ただ、ぼく自身は「それなり」に読んでいるだけで、必ずしもほんとうにディープな「なろう読者」ではないので、以下の記事は友人知人から伺ったことをまとめた面もあることを注記しておきます。そういうものだと思って読んでください。
弱いなら弱いままで。
ただ、ぼく自身は「それなり」に読んでいるだけで、必ずしもほんとうにディープな「なろう読者」ではないので、以下の記事は友人知人から伺ったことをまとめた面もあることを注記しておきます。そういうものだと思って読んでください。
さて、きょうは人気小説投稿サイト「小説家になろう」(以下、「なろう」)の話です。
ぼくはいままで「なろう」の個別の作品をいくつか取り上げたことはありますが、そもそも「なろう」がどういう場なのかについての解説はして来ませんでした。
ぼくや友人たちの間では既にいくらかのコンセンサスができているのですが、どうもネットにはあまり初心者向けの解説記事が見当たらないようなのですね。少なくともGoogleで探してみて見当たる辺りにはあまりない。
というわけで、いままで「なろう」とは無関係の幸福な人生を歩んできた方向けに、「なろう」を解説してみようと思います。オーケー? それでは、始めましょう。
ただ、ぼく自身は「それなり」に読んでいるだけで、必ずしもほんとうにディープな「なろう読者」ではないので、以下の記事は友人知人から伺ったことをまとめた面もあることを注記しておきます。そういうものだと思って読んでください。
まず、そもそも「なろう」とは何のサイトなのか? これは簡単で、広い意味での小説を投稿し、また読んでもらう場所です。
いまパッと見てみたところ、ユーザー登録者数は36万人以上。投稿作品数は20万作品以上に登っています。これが驚異的な数字であることを御理解いただけるでしょうか?
つまり、「なろう」にはどう少なく見積もっても数万人の書き手と、数十万人からの読み手がいるのです。じっさいには、ユーザー登録しなくても読むことはできるので、この数倍の読者がいると考えられます。
日本のインターネットで最大の小説投稿サイト、それが「なろう」です。
また、「なろう」の特色は、ポイント制を導入しているところにあります。上記した36万人のユーザーたちは、自分が読んだ作品をポイントで評価することが可能で、そのポイントによって作品はランキングされるのです。
これには日刊、週間、月間、四半期、年間、累計という六つが存在します。いうまでもなく、日刊ランキングとはその日一日のランキングであり、週間は一週間、月間は一ヶ月間、四半期はまさに四半期の間、年間は一年間、そして累計はいままでの「なろう」の歴史上すべてを合わせたランキングということになります。
当然ですが、日刊より月間、月間より年間、年間より累計で上位を取るほうがむずかしい。累計で上位の作品は20万作品の頂点に立っているわけで、やはりそれにふさわしいレベルのものが多いと思います。もっとも、ぼくはそのすべてを読んでいるわけではないので、偉そうなことは云えませんが。
それでは、「なろう」では、どのような作品を読むことができるのか? ほんとうに読むに値する作品ははたして投稿されているのか?
ぼくはその問いに対し、自信をもって「イエス」と答えたいところです。「なろう」には確実に面白い作品があります。
もちろん、何をして面白いと考えるかは人それぞれですが、「なろう」にシロウトの投稿作品と侮れない出来の長編、短編が数多く掲載されていることは紛うかたなき事実です。
たとえば『ログ・ホライズン』という作品があります。最近、NHKでアニメになっているので、ご存知のかたは多いでしょう。
ネット創作の傑作『まおゆう魔王勇者』で一躍その名が知れわたった作家橙乃ままれさんの小説で、ゲームの世界に取り込まれた主人公たちの冒険や葛藤を描いたシリアスな物語です。
この作品を「なろう」でも指折りの傑作と云っても、そう異論は出て来ないのではないでしょうか。
しかし、実は『ログホラ』は必ずしも「なろう」らしい小説とは云えません。むしろ、「なろう」における異色作と云ってもいい。
それは、「なろう」で長年累計ランキング首位を維持し、電撃文庫で書籍化されるやベストセラーとなった『魔法科高校の劣等生』にしても同じことです。
これらの作品は、「なろう」を代表するすばらしい小説ではありますが、「なろう」を象徴した内容とは云いがたいのです。
どういうことか。「なろう」の小説には、ある種のパターンに沿ったものが多いのです。それはたとえば、「異世界転生もの」と呼ばれるパターンです。
ある事故などで現世で亡くなった主人公が、なぜか異世界に生まれ変わり、冒険したり、成長したりする。そういう筋書きの作品が、「なろう」には実に大量に存在しています。
通常の文脈で考えれば、これは「ファンタジー小説」ということになるでしょう。しかし、「なろう」に掲載されているの多くは、ファンタジーであるとか冒険ものであるとか、あるいは恋愛ものであるとかいうより、「なろう小説」というジャンルであると考えたほうがわかりやすいかもしれません。それほど、ある種の「型」があり、明確な特徴がある。
たとえば「なろう」には「転生トラック」という言葉があります。これは、トラックに轢かれて異世界に転生するというパターンが山ほど描かれているからそういう表現が生まれたわけです。
そういう意味では「なろう小説」の多くは実にワンパターンと云えなくもありません。
しかし、まさにそうであるからこそ、いままで小説なんて書こうとも思ったことがないシロウトであっても、「このくらいなら自分にも書けるかも。ちょっと書いてみようか」という気分で参入することができる。
もちろん、そういった動機で書かれた小説の大半は、プロフェッショナルな基準では箸にも棒にもかからないものであるに違いありません。
何しろ設定にオリジナリティがない。「転生トラック」のようなありきたりのパターンを使いまわした願望充足小説がほとんどなのですから。
そういう意味では、一から十まで独創的なものを求める読者は、「なろう」には合わないかもしれません。しかし、まさにそこが没個性であるからこそ、才能ある書き手が目立つのが「なろう」という場所なのです。
即ち、同じような設定の小説を書いても、才能と能力がある作家は、やはり何かが違うものを書いてしまうのです。
たしかに「なろう小説」のほとんどは、「ある平凡な青年が異世界に転生し、そのとき与えられたチート能力(その世界のほかの人間をはるかに上回る特別な能力)で大活躍する」といった、ごくありふれた、あえて云うなら陳腐な筋書きであるに過ぎません。
それを「精神のポルノ」と形容したひともいたくらいです。ぼくは「なろう小説」が、ほぼ九割がた「精神のポルノ」であることを否定するものではありません。
たしかにそういう側面はある。「なろう」は、願望充足の楽園であり、『指輪物語』や『十二国記』のような、本物の異世界をまるごと構築しようという情熱に乏しいテーマパーク的小説が集う場所なのです。
しかし、それでもなお、否、そうだからこそ、「なろう」は面白い。
たしかに「なろう小説」はチープではあります。ですが、そのチープな骨格を、「参加者」全員でああでもない、こうでもないといじくりまわす楽しさがそこにはあります。
たとえば同じ「転生トラックもの」にしても、生まれ変わったのが某国の王子や伝説の勇者、魔王というものもあれば、スライムだったり、スケルトンだったり、ミノタウロスだったりするものもあるわけです。
それはひと言で創作と云い、小説と云っても、むしろ集団でのトライアル・アンド・エラーに似ています。
基本的に「なろう作家」の皆さんは個々人で執筆しており、それほどひんぱんに情報交換をしているわけではないのですが、何しろ全作品が無料で公開されている上に、面白い作品はランキングに上がってくる。必然的に相互に影響を与え合うことになるわけです。
そして、時々、ほんとうに時々ではありますが、飛び抜けて面白いアイディアや、ずば抜けた筆力を備えた作品が登場する。
そういう作品は、表面的にはほかの「なろう小説」とさほど違わないように見えることもあります。しかし、まさにほかの作品と似たような設定を使っているからこそ、その書き手の個性が際立つのです。
「同じようなものを書いてもまったく違う」。それこそが真の個性だとは云えないでしょうか? 「なろう」ではそういう個性をたくさん発見できます。
そういう意味で、「なろう」の作品がワンパターンだという批判はあたりません。
たとえば現在、累計ランキングで首位に立っている、つまり20万以上の作品の頂点に立つ人気を誇っている『無職転生 ー異世界行ったら本気だすー』を見てみましょう。
これは、あるひとりの無職の中年男性がトラックに轢かれて異世界に転生する、というほんとうに典型的な「なろう小説」です。
じっさい、途中までは新しい、すばらしい才能に恵まれた肉体と、両親の愛情、前世の記憶を持ち合わせた主人公が、それを活かして活躍するという、スタンダードな「なろう小説」と見えます。
ところが、この作品、話が進めば進むほどその類型から逸脱していくのです。そして、物語の現時点では、ある意味で「反なろう小説」とでも云いたいような、シリアスな物語に到達している。
ここにはあからさまにすばらしい才能と個性があるわけですが、それがわかるのも、初めの時点で「なろう小説」のテンプレートを利用しているからです。
ほかの書き手と同じテンプレを使っているからこそ、テンプレに収まりきらない才腕がはっきりと感じ取れるわけです。
累計ランキング上位に来るようなスペシャルな作品は、そのほとんどがそういう個性を感じさせます。それが「なろう」です。
「なろう」には数々の面白い小説がありますが、ある意味で「なろう」という「場」は個々の作品の面白さの総体という以上に面白いと云えるでしょう。
世にもひどい駄作から、涙なしでは読めない名作まで、ありとあらゆる小説が自由に存在を赦され、ユーザー全員が活用できるランキングというきわめて公平なシステムによって人気が測られる、「なろう」はそういうユニークな投稿サイトです。
そのユーザーインターフェイスはきわめて地味ではありますが、小説を投稿し、あるいは読むことに特化しているからこそそうなのです。
「なろう」には「感想」や「レビュー」を投稿するシステムもあり、それなりに交流が行われていますが、基本的にはあくまで小説を書いたり読んだりするためのサイトです。
そして、「なろう」の「場」としての面白さは、複数の作品を読み、そのなかにパターンを発見することによって初めて明らかになります。
「型」があるからこそ「型破り」がある、と云われるように、「なろう」にはあきらかな規格があるからこそ規格外の作品が目立つのです。
たしかに、全参加者の99.9%は無名のシロウトであるわけで、そこまでの名作ばかりというわけではありません。むしろ、小説新人賞に送ったら一時選考で無残に散る作品のほうが多いに違いない。
しかし、そういう作品が何の問題もなく存在を赦される寛容さこそ「なろう」の魅力。ある意味では、「なろう」とはひとつの巨大な物語の実験場です。
ほとんどの作品は大した野心もなく書かれ、それほど人気を得ることもなく未完に終わる。しかし、それでまったくかまわないのです。百にひとつ、あるいは千にひとつでも成功作があれば良いのですから。
そしてまた、失敗作を読み耽るのも案外楽しい。これはネットという「無限のリソース」を持つ世界であるからこそ成り立つ話です。紙幅が限られるペーパーメディアではとてもこうは行かないでしょう。
そう、「なろう」には物語の新しい可能性があります。たとえどんなにくだらなく、他愛なく思える小説が大半を占めているとしても。
「なろう」は物語の広大な沃野です。そこにある物語は、たしかにとても偏っていますが、しかし、読むに値するものも少なくありません。
そのため、最近では「なろう」からの書籍化も多く、むしろランキング上位はほとんど書籍化の話が来ているらしいという現状です。
いわゆるライトノベル的なサービス精神は多くの「なろう小説」にはありませんが、「なろう小説」には「なろう小説」だけの面白さがあります。
もしよければ、ぜひ、その面白さを味わってみてください。「なろう」という「場」はだれにでも開かれています。それはこの国でいちばんたくさんの物語が集まるフィールド。
繰り返し書いてきたように傑作ばかりではありませんが、あなた好みの作品もあるかもしれません。「なろう」は、どんな書き手、読み手に対しても扉を閉ざさないのです。
「小説家になろう」へようこそ!
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