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今から4年半ほど前の2008年9月15日、米国投資銀行のリーマン・ブラザーズが破綻し、世界的な金融危機(世界同時不況)へと波及しました。ガソリンの価格は上昇、穀物価格も数倍に膨れ上がり、家計にも大きな影響が出ました。
その解決の筋道がまったく見えない08年末、ジャーナリストの甲斐良治(かい・りょうじ)氏から表題の記事を頂き、THE JOURNALで掲載しました。「大は小を兼ねる」ではなく、「小は大を兼ねる」とはいったいどういうことでしょうか?
甲斐氏が当時編集長をつとめていた『増刊現代農業』(09年2月発行)のタイトルは「金融危機を希望に転じる」。特集の書き出しには、「危機を打開するのは、人びとが暮らすそれぞれの地域の資源を活用し、自然と調和した経済と生活様式を樹立する『ローカルの力』である」と書かれ、編集後記には「危機を打開するのは農山村に向かった若者たちと、彼らに知恵と技を伝えるローカルの人びとだ」と書いていました。
「TPP参加、円安で輸出が増加する」「今後の安倍政権の『成長戦略』に期待」…新聞やテレビを見れば、あたかも輸出が伸びればGDPが増えて生活が豊かになるかのような報道が飛び交っています。国内工場の集約化や企業の海外移転が進む中、輸出増加や大企業中心の経済政策はどこまで一般庶民の暮らしの豊かさに直結するのでしょうか。
大きな動きにすがりつくのでなく、小さな“ローカル”の動きに着目する甲斐氏の記事を、ぜひとも一読ください。
■「100年に一度」の危機
世界を震撼させている現在の金融危機は、「100年に一度」の危機だという。ならばただ不安におののくだけでなく、新年を迎えるにあたって100年の単位で歴史を見直してみてはどうだろう。
ちょうど100年前の1909(明治42)年2月から7月にかけ、日本、朝鮮、中国の農村を旅した米国人土壌物理学者F・H・キングは、東アジア農業の自給力と永続性に驚嘆するとともに、自国の農業・文明をふり返って「人間は、この世の中で最も法外な浪費の促進者である。人間は、その及ぶ限りの、あらゆる生物の上に破壊作用をふるい、人間自身もまたその災厄を免れまい」と記した。1911年に米国で出版されたその著書“Farmers of Forty Centuries Or Permanent Agriculture In China, Korea And Japan”の邦訳は、戦時下の1944(昭和19)年に『東亜四千年の農民』として奇跡的に出版された。訳者の杉本俊朗氏はいま(08年当時)95歳でご健在で、なおかつ新年1月に農文協から『東アジア四千年の永続農業(上・下)として復刊される同書の校閲をされたほどお元気である(戦後横浜国大の教授を務められた杉本氏はマルクスの『経済学批判』やエドガー・スノーの『中国の赤い星』の訳者でもある)。
名著『逝きし世の面影』の著書・渡辺京二氏は、このキングの著書について以下のように述べている(以下引用文は「増刊現代農業」2009年2月号『金融危機を希望に転じる』より)。
「キングは土壌から作物を育てる養分を流出するに任せ、代わりに大量の化学肥料を投与して産出を維持するアメリカ農業との対比において、水を活用し、生活の生み出す廃物を土壌に還元することによって、永続的な耕作を可能にしてきた東アジアの農業の特性を高く評価した」
「古代メソポタミアの事蹟を思い返すまでもなく、人類が農業を営んだ土地はやがて土壌が涸渇して荒廃に帰す場合が多かった。キングは当時のアメリカの農地についても同じ危惧を抱いていた。彼にとって、同一の土地でかくも長期間農耕が継続するにはなにか秘密がなければならなかった。しかも東アジアの農業は長期に持続したというだけでなく、それによって、稠密な人口を維持してきた実績があった」
「キングは自然に適応し、自然に過大な負荷をかけずにすむ範囲で生活を成り立たせる節約の精神に出会ったのだった」
しかし戦後日本の農政は、東アジア農業の歴史的文脈に沿った発展の方向ではなく、むしろキングが危惧した資源浪費的傾向を強くもつ米国農業に範を取り、構造政策=多数の小規模経営を淘汰し、大規模経営中心の農業構造に再編する政策をとった。
■100年前の日本農業は規模縮小の“終点”
だが農政がめざした「経営規模5ヘクタール以上の大規模層」は容易には増加しなかった。1990年に2万6000戸であった同層がようやく4万3000戸に増えたとき(2000年センサス)、構造政策が本格的にすすみだした証拠と受けとめられた。しかし、京都大学農学研究科教授の野田公夫氏は以下のように指摘する。
「梶井功は、『5ヘクタール以上層が増えたといっても、その実数は経営規模別統計をとりはじめた最初の年である1908(明治41)年水準に追いついただけにすぎない』という、まことにショッキングな事実を指摘した。『梶井ショック』とは、この指摘を『目からうろこ』の思いでうけとめた私の造語である」
「より長いタイムスパンでみつめるとさらに驚くべき事実が判明する。三橋時雄によれば、日本近世の農業生産力発展は経営規模の縮小をともなっていた(これを近世農業経営規模縮小論とよんでいる)。比較対象となった1908(明治41)年に大経営戸数がとくに多かったわけではなく、むしろ江戸時代から明治にかけて続いた農業経営規模縮小の“終点”でもあった」
キングが驚嘆した100年前の日本農業の自給力と永続性は「小さい農業」だからこそ達成されたものだった。
■石油と自動車の100年
2008年は石油の価格が激しく乱高下し、ビックスリーばかりか日本のトヨタまで赤字転落した年だった。この100年はまた、石油と自動車の100年でもあった。『大江戸えねるぎー事情』などの著者、石川英輔氏は以下のように述べる。
「石油依存度が今のように高くなったのは、けっしてそれほど古いことではない。ひとつの区切りとして、自家用乗用車の普及があげられるが、もしそうなら、フォード社がT型というはじめての大衆車を発売した1908年がその第一歩になる。つまり、自動車最先進国のアメリカでさえまだわずか100年しか経っていないし、自動車後発国の日本では思い切り長く見ても50年というところだろう」
だがその短い期間に、環境と生活は激変した。
「この期間には医学が目ざましく進歩しているはずなのに、かつては60歳か65歳以上の老人がかかっていた病気が、わずか30年後には年齢に関係なく現れるようになってしまったのだ。医学の進歩により、老人病が90歳以上に現れるようになったとでもいうのなら納得できるが、実際ははるかに若返ってしまった」
「気の毒なのはまったく受け身の子どもたちだ。さまざまな調査から推定すると、現代の子どもたちは、5歳で5%、10歳では10%、15歳では15%ほどがすでに生活習慣病にかかっているというから驚くほかない」
「日本で、牛肉と魚の消費量が逆転して、魚の方が少なくなったのは1988(昭和63)年、自家用乗用車の世帯当たり保有率が100%に達したのが1987(昭和62)年、小児成人病という言葉が市民権を得たのが1990(平成2年)年だった。日本は20世紀の最後の10年ぐらいで、ようやくアメリカに追いついた気分になっていた。1990年には、エネルギー消費も現在の約90%という高い水準に達している。悲鳴を上げているのは地球ではなく、ホモ・サピエンス、なかでも身近にいる子どもたちなのだ」
■「大は小を兼ねる」パラダイム転換
石川氏は、石油の産出量がいまの10分の1程度になっても、日本のお家芸である「小さいものづくり」技術を生かせば石油の消費量がその程度だった昭和20年代の終わりごろの生活水準に戻るわけではないと言う。
「最近の冷蔵庫は省エネ技術が急速に進んで、10年前の製品にくらべて使用電力が20%程度になっている。今流行のデジタルカメラも、フィルムカメラにくらべればはるかに高性能で便利なのに、撮影・記録のためのエネルギー消費は、これまた1%にもならないだろう。自動車も省エネに向かっている。いずれ高性能の蓄電池ができて、手頃な値段で使えるようになれば、自家用乗用車の大部分は深夜電力による充電だけで動くようになるだろう」
石川氏の提言は「『小は大を兼ねる』日本的転換で危機の克服を」というものだが、プロレースドライバーであり、自動車ジャーナリストの清水和夫氏が経済専門誌で同様の発言をされているのには驚いた。
「たった1人の70㎏の肉体を運ぶのに1.5~2トン以上の車で、エネルギーをたくさん消費している。100馬力というのは、馬100匹分の力で、電力で言えば75キロワットに相当します。50世帯分のエネルギーを使いながら、たった1人の人間が移動するものが自動車だというのは、いかにもばかげている。『大は小を兼ねる』というパラダイムを、『小は大を兼ねる』に切り替えられたときに、自動車は初めて進化したと言えると思うんですね。それをぜひ、日本のメーカーにやってほしい。私たちは多分『小は大を兼ねる』というライフスタイルを持ちえている国民だと思うので、日本が率先することに期待します」(「週刊東洋経済」2008年12月20日号「自動車全滅!」)
【関連記事】
■甲斐良治 過去記事一覧
http://ch.nicovideo.jp/ch711/blomaga/tag/甲斐良治
<甲斐良治(かい・りょうじ)プロフィール>
1955年宮崎県生まれ。九州大学経済学部卒。社団法人・農山漁村文化協会(農文協)編集次長。『定年帰農 6万人の人生二毛作』『田園住宅 建てる借りる通う住まう』『田園就職 これからは田舎の仕事が面白い』『帰農時代 むらの元気で「不況」を超える』の「帰農4部作」で、1999年農業ジャーナリスト賞受賞。その後も『青年帰農』『団塊の帰農』『若者はなぜ、農山村に向かうのか』などの「帰農シリーズ」で新しい農的生き方を追究するとともに、「地元学」(ないものねだりではなく、あるもの探し)による各地の地域づくりにかかわる。「都市と農山漁村の共生・対流推進会議」運営委員、「地球緑化センター」理事、「TPPに反対する人々の運動」世話人。
※会員(月額525円)になると、有料記事・動画はすべて購読できます。会員になるには→ 入会ページ ← から申込ください(携帯キャリア決済、カード決済が可能です)。
その解決の筋道がまったく見えない08年末、ジャーナリストの甲斐良治(かい・りょうじ)氏から表題の記事を頂き、THE JOURNALで掲載しました。「大は小を兼ねる」ではなく、「小は大を兼ねる」とはいったいどういうことでしょうか?
甲斐氏が当時編集長をつとめていた『増刊現代農業』(09年2月発行)のタイトルは「金融危機を希望に転じる」。特集の書き出しには、「危機を打開するのは、人びとが暮らすそれぞれの地域の資源を活用し、自然と調和した経済と生活様式を樹立する『ローカルの力』である」と書かれ、編集後記には「危機を打開するのは農山村に向かった若者たちと、彼らに知恵と技を伝えるローカルの人びとだ」と書いていました。
「TPP参加、円安で輸出が増加する」「今後の安倍政権の『成長戦略』に期待」…新聞やテレビを見れば、あたかも輸出が伸びればGDPが増えて生活が豊かになるかのような報道が飛び交っています。国内工場の集約化や企業の海外移転が進む中、輸出増加や大企業中心の経済政策はどこまで一般庶民の暮らしの豊かさに直結するのでしょうか。
大きな動きにすがりつくのでなく、小さな“ローカル”の動きに着目する甲斐氏の記事を、ぜひとも一読ください。
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甲斐良治(ジャーナリスト/農文協編集次長):「小は大を兼ねる」――日本的転換で危機を希望に転じる■「100年に一度」の危機
世界を震撼させている現在の金融危機は、「100年に一度」の危機だという。ならばただ不安におののくだけでなく、新年を迎えるにあたって100年の単位で歴史を見直してみてはどうだろう。
ちょうど100年前の1909(明治42)年2月から7月にかけ、日本、朝鮮、中国の農村を旅した米国人土壌物理学者F・H・キングは、東アジア農業の自給力と永続性に驚嘆するとともに、自国の農業・文明をふり返って「人間は、この世の中で最も法外な浪費の促進者である。人間は、その及ぶ限りの、あらゆる生物の上に破壊作用をふるい、人間自身もまたその災厄を免れまい」と記した。1911年に米国で出版されたその著書“Farmers of Forty Centuries Or Permanent Agriculture In China, Korea And Japan”の邦訳は、戦時下の1944(昭和19)年に『東亜四千年の農民』として奇跡的に出版された。訳者の杉本俊朗氏はいま(08年当時)95歳でご健在で、なおかつ新年1月に農文協から『東アジア四千年の永続農業(上・下)として復刊される同書の校閲をされたほどお元気である(戦後横浜国大の教授を務められた杉本氏はマルクスの『経済学批判』やエドガー・スノーの『中国の赤い星』の訳者でもある)。
名著『逝きし世の面影』の著書・渡辺京二氏は、このキングの著書について以下のように述べている(以下引用文は「増刊現代農業」2009年2月号『金融危機を希望に転じる』より)。
「キングは土壌から作物を育てる養分を流出するに任せ、代わりに大量の化学肥料を投与して産出を維持するアメリカ農業との対比において、水を活用し、生活の生み出す廃物を土壌に還元することによって、永続的な耕作を可能にしてきた東アジアの農業の特性を高く評価した」
「古代メソポタミアの事蹟を思い返すまでもなく、人類が農業を営んだ土地はやがて土壌が涸渇して荒廃に帰す場合が多かった。キングは当時のアメリカの農地についても同じ危惧を抱いていた。彼にとって、同一の土地でかくも長期間農耕が継続するにはなにか秘密がなければならなかった。しかも東アジアの農業は長期に持続したというだけでなく、それによって、稠密な人口を維持してきた実績があった」
「キングは自然に適応し、自然に過大な負荷をかけずにすむ範囲で生活を成り立たせる節約の精神に出会ったのだった」
しかし戦後日本の農政は、東アジア農業の歴史的文脈に沿った発展の方向ではなく、むしろキングが危惧した資源浪費的傾向を強くもつ米国農業に範を取り、構造政策=多数の小規模経営を淘汰し、大規模経営中心の農業構造に再編する政策をとった。
■100年前の日本農業は規模縮小の“終点”
だが農政がめざした「経営規模5ヘクタール以上の大規模層」は容易には増加しなかった。1990年に2万6000戸であった同層がようやく4万3000戸に増えたとき(2000年センサス)、構造政策が本格的にすすみだした証拠と受けとめられた。しかし、京都大学農学研究科教授の野田公夫氏は以下のように指摘する。
「梶井功は、『5ヘクタール以上層が増えたといっても、その実数は経営規模別統計をとりはじめた最初の年である1908(明治41)年水準に追いついただけにすぎない』という、まことにショッキングな事実を指摘した。『梶井ショック』とは、この指摘を『目からうろこ』の思いでうけとめた私の造語である」
「より長いタイムスパンでみつめるとさらに驚くべき事実が判明する。三橋時雄によれば、日本近世の農業生産力発展は経営規模の縮小をともなっていた(これを近世農業経営規模縮小論とよんでいる)。比較対象となった1908(明治41)年に大経営戸数がとくに多かったわけではなく、むしろ江戸時代から明治にかけて続いた農業経営規模縮小の“終点”でもあった」
キングが驚嘆した100年前の日本農業の自給力と永続性は「小さい農業」だからこそ達成されたものだった。
■石油と自動車の100年
2008年は石油の価格が激しく乱高下し、ビックスリーばかりか日本のトヨタまで赤字転落した年だった。この100年はまた、石油と自動車の100年でもあった。『大江戸えねるぎー事情』などの著者、石川英輔氏は以下のように述べる。
「石油依存度が今のように高くなったのは、けっしてそれほど古いことではない。ひとつの区切りとして、自家用乗用車の普及があげられるが、もしそうなら、フォード社がT型というはじめての大衆車を発売した1908年がその第一歩になる。つまり、自動車最先進国のアメリカでさえまだわずか100年しか経っていないし、自動車後発国の日本では思い切り長く見ても50年というところだろう」
だがその短い期間に、環境と生活は激変した。
「この期間には医学が目ざましく進歩しているはずなのに、かつては60歳か65歳以上の老人がかかっていた病気が、わずか30年後には年齢に関係なく現れるようになってしまったのだ。医学の進歩により、老人病が90歳以上に現れるようになったとでもいうのなら納得できるが、実際ははるかに若返ってしまった」
「気の毒なのはまったく受け身の子どもたちだ。さまざまな調査から推定すると、現代の子どもたちは、5歳で5%、10歳では10%、15歳では15%ほどがすでに生活習慣病にかかっているというから驚くほかない」
「日本で、牛肉と魚の消費量が逆転して、魚の方が少なくなったのは1988(昭和63)年、自家用乗用車の世帯当たり保有率が100%に達したのが1987(昭和62)年、小児成人病という言葉が市民権を得たのが1990(平成2年)年だった。日本は20世紀の最後の10年ぐらいで、ようやくアメリカに追いついた気分になっていた。1990年には、エネルギー消費も現在の約90%という高い水準に達している。悲鳴を上げているのは地球ではなく、ホモ・サピエンス、なかでも身近にいる子どもたちなのだ」
■「大は小を兼ねる」パラダイム転換
石川氏は、石油の産出量がいまの10分の1程度になっても、日本のお家芸である「小さいものづくり」技術を生かせば石油の消費量がその程度だった昭和20年代の終わりごろの生活水準に戻るわけではないと言う。
「最近の冷蔵庫は省エネ技術が急速に進んで、10年前の製品にくらべて使用電力が20%程度になっている。今流行のデジタルカメラも、フィルムカメラにくらべればはるかに高性能で便利なのに、撮影・記録のためのエネルギー消費は、これまた1%にもならないだろう。自動車も省エネに向かっている。いずれ高性能の蓄電池ができて、手頃な値段で使えるようになれば、自家用乗用車の大部分は深夜電力による充電だけで動くようになるだろう」
石川氏の提言は「『小は大を兼ねる』日本的転換で危機の克服を」というものだが、プロレースドライバーであり、自動車ジャーナリストの清水和夫氏が経済専門誌で同様の発言をされているのには驚いた。
「たった1人の70㎏の肉体を運ぶのに1.5~2トン以上の車で、エネルギーをたくさん消費している。100馬力というのは、馬100匹分の力で、電力で言えば75キロワットに相当します。50世帯分のエネルギーを使いながら、たった1人の人間が移動するものが自動車だというのは、いかにもばかげている。『大は小を兼ねる』というパラダイムを、『小は大を兼ねる』に切り替えられたときに、自動車は初めて進化したと言えると思うんですね。それをぜひ、日本のメーカーにやってほしい。私たちは多分『小は大を兼ねる』というライフスタイルを持ちえている国民だと思うので、日本が率先することに期待します」(「週刊東洋経済」2008年12月20日号「自動車全滅!」)
【関連記事】
■甲斐良治 過去記事一覧
http://ch.nicovideo.jp/ch711/blomaga/tag/甲斐良治
<甲斐良治(かい・りょうじ)プロフィール>
1955年宮崎県生まれ。九州大学経済学部卒。社団法人・農山漁村文化協会(農文協)編集次長。『定年帰農 6万人の人生二毛作』『田園住宅 建てる借りる通う住まう』『田園就職 これからは田舎の仕事が面白い』『帰農時代 むらの元気で「不況」を超える』の「帰農4部作」で、1999年農業ジャーナリスト賞受賞。その後も『青年帰農』『団塊の帰農』『若者はなぜ、農山村に向かうのか』などの「帰農シリーズ」で新しい農的生き方を追究するとともに、「地元学」(ないものねだりではなく、あるもの探し)による各地の地域づくりにかかわる。「都市と農山漁村の共生・対流推進会議」運営委員、「地球緑化センター」理事、「TPPに反対する人々の運動」世話人。
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