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しかし、性犯罪者の頭のなかでは、そのような形での理解が行われていることがありえるらしい。鈴木伸元『性犯罪者の頭の中』には、そういうおどろくべき事実が記されている。
この本によると、性犯罪とは、じっさいには「ムラムラと来てやった」というような単純なものではなく、計画的、ある意味では理性的に実行されるものなのだという。
文中、A受刑者と記されるある人物は、被害者の情報を集め、計画を立案し、じっさいの犯行に及ぶその「作業」を、ゲームに喩えている。
「こうした作業は、ロールプレイングゲームにおいて情報収集をし、フラグを立てて、目的を攻略していく過程に似ているように思います。犯行がエスカレートしていくつれ“経験値”が増え、自分が“レベルアップ”していく感覚がありました」
一方、のぞきと強姦で懲役4年のB受刑者はこう語っている。
「今振り返れば、自分は強い男なんだと確認したかったのだと思います。被害者の方には大変申し訳ないですが、他の人をコントロールしたい、支配したい、そういう気持ちから犯行に及んだと、自分では分析しています」
いかがだろうか。しょせんは犯罪者のたわ言、自己正当化と思われるだろうか。実を云えば、ぼくなどはこういった発言を見ていると、理解できることだな、と思ってしまう。
本来コントロールできないはずの他者の行動を支配し、コントロールするという行為には、たとえそれが錯覚に過ぎないものであれ、強い「力の感触」が伴うものなのだろう。
この種の「自分は強い」という「パワー幻想」には、強烈な中毒性がある。その「パワー幻想」が強化されてゆく感覚を、A受刑者は「レベルアップ」と表現しているのではないだろうか。
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私も、地獄と天国は、てっぺんにあるのではなく自分の中にあるように感じます。
男の人は自分が性犯罪の被害者になるケースが少ないから、被害者の痛みが分からないのでしょうね。ただ、男でも自分が被害者になれば被害者の女性の痛みもわかるのではないかと思います。