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 岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』読了。

 書店でこの本を手にとったのは、伊坂幸太郎の帯に惹かれたからだった。曰く、伊坂が小説を書くなかで考えてきたことが、本書のなかにも記されていると。

 興味が湧いて、一読した。感動した。すばらしい。すばらしい。すばらしい。この十年間で読んだ本のなかでも、ベストといえる一冊だ。

 「自己啓発の源流」というサブタイトルから、いくらか胡散臭い内容を想像するひともいるかもしれない。しかし、本書に胡散臭いところはまったくない。どこまでも単純にして明瞭。これ以上なくわかりやすい「自己啓発」の一冊なのだ。

 少なくとも凡庸な自己啓発書を何冊読むよりも、本書一冊を読んだほうが良いだろう。それくらい知的かつ刺激的な一冊である。

 そう云っても、まだ怪しく感じられる人もいるかもしれない。たしかに、本書の内容は世間の常識に反している。たとえば本書は語る。世界はシンプルなところだ。そして人生もまた同じなのだ、と。

 信じられるだろうか? 世界は不条理にして混沌、どこまでも複雑で見通せない。それが「大人の認識」というものだろうに。

 しかし、読み進めていくほどに、その内容にも納得がいくことになる。本書一巻を通して語られているのは「アドラー心理学」「個人心理学」と呼ばれる「哲学」だ。それは場合によってはあなたの人生そのものを変えてしまうほどに激烈な毒を含んでいる。

 毒。そのように掲揚することはいささか心苦しい。じっさい、ぼくはこの本を読むことによって巨大な影響を受けた。いままでの人生で、小説を除けば、これほど影響された本はないと云ってもいいかもしれない。

 だが、それは既存の価値観を崩壊させ、新たな人生へ向かわせるという意味で、やはり、「毒」と形容したいようなものだ。

 本書で語られている「心理学者アドラーの教え」はあまりにも厳しい。一歩間違えれば、すべてを自己責任に帰すだけの単純な精神論にすり替わるような気がしてならない。

 しかし、それでもなお、本書の教えはぼくの心を強く惹きつける。なぜなら、ぼくがいままで個人的に考えてきたことが、さらに明瞭に、さらにわかりやすくそこに綴られているからだ。まさに伊坂のように、ぼくもまたこの本のなかに自分を見たのである。

 地上の真理を会得した「哲人」と、かれを論難しようとする「青年」の対話の形式で本は進んでいく。「哲人」が語るアドラーの教えは劇薬のように苛烈なもので、「すべての人は幸福に生ることができる」と説くものである。

 哲人の、アドラーの教えはこうである。あなたの幸福はあなたが決めて良いのだ、否、あなたが決めるよりほかないのだ、と。あたかも、ひとの幸不幸とはだれも踏み込めないサンクチュアリであるというように。

 幸福は外部の条件によってではなく、ひとの心持ちひとつによって決まる。云ってしまえば、陳腐な理想論と思えるかもしれない。しかし、それは真実なのだとぼくは思う。

 アドラー心理学が学問的にどのように評価されているのかわからないが、それはともかく、ぼくはこの「教え」に実に感銘を受けた。なぜなら、それは常々ぼくが考えてきたことを遥かに洗練させたものにほかならないからだ。

 そうだ、ひとはいつでも幸福になれるし、そうなってかまわないのだ。そのために必要なものは何か? 富か? 名声か? 洗練された容姿か? 否――何もいらない。ただひとつ、