日本人の心の花といえばやっぱり桜。桜が特に人気になったのは平安時代からで、お花見も貴族の間でブームになったのが始まりと言われています。源氏20歳の春。お花見の夜、源氏のハートは謎の美女に盗まれます。
「酔った勢いでつい…」夜桜の下での一夜の過ち
うららかに晴れた気持ちのよいある日、宮中では桜の宴が催されました。帝の御座所の左右には、中宮となった藤壺の宮、源氏の兄の皇太子のお席があります。
(本来なら、あそこに座るのは私だった……)と恨みがましい弘徽殿女御。自分の息子が間もなく即位するとあっても、藤壺の宮の下座につくのは面白くありません。でもお花見を欠席するのも癪なので参加中。イベント好きなオバサマです。
漢詩のに続いて歌に舞と、華やかな催しが続きます。源氏は請われて青海波のアンコールを舞い、それに対抗して頭の中将が念入りに練習した舞を見せたり。大いに盛り上がったあと、宴は夜半にお開きになりました。
みな帰って静かになりましたが、源氏は月明かりの中、ほろ酔い気分でごきげん。「こんな時は気が緩んでるから、ワンちゃんあるかも」と藤壺の宮の御殿へ行ってみますが、厳重に戸締まりされていて、入り込むスキはなさそう。ガッカリ。
それでもウロウロしていると、弘徽殿女御の所の戸が開いています。今夜は彼女が帝のお側に上がったので、女房たちも少ない様子。「不用心だなあ、こういうことから間違いが起こるんだよな」と思いつつ、サッと侵入。発想が空き巣!
廊下にひそんでいると、とても若くきれいな声で「照りもせず曇りも果てぬ春の夜の 朧月夜に似るものぞなき」と口ずさみながら、こちらにくる女性が。源氏は(よっしゃ!)とばかりに捕まえます。
「あなた誰?何するの!」「これも前世からの縁ですよ」。源氏は彼女を抱き上げ、細殿(女房などにあてがわれる仕切りをした部屋)に連れ込みます。前世からの縁、便利すぎ。
「知らない人が…」彼女は怯えて助けを求めますが「わたしは誰からも許される人間ですよ。人を呼ばれてもどうってことない。おとなしくして」。この傲慢な言い方と声で、彼女はやっと相手が源氏だとわかりました。
誰かわかってちょっとホッとしたけど、頑なに拒んで、強情な女と思われるのもイヤ。全く無抵抗でもなく、でもあっさり許すというのでもなく。宴の余韻も手伝って、2人はそういうことになってしまいました。勢いでつい……という、今でもありそうな話ですね。
あっという間に夜明けが迫り、源氏は焦ります。「名前を教えてください。でないと連絡できない。まさかこれで終わりじゃないでしょう?」。
彼女は源氏以上に悩ましそうですが「名前を言わなきゃ探してくれないなんて、何だか本気じゃないみたい。どうしても逢いたいなら、探し出して下さるはずでしょう?」。鮮やかな切り返し。さすがに源氏も「これは失礼、言い損なった」。
どうも彼女には名乗りたくない事情があるらしい。源氏はなんとか名前を聞き出そうとしますが、人が来る気配がしたので、「出会いの記念に」とお互いの扇をトレードし、急いでその場を去りました。
「ヒントは扇」彼女は一体誰なのか?
彼女の扇は、水に映った朧月の絵柄。上等なもので、身分の高い女性の愛用品とわかります。女房ではなく、弘徽殿女御の妹たちの誰からしい。源氏はこの人を『朧月夜』と呼びます。
弘徽殿女御は6人姉妹の長女。源氏の弟宮と結婚した方と、頭の中将と結婚した四の君が特に美人と評判です。「でも彼女は処女だった。人妻だったら却って面白かったのに」。ゲスいよ!
実家に残っているのは五の君と六の君。「どちらかだろうけど、六の君は皇太子妃にという話を聞いている。もしそうだと厄介だ。どうやって特定しよう?」もし六の君であれば、兄の結婚相手を婚前に奪ってしまったことになります。
源氏はアフターパーティーに駆り出されて忙しいので、惟光と良清(よしきよ・源氏の腹心。惟光の相棒的存在)に宮中を出ていく牛車を見張らせました。
「退出される中に、右大臣の子息らが従う車が3台ありました。やはり弘徽殿女御の妹姫がお乗りになっているようです」。源氏はドキッとしますが、これだけではどの妹かわからない。
弘徽殿女御にも、父親の右大臣にもにらまれている源氏。もし右大臣に知られて、仰々しく婿扱いをされるのも居心地が悪いだろう。彼女がどういう人かよくわからないうちに突き進むのも危険だ。どうしたものか…。
名乗らなかった様子といい、事情がありそうなだけに、今後どう進めていくべきなのか悩まれます。扇を眺めて「本気なら私を探して」と切り返したときの、艶やかな様子を思い出してため息ばかり。
宮中に居続けたので「紫の君にもしばらく会ってない。寂しがっているかな」と思いつつ、源氏は恋の虜になっていました。
チャンス到来!源氏、ついに彼女を突き止める
一方、朧月夜も、あの夢の一夜のことを思い出してはため息ばかり。予想通り、彼女は弘徽殿女御の妹、右大臣の末娘の六の君でした。
「4月(今の5月)になったら皇太子妃に」という予定でしたが、今はとてもそんな気持ちになれません。姉妹とはいえ、親子ほども年の離れた姉。その息子である皇太子と彼女は、甥と叔母という関係になります。
源氏もおおよそのアタリはついたものの、元からよく思われてない家なので、積極的な行動をとらないまま時間が経過。
桜の季節も終わった頃、宮中で右大臣から直々に「我が家でパーティーを致しますので、ぜひ」。藤や遅咲きの桜を愛でつつ、弘徽殿女御が産んだ皇女たちの成人式をやるというのです。右大臣はとにかく派手好きで、かなりのパーティーピーポー。
源氏は面倒に思って辞退したものの、右大臣は息子を迎えにやらせて、絶対に来て欲しいと言います。困った源氏は帝に相談。「お前に来てもらえれば得意満面ということか。皇女たちはお前の妹宮なのだし、行ってあげなさい」。
源氏は遅くなってから右大臣家に到着。政府高官や皇族など、皆がかしこまったブラックの正装に身を包んでいるのに、源氏だけは季節を意識した『桜襲(さくらがさね)』のピンクと、赤紫のコーディネート。遅咲きの桜も顔負けです。
源氏は身分が高いので、ドレスコードが必要なパーティーでもきれいめカジュアルでOK。これも源氏に許されていることの一つです。
右大臣家は、新築の御殿はピカピカ、お香も煙たいほどガンガン焚かれ、女房たちの衣装も美々しいばかり。奥ゆかしさや荘厳さのない様子に、源氏は心の中で(豪華主義で派手な家だ。藤壺の宮の所の佇まいが恋しい)と、少し見下げた評価です。
夜遅く、源氏は「お酒を強いられて困る…」と、酔ったフリをして女性たちがいる辺りに寄っていきます。誰かが非難するのもお構いなし、あの朧月夜の君はどこだろう?
源氏は彼女にだけ分かるように、歌の歌詞を変えて冗談のように言ってみました。「高麗人に扇を取られて 辛き目を見る…」本来の歌詞は扇ではなく帯なので、事情を知らない人は単なる言い間違いかと、不思議そう。
扇の意味を察し、ため息をついている女性がいます。「あの夜の朧月を探して、私はさまよっています。どうしてだと思います?」「本当に想って下さるなら、迷うことはないはずでしょう」。
切り返しといい、声といい、あの夜の彼女です!「やった!!この人だ!」源氏はもう嬉しくて嬉しくて、というところで、この話が終わります。
『源氏物語の中の峰不二子』朧月夜の君
春の夜に歌いながらさっそうと登場し、源氏のハートをわし掴みした美女、朧月夜。派手な家風をバックに持つ、豪奢な大貴族のお嬢様。頭の回転が早く、グラマーな美女で、ちょっとヒール性あり。その魅力で源氏と兄・皇太子を翻弄します。
彼女はいわば、源氏物語の中の峰不二子的存在。名乗らずに扇を残していき、源氏がそれをヒントに彼女を探す、という謎とき構成も面白いですね。
姉の弘徽殿女御からは「寵愛されて皇子を産み、ゆくゆくは中宮皇后となるように」と期待され、その重要さも十分わかっていたはずなのに、源氏と関係したことで敷かれたレールを降りた朧月夜。
権力闘争や栄達には興味がなく、リスクを負いながらも、自分で選んだ人生を歩む様子は、”受け身で耐え忍ぶ”とか”ジメジメ恨む”タイプが多い、他の女性たちとは一線を画し、気持ちがいいしカッコいい。
その奔放さに不二子同様、女性ファンが多いという朧月夜ですが、筆者も源氏物語で一番好きな女性。もし男なら一度、こういう人に振り回されてみたいですね。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
(画像は筆者作成)
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