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田中良紹:石原慎太郎氏の訃報に接し思い出される田中角栄と『天才』
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田中良紹:石原慎太郎氏の訃報に接し思い出される田中角栄と『天才』

2022-02-03 17:20
    国土交通省の統計不正問題について、1月31日に衆議院予算委員会が集中審議を開きながら、その問題を追及したのは与党側だけで、野党側では質問に立った7人のうち1人しか取り上げなかったことの不思議さを書いていたところ、石原慎太郎氏の訃報が飛び込んできた。

     急に頭の中が回転し始め、統計不正問題より石原慎太郎という政治家の記憶が頭の中で膨れ上がってくる。特に親しい関係があった訳ではないのに、私の記憶の中に石原氏は確固として存在していた。

    それは田中角栄元総理の日中国交回復に反対し、反田中の急先鋒であった石原氏が晩年『天才』という本を書いて田中を褒め上げたことと無縁ではない。国会の話を書こうとしていた筆が先に進まないので、石原氏を巡る私の記憶を書くことにする。

    私が衆議院議員時代の石原慎太郎氏と直接に会った最初は、ロッキード事件で逮捕された田中角栄の一審判決が下される前の1983年1月だった。ロッキード事件で私はTBSの社会部記者として田中を逮捕した東京地検特捜部を担当し、田中が逮捕されたその日は検察庁の玄関にいて、検察が差し向けた車から降り立った田中が検察庁に入るところを見送った人間だ。

    田中逮捕は間違いなく田中の政治生命を奪うと私は思った。ところが現実はまるで逆の方向に向かう。田中の政治力はますます強くなり、自民党最大派閥を率いる「闇将軍」として日本の政界を支配するようになった。

    なぜ刑事被告人が日本の政治を牛耳ることができるのか、私はそれを探るため「報道特集」という番組で地元新潟の政治風土や自民党の取材を始めた。そこで自民党の政治家50人に「あなたにとって田中角栄とは何か」をインタビューし、その言葉を組み合わせて、田中角栄像を浮き彫りにする企画を立てた。

    その1人として反田中の急先鋒であった石原氏にインタビューを申し込んだ。赤坂にある事務所でお会いすると、「あれはバルザックの人間喜劇だ」と石原氏はぶっきらぼうに言った。上から目線で馬鹿にしたような言い方で、ずいぶん横柄な人間だなあと思ったのが最初の印象である。

    その後私は田中角栄の最期を見届けようと政治部記者になり田中角栄を担当する。するとどういう風の吹き回しか早坂茂三秘書から頼まれ、自重自戒と称して私邸に籠り政治活動を自粛していた田中の「話の聞き役」をやることになった。目白の私邸で田中の話を聞くだけの役目だが、田中は毎度憤懣をぶちまけるようにしゃべり続け、それは政治の世界を知らない私にとって目から鱗の話ばかりだった。

    1985年2月に突然田中は脳梗塞に倒れ、田中支配は終わりを告げた。その翌年に私は外務省担当を命ぜられ、外務省の記者クラブに行くと、隣の席にいたのが日本テレビの石原伸晃記者だった。家が同じ方向だったこともあり、都心で飲んで一緒に帰る機会がしばしばあった。

    伸晃氏は父親のように自分も政治家になりたいと熱っぽく語った。叔父貴(裕次郎)には何で政治家なんかなるんだと言われるが、やっぱり政治家になりたいと言うのだ。政治の裏舞台を散々見てきた私には忠告したいこともあったが、情熱的に語られると黙って聞くしかなかった。

    石原慎太郎氏との2度目の出会いは、私がTBSを辞め、米国の議会専門チャンネルC-SPANを真似た「国会テレビ」をCS放送でやっていた1999年だ。石原氏は衆議院議員を辞め東京都知事に立候補しようとしていた。「国会テレビ」は都知事候補者全員を1人ずつスタジオに呼んでインタビューを行った。

    鳩山邦夫、舛添要一、明石康、柿沢弘治の各候補に続いて石原氏がスタジオに来た。「国会テレビ」は視聴者が電話でスタジオの政治家に直接質問ができる。その時も日本中の視聴者から電話がかかって来た。

    沖縄から「東京とは関係ない沖縄の事で質問しても良いですか」と電話がきた。石原氏は「ああいいよ」と答え、米軍基地の話になった。そして米国の言いなりになる日本では駄目だということで視聴者と共鳴する。「おい、このテレビ面白いな」と石原氏は私に言い、上機嫌になった。

    田中角栄を「人間喜劇」とぶっきらぼうに言った時とは別人の石原慎太郎がそこにいた。私とのやり取りでも、かつて都知事選で敗れた美濃部亮吉氏の公害政策を高く評価し、自分も公害対策に力を入れると力説した。左翼嫌いだとばかり思っていたが、いつの間にか幅の広い政治家になったように見えた。一皮むけたなと私は思った。

    そうした姿勢が東京都民にも好感を持たれたのか、石原氏は圧倒的な票数で都知事に就任し、公約通り排ガス規制に力を入れた。米国に対しNOと言える日本でなければならないと主張する石原氏の主張は私の主張と変わらない。底辺のところでは共感するのだが、そこから先になると私と石原氏とでは考えが異なる。

    その最たる例が尖閣諸島を巡る話だ。尖閣諸島が日本の領土だと言うのはいい。しかしそれを東京都が買い取るということをなぜか米国でぶち上げた。なぜ米国でぶち上げる必要があったのか。そこに私は不純なものを感じてしまうのだ。

    東京都が地権者から買い取るというのは国内の話で、米国が関与する話ではない。それを米国でぶち上げたことは米国に関与させたい思惑が石原氏にある。尖閣諸島は日本が実効支配しているから日本政府は「領土問題は存在しない」という立場だ。ところが石原氏が米国で東京都が買い上げると発言したことで、日本政府は国有化を急ぐことになり、それに反発した中国は自国の領土だと見せつける行動をとるようになった。

    石原氏の行動は国際的に「領土問題がある」ことを認識させた。これは領土問題が存在することを認めさせたい中国にとって都合が良い。また日本が近隣諸国と領土問題で対立することは米国にとっても都合が良い。日本の米国への依存度が高まり、日本は米国の言うことを聞かざるを得なくなるからだ。

    NOと言える日本という点では共鳴できる石原氏が、なぜ米国の言いなりにならざるを得ない行動に出たのかそれが私には理解できない。ある保守派の人間が教えてくれたのは、東京都の尖閣買い取りと当時の野田政権の国有化は「茶番」だという話だった。

    もともと東京都に買い取る気はなく、国有化をさせるために取った行動だというのだ。その行動を通して民主党政権と自公に大連立をやらせて安定政権を作る。その際、自民党の谷垣総裁を外して息子の伸晃氏を自民党総裁にし、石原伸晃氏が総理となる大連立政権を構想していたというのだ。

    それが本当かどうか私にはわからないが、それが本当だとしたら、今に至る尖閣問題は石原氏の親バカから始まったことになる。まったくもって迷惑な話だ。ただ実際に野党時代に自民党総裁を務めた谷垣氏に代えて伸晃氏が総裁になりそうな場面はあった。

    東京五輪の開催に執念を燃やす森喜朗氏に頼まれて、東京都知事を辞めようとしていた石原氏が知事を続ける見返りに、伸晃氏が出馬する自民党総裁選に森氏の協力を要請したことがある。

    2012年の自民党総裁選挙は、消費税を巡る3党合意が成立した後の総裁選で、野田総理が3党合意を成立させた見返りに、近いうちに解散すると約束したことから、自民党総裁になれば総理になる可能性があると思われた総裁選だった。その時幹事長であった伸晃氏は谷垣総裁を差し置いて出馬に意欲を見せ、それに森喜朗氏や古賀誠氏が協力姿勢を見せたのである。

    そのため本命は石原伸晃か石破茂と見られていたが、麻生太郎氏が伸晃氏を「平成の明智光秀」と批判し、また本人の舌禍事件が重なったことから安倍晋三氏に総裁の座を奪われた。この選挙で森喜朗氏は自分の派閥の町村信孝氏でも安倍晋三氏でもなく伸晃氏を応援したのである。その背景に父親の協力要請があったことは間違いない。

    そうしたことから私は石原氏を評価したいとは思わない立場だが、2016年に出版された『天才』(幻冬舎)には驚かされた。かつてあれほど嫌っていた田中角栄が「天才政治家」として描かれていたからだ。田中を「人間喜劇だね」と見下していた石原氏が最後は田中を手放しで称賛している。その変わりようが私には何とも魅力的だった。

    石原氏の中には2人の「石原慎太郎」がいるようだ。1人はマッチョを売り物にした石原慎太郎だが、もう1人は繊細で柔軟な石原慎太郎だ。私が最初にお会いした時は前者で、2度目に会った時は後者だった。そして人生の終わりには次第に後者の色合いが増したのではないか。勝手にそんなことを思いながら手を合わせたい。

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    ■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧


    <田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
     1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。

     TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。

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