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本書のメインタイトルは「就職しない生き方」、サブタイトルが「ネットで「好き」を仕事にする10人の方法」。いずれも、どうにかネットを使ってラクに生きていく術はないかと探しつづけているぼくにとってはとても魅力的なタイトルである。
タイトルは合格。中身はどうか。期待半分不安半分で読んでみたら、あにはからんや、期待していたよりずっと興味深い内容だった。「ネットで「好き」を仕事にしている10人」に対し、「就職しない生き方」の方法論を訊ねていくインタビュー集だ。
その10人とは、古川健介、深川英一郎、蝉丸P、塩見直紀、堀内議司男、佐藤大吾、家入一真、登大遊、堀江貴文、そして西村博之。いずれ劣らぬネットの有名人たち。おそらくあなたがネットのヘビーユーザーならこのうち何人かの名前は知っていると思う。
それぞれ含蓄ある内容を話してくれているのだが、ぼくにはひろゆきこと西村博之さんのインタビューが格別におもしろかった。いや、ひろゆきはおもしろい人だと聞いていたけれど、本当でしたね。どういうひとなのかなあ、と思っていたけれど、こういうひとだったのか。納得。
そしてさらにおもしろかったのが、巻末の西村博之と古川健介の対談。若くしてネットのトップランナーになったふたりが意見を交わし合っているのだが、そのなかでも最も興味を惹かれたのがひろゆきがホリエモンについて語った箇所だった。西村は堀江を称してこういうのだ。
西村 昔、予備校の友達と話していたんだけど、これさえあると絶対幸せになれる、っていうものはね、「根拠のない自信」。幸せになるのに根拠が必要な人は、その根拠が崩れたら、幸せではなくなってしまう。でも、根拠のない自信は、どうやっても崩せない!で、たぶん堀江さんは、根拠がないとダメなタイプ。コンプレックスからスタートしてる人だから、事業を成功させて、お金とか経営能力っていうバックグラウンドができて、はじめて自由に動けるようになったんじゃないかな。
なるほど! これはあれですね、ぼくがいうところの光属性(ライトサイド)と闇属性(ダークサイド)ですね。いや、どんな中二病設定だよ、と突っ込まれるかもしれないが、この際、ネーミングはどうでもいい。
ぼくはひとを見るとき、その人がライトサイドの人間かダークサイドの人間か、という分類で考えることがあるということ。分け方は簡単。べつにフォースの性質は関係ない。ひろゆきがいうところの「根拠のない自信」を持っているひとがライトサイドで、持っていないひとがダークサイドである。
ただし、ぼくの場合、ひろゆきが「自信」と言っているところを、「自己肯定」と言い換えたい。微妙な違いだが、この言い換えでよりわかりやすくなると思う。ひとには、何の根拠もなく自分を肯定できてしまうひとと、そうではないひとがいるということだ。
根拠無く自己肯定できてしまう人間は、コンプレックスやルサンチマンというネガティヴな情念もまた持たない。だからそれらに苦しめられることもなく、始終機嫌よく過ごすことができる。心に深刻な傷(トラウマ)がないから、日常的にわけがわからない不安に苦しめられることもない。
もちろん、かれにだって「あしたのご飯どうしよう」というような、具体的な不安はあるに違いないが、脈絡もなく時折り襲ってくる「存在そのものの不安」といったものとは無縁なのだ。
「コンプレックスって、全然ない」と語るひろゆきは、また、自分自身の成功にかんして「僕は、どっちでもいいんですよ。今たまたま成功してお金持ってるけど、もう1回やっても、たぶんそんなに違いはないと思うなあ」と語っている。
典型的なライトサイドの人間の言いぐさである。ライトサイド人は成功に執着しない。成功しなくても自分を認められるからである。こういう人間は、ある意味で無敵だ。ただ、非常に少ない。あるいは、子供の頃は多くても、しだいに減っていく。もしかしたらすべての人間はライトサイドに生まれてしだいにダークサイドに染まっていくのかもしれない。
それならダークサイド人はただコンプレックスにまみれただけの劣等な人間かといえば、そうでもない。麻雀漫画『天』でアカギもいっていたことだが、超人的な努力や集中力とは、自分に自信がなかったり、ひとより劣っているところがある人間が、その劣等感をバネにして生み出すものである。
だから、ダークサイドの人間のほうがより克己したり、自分を追い詰めたりすることが得意だということは少なくない。もちろん、それは底に自分自身に対する不安を抱えたネガティヴなモチベーションだから、純粋に素晴らしいとはいえないかもしれない。しかし、どんな理由であれ、努力すればその成果は積もっていく。
だから、ダークサイド人もべつに落ち込む必要はない。ただ、ひとの何倍も仕事をしてしまったり、やたらお金や異性に執着したりする人間は、大半が「根拠のない自己肯定」ができないダークサイドの人物である、とぼくは捉える。ライトサイド人はそこまで自分を酷使する必要がないのだ。
もちろん、ライトサイド人も努力はする。しかしそれは「好きだから」とか「おもしろいから」といった理由であることが多い。そういう人間の精神的背骨は、強くまたしなやかである。
そのことがよくわかるサンプルが、テニス漫画『ベイビーステップ』だ。この漫画の主人公、エーちゃんは紛れもなく純血のライドサイド人である。かれはただ「テニスが好きだから」というだけの理由で、どこまでも自分を追い込んでいく。
その過酷さはかつてのスポコン漫画の主人公たちに劣らないはずだが、そこに、たとえば矢吹ジョーや星飛雄馬にあるような暗い情念はまったく見られない。エーちゃんはどこまでも明るく、素直で、真面目なのだ。
かれは少しも屈折していないし、また、正体不明の不安を抱えてもいない。スポーツ漫画にとって、ニュータイプの主人公であるといえるだろう。同じテニス漫画の登場人物でも『しゃにむにGO』の滝田留宇衣や佐世古駿はダークサイド人ですね。伊出延久はライトサイド人だけど。
これはもちろん、ライトサイドとダークサイド、いずれが正しく、いずれが誤っている、という問題ではない。ただ、幸せになりやすいのは間違いなくライトサイドの人間だと思う。何の根拠もバックグラウンドもなく自己肯定できているから、無理をしなくても幸せなのである。
ただ生きているだけで幸せ、というひとはライトサイドの人間だ。そういう意味でひろゆきは非常にめずらしいピュアなライトサイドのひとなのだろうと思う。うらやましい話である。ま、本人に会ったことはないから、ほんとうのところは知らないけどね。
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