三つ前の記事に対し、「最近、ウェブ小説が流行っているが、一部の人向けの、特定の傾向の作品ばかりが流行っていて多様性がない。けしからん」という構図に持って行きたがっていた記者に対して、ひとつひとつつぶしてゆくQ&Aだということを伏せて、対話のやりとりの一部だけ抜粋して、話を誘導するのは、フェアじゃないと思います。」というコメントが付きましたので、この「抜粋」についてもう少し詳しく解説したいと思います。
まず、問題になっているのは以下のQ&Aなので、再掲します。公正を期して、前回は中略していた部分も復元しておきましょう(前回中略したのは全文を書き移すのが面倒だったからで、それ以上の意図はありません。念のため)。
Q. ウェブ発のほうが紙よりウケるとか売れるとかいう以外の軸で、小説の文化的な価値をもっと考えた方がいいんじゃないですか? 売れないけれども文学的な価値の高い「いい本」だってあるでしょう?
A. もし紙の世界の作家や記者が、出版ビジネスの商売の部分を否定して文化的な価値だけを称揚するのであれば、今すぐ自分の本や雑誌に値段を付けて売るのをやめて、ウェブ小説のプラットフォームにアップして無料で読めるようにしたらいい。「売れなくてもいい」「多くの人に読まれなくても、自分の作品の価値を信じる」という書き手はウェブにもたくさんいる。無料で読めるようにしている時点で、神で値段を付けて売っているくせに「商売よくない! 文化大事!」などと言っている人間よりも、純粋に文化というものを信じていると思う。どうしてタダで広く読めるようにしないのか? どうしてウェブの作品には紙に載っている作品より価値がないような言い方ができるのか?
こうしてみると、中略しないほうがよりぼくの意見がよりわかりやすくなりますね(中略されていてもわかるとも思いますが)。
ぼくはこの意見は「Q」に対する「A」になっていないと考えます。「Q」と「A」で話がずれている。
まず、そもそもここでの「Q」は「文化的な価値」だけが大切で「商売の部分」なんてどうでもいいといっているわけではないと思うのですよね(それ以前にこの「Q」自体、著者が自分の記憶に沿って書き記したものなので、じっさいの記者の考えそのものとはかけ離れている可能性もあるわけですが、それはとりあえず置いておく)。
この「Q」はただ、どこまでも「商売の部分」を重視する著者に対し、「小説の文化的な価値をもっと考えた方がいいんじゃないですか?」と問うているだけだと考えるほうが常識的だと思えるわけです。
だから、その意見に対し、「もし紙の世界の作家や記者が、出版ビジネスの商売の部分を否定して文化的な価値だけを称揚するのであれば」という前提で答えていくことはおかしい。だれもそんなことはいっていないわけですから。
ただ単に「文化的な価値をもっと考えようよ」というだけの意見がなぜかあっさりと「商売の部分を否定して文化的な価値だけを称揚する」意見にすり替わっている。
また、中略されていたところを元に戻したことであきらかになったように、なぜか突然、「商売よくない! 文化大事!」と叫ぶ架空の人物が登場させられてしまっている。
だれがそんなことをいっているのでしょう? 少なくとも「Q」からはそんな趣旨は読み取れませんよね。
だから、ぼくは「そういうことではないでしょう」といったのです。
「ビジネス」だけを考えるのではなく、「文化」だけを考えるのでもなく、「ビジネス」と「文化」の両方を考えていくことが大切なのではないか、と。
これに対して、もし仮に「いや、ビジネスだけが重要で、文化など重要でないのだ」という答えが返って来るとしたら(じっさいにはそこまではいわないでしょうが)、それは「文化」だけを重視し「ビジネス」を軽視する考え方をそのまま裏返しただけの思想に過ぎないとしかいいようがありません。
だから、ぼくは「「文化」と「ビジネス」はいわば鳥の両翼です。文化なくしてビジネスが栄えつづけることなく、また、ビジネスなくして文化が花ひらくこともない。両方が大事なのです。「こんなに売れているのだからいい作品に決まっている」というのでは、「いい作品」の条件の片方しか満たしていません。」と続けるのです。
おわかりいただけるでしょうか。
ちなみに、同じQ&Aのほかの部分になりますが、「特定のタイプの、程度が低いくだらない作品ばっかり流行っていて、作品の多様性がないんじゃないかと思うんですが、どうなんですか?」という質問に対し、「流行りがあること、流行りに乗っかった作品が目立ち、そうでない作品が埋もれがちなのはウェブ小説に限らず、どのジャンルのエンタメでも起こっていることにすぎない。それをもってウェブ小説を断罪するのであれば、規制の紙の小説も同様に批判すべきである。(後略)」と答えているやり取りもずれていると思います。
「くだらない作品ばっかり流行っているんじゃないの?」という問いに対して「流行りはどのジャンルにもある」と答えるのは、あきらかにずれているでしょう。意図的にやっているんじゃないかと邪推したくなるくらいです。
もし著者が真にウェブ小説の価値に自信を持っているのなら、ストレートに「くだらない作品ばっかり流行っているなんてことはない。素晴らしい作品が多い。」と答えればいいところですからね。
可能性として想定できるのは、著者自身、内心では「程度の低いくだらない作品ばっかり」という意見を否定しきれないと考えているということですが、真相はわかりません。
しかし、どうやらこの「Q&A」では「「最近、ウェブ小説が流行っているが、一部の人向けの、特定の傾向の作品ばかりが流行っていて多様性がない。けしからん」という構図に持っていきたがっていた記者およびその上司の思惑」を潰し切れているとはいいがたいようです。ぼくはそう考えます。
もうひとつ念のために付け加えておくとしたら、ぼく自身は「くだらない作品ばっかり」とは考えていません。
では、何か異論があったら、どうぞ。
コメント
コメントを書くわざわざ記事で返答いただいて、恐縮です。
海燕さんの作品に対する考えかたはわかりました。ここで収録されているAは、ウエブ小説に対して批判的な人の考えを、転向させるほどのものではない、ということですね。
それについては、まあ、しかたがないんじゃないかと思います。
そもそも本のタイトルが「ウエブ小説の衝撃」であり、本の目的は、ウエブ小説に興味を持っている人に踏みこむきっかけを与えるためのものです。頑固で意固地な抵抗勢力を説得するためのものではないからです。
あの本が「ウエブ小説の素晴らしさ」を啓蒙するための本ではないことは、明らかです。
そちらの続編は、確かに読んでみたいと思いました。
海燕さんが、「売れていることはいい作品の片方しか満たしていません」と言いますが。
僕は「素晴らしい作品であることは、売れるための必要条件に過ぎない」と考えています。売れていなくても素晴らしい作品はありますが、素晴らしくないものが、そもそも売れるはずがない。
「売れているから素晴らしい作品」という論が飛躍して見えるのは、そのせいではないかと。商売と数字を信頼している人間には、その仕組みが、あまりに自明すぎて、論理を一段階すっ飛ばしてしまうことは、多々ある気がします。