弱いなら弱いままで。
世界の主人公を降りるところから対話は始まる。
ども。海燕です。あしたは「にいがた酒の陣」に行ってまいります。実に500種類に及ぶお酒が試飲しほうだいというちょっと狂ったイベント。
2012年には10万人を超える参加者が集まったということで、アレですね、10万人の酔っぱらいが練り歩くことになるわけですね。ちょっと想像を絶するものがあります。大丈夫なんだろうか。
まあ、ぼくはそこまでお酒が好きなわけじゃないので、ほんとに泥酔するほど飲みはしないとは思いますが――き、気をつけよっと。
さて、最近、来たる対談に備えて、付け焼き刃の対話力を身につけるべく、コミュニケーションやらカウンセリングやらの本を読んでいます。
いやー、そこは生まれながらの非リア、人間恐怖症の海燕さんですから、いまさら少々リア充テクを学んでもどうしようもないとは思うのですが、でも! でも、何とかしたいじゃん。
何かあの対談、ニコニコチャンネルのトップにバナーが貼られているしさ。うひー、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。
まあそういうわけで読んだ何冊かのなかでも興味深かったのが『プロカウンセラーが教えるはじめての傾聴術』。タイトル通りの内容で、プロカウンセラー(そんな職業があるのかどうか知りませんが)の著者がその「聴く技術」を伝授する一冊。
そこまで特別なことが書かれているわけではないのですが、系統だって記されてるため、なかなか参考になります。
で、どうでもいい余談なのですが、ぼくはひとの愚痴とか、自慢話とか、のろけ話といったものを、何の苦もなく聴いていられる人なんですよね。
それはもう、「ほへー」とか云って何時間でも平気で聴いています。最近、どうやら一般的には他人の愚痴を聴くのは苦痛だというひとが多いことがわかってきて、「へー」と思ったりしています。
まあ、何というか、ぼくは特に聞き上手ってわけじゃないけれど、ひとの話を一方的に聴いていることが苦にならないひとなんですよね。ペトロニウスさんたちとラジオをやるとひたすら一方的に聴いていたりしますから。
いちばん最初にやったラジオでは、延々9時間ほとんど喋らなかった(笑)。でもそれで平気なんだよなあ。ちょっとした特技と云えるかもしれません。ただ単に自己主張がないだけということも考えられますが。
まあ、モテ系の記事とか本を読むと、「女の子の話を共感をもって聴けるひとはモテる」と書かれているのですが、ぼくはたぶんいくらでも聴けます。なんで非リアなのか不思議なくらい。
ぼくにとっては、本を読むこととひとの話を聴くことは同じカテゴリに属する行為です。そしてまったくつまらない本というものがないように、つまらない人間もいないのです。
すべてのひとはどこか面白く、興味深く、不思議と神秘を秘めているものだと思うんですね。だから、ぼくは読書と同じくらいひとと逢って話をすることが好きです。リアル人間は怖いけれど……。余談終わり。
さて、ぼくは上記の『プロカウンセラーが教えるはじめての傾聴術』に書かれていることは、ある意味で「ひとに人生の主役をあけわたす」テクニックであると受け止めました。
つまり、人生の中心に相手に置く技術であると。ひとを好きになるって、本来、そういうことなんじゃないかな。
非モテ系のひとの話とか読むたびに思うのだけれど、「おれは容姿で差別されている!」とかいうひとがモテないのは、あたりまえといえばあたりまえだと思うんだよね。
だって、そのひとは
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コメント
コメントを書く海燕さん、こんばんは。
海燕さんの「何時間でも人の話を聞いていられる」というのは、まぎれもなく一つの才能です。世の中、自分の言いたいことをべらべらしゃべる人は多いと思います。でも、逆に他人の話をさえぎらずに聞いてあげられる人は、かなり少ないのではないでしょうか。
カウンセラー以外に、インタビュアーも人の話を聞く職業です。彼らは「話し手を主役にできる達人」なんでしょうね。
私自身の話をすると、もう人の話を聞くのが大の苦手で…。もっと言うと、他人の生の声を聞くのが苦手なのです。私みたいなやつは極端な例でしょう。それでも、やはり海燕さんの人の話を聞いてあげられる能力というのは、尊いものだと思わずにはいられません。