なのだと思います。それらは「指針」や「示唆」を与える存在ですが「唯一無二で完全無欠な答え」と取る人も少なくないでしょう。私も日頃の生活で「前例」に囚われたりするので多くの人は生きていく中での「答え」を求めてしまうのかもしれません。「黙れ小僧!〜」と言う人はその中でも特に完璧な答えを求めてしまう傾向がもしかしたらあるのかもしれません。長々と書いてしまい申し訳ありません。結論として・ちきりんさんは面白がり屋の視点で物事を主張することが多い。・安定的な答えを求める人にとってはそれが不快であり苦痛。・「黙れ小僧! お前におれの不幸が癒やせるか!」と言ってしまう人は常に完璧な答えを求めている可能性があるということが言えるかと思います。私の拙い考えが海燕さんの思考の一助になれたら幸いです。
弱いなら弱いままで。
「面白がり屋」ですか。なるほど、ちょっとおもしろい捉え方です。
でぃびさんが挙げられている方々には、たしかにある種の共通項がある気がしますね。
それにしても、「面白がり屋」とそうでない人々の差はどこにあるのでしょう?
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