名前:石関貴史(いしぜき・たかし)
政党:民主党
選挙区:群馬2区
生年月日:1972年2月18日
血液型:O型
座右の銘:我以外皆師(われいがいみなし)
趣味:映画、釣り
好きな食べ物:ラーメン、味噌汁、そば
ホームページ:http://www.ishizeki.jp/
Q1:なぜ政治家になったのですか?
一言で言えば...人間に興味があるから。
私の実家は自営業で、祖父が自動車の修理工場を経営していたのですね。小学校から帰ると、お茶菓子を食べながらお茶を飲んだり昼寝をしている人がいたり、面白い環境だったんですね。祖父の仕事をする現場を見て、手伝いをしながら、職種や立場関わらず、人に関わるのは政治だなぁと思った。今考えるとそれが一番の理由だと思う。
もっと小さいとき、高校生かそれ以前は、警察官や弁護士とか、少なくと公の仕事をしたいとは思っていたが、大学生になり、そろそろ就職と悩んでいたときに、地元の先輩に相談したら、「政治の仕事があっている」、そう言われました。
Q2:政治家になる前はどのような仕事や活動をしていましたか?
親は離婚して早くからいないし、実家も自動車修理工場、政治的な家族や親戚もいない。ならば役所に入り、政策を自分で立案をし、法律を作ったり改正したり、行政の現場で働いてみて、それでも政治の仕事がしたかったら、まだ志があるのなら、地元に戻ったらどうか、と先輩の後押しがありました。そうか、そういう道があるのか!と、まず旧郵政省に入りました。5年弱勤め、法律改正等をさせてもらったので、郵政省の係長を辞めて地元に戻って、市議会議員に立候補しました。
市議会を4年間地元でやり、二期目の立候補は県議会になり、その頃、民主党からお声がかかりました。ただ、群馬県は自民党が非常に強くて、ですので無所属の一人会派として活動はしていましたが、行動は自民党の方々と共にしていたんです。
で、参議院選挙が当時ありまして、自分の実感として自民党政治は時代おくれではないか...という気持ちが高まっているところに、民主党の方からお誘いがあり、後援会の皆さんともご相談し、民主党で国政にチャレンジさせていただいたのです。
Q3:どのような政策にいちばん力を入れていますか?
親が、生まれてすぐ離婚し祖父母に育ててもらったんですね。ですが保護者の祖父も大学生のときに亡くなり、大学四年の最後の半年は、奨学金を貰って卒業しているんです。なので今回、民主党でも奨学金の充実、子供手当てマニフェストでお約束し、高校の無償化、学費の無償化お約束をしてやってきた。こういったものに力をいれていきたい。実感としては大学教育、志のある人には誰でも教育がうけられる、そういう環境作りに力を入れたい。
Q4:今回の「政権交代」をどう感じていますか?
群馬県の保守系無所属の県会議員として活動し、その以前は市議会議員のお仕事、その前は旧郵政省で仕事をしていて、中央官庁と地方議員の両方をやってみて、「今の政治システムがもたない」という実感があったところ、衆議院選挙でお誘いがあり民主党から出させていただいた。
政治システムは必ず変わるし自民党ももたない。この四年間ひたすら政権交代を目指してやってきた。2005年の選挙では復活当選させて頂いたのですが、当時も民主党は政権交代を掲げてましたが、小泉さんが郵政改革を掲げ、逆に民主党は惨敗した。政権交代の土壌は、その当時から醸成されてきていたが、まだ至ってはいなかった。でもその四年間で、自民党のシステムが全く駄目だ!と、国民の皆さんに知れ渡り、民主党もこの四年間ひたすら頑張って、一定の力をつけた結果、地殻変動の下地は確実にあって、政権交代が実現したわけです。自民党下における日本の地盤がグラグラしていた。その地滑りの先の民主党がしっかり受け止めて新しい土壌と基盤を作らねばならない。大変な仕事だと思っています。
Q5:民主党政権のポイントになるところはありますか?
マニフェストを掲げ政権交代をさせて頂いた。マニフェストとは例えるならパッケージなんです。全部が入ってどうですか?という商品のイメージを買っていただいたにすぎない。個別の子ども手当て、高校の無償化、公共事業無駄を見直し、群馬にある八ッ場ダムの見直し、中止を認めて貰ったということもあります。
有権者の人にとっては「商品買ったけど、こんなの細かい説明まで知らないよ」というのがあると思う。それに関しては、閣僚中心に丁寧に説明し、我々党員も説明し、「こういう理由でマニフェストに載ったんです、だから実行させて下さい」とするべきですし、マニフェストが例えば10本あるとしたら、きわめてスピーディーに実現するもの、すべきもの、逆に問題があり説明が必要なものは丁寧にやっていくとか。
高速道路などに関しては意見が分かれていますが、お約束した以上は一部でもいいからやってみて、データを皆さんに提示して、こんなに得ですという結果なのか、あるいは、やってみたら皆さんのご懸念のようにあんまよくない、とか、やっぱり正直に政権を運営する、ということですね。
政治って、胡散臭いとか、ウソついているんじゃない?とか、日本では前提になっている気がする。確かにすべてのマニフェストをお実行するのは難しいが、でもだからって傷隠しのようにツギハギしたり、絆創膏を貼ったりしてきたのが、自民党が政権を失った原因だと思う。民主党はそうではない、実際、やろうとしたけど困難だったとか、財源とか苦労していますが、やる方向性を示し、正直に伝えていくこと。誤魔化しはいけない。そうじゃないと自民党の二の舞になる、私はそう思います。
Q6:地元で抱える一番の問題点は?またそれに対しどういう対策をとっているか?
農業もこの先どうして行こうか?というのもあるし、産業も製造業で支えてきたというのが群馬なんですが、去年の秋以前は、有効求人倍率が全国の中でもトップレベルだったのが、秋以降、一気に最悪レベルにまでなってしまった。既存の製造業を出来る限りいろいろな振興策で元に戻す、金融の円滑化の法案も出ますから、こういうものは着実にスピーディーにやって、以前のレベルに有効求人倍率に戻すというのが目標です。
世界の製造業の排置の状況等を考えると、新しい製造業、グリーンニューディール的な新しい産業を興す必要がある。でもこれは基本的には地元の皆さんの創意工夫でやらなければならない。国が何かもってきてやる、とかではないので、地元で立地しやすい環境作り、支援をする方策というものを政府で打ち出せるように、民主党で応援をしていくことだと思う。
─補助金をばらまくわけではない?
やはり補助金というものが、いろいろ検証した結果、不効率を招いてきたのは事実だと思う。補助金だけでは駄目で、長いスパンで考えることが必要なんです。地方主権にすると、今までは地方自治体が陳情にくる、それをぶん取り合戦をして、うちの地元にこれだけと...とやることで政権を保ってきたわけです、今までは。今はそういう時代ではないんです。これからは、一括交付金として自治体にお金あげますから、創意工夫でやって下さいということなんです。極端に言えば、ある地方に100円あげます、うち90円をどうしても道路に使いたい、というならご自由です。うちは子育ての自治体にしたい、60円を保育で使いたい、など、ね。極端ですが、こういったことも地方に任せる。こういう道筋を作ることが国の政治として大事だと思う。あれください、これください、でない政治にします、というのが民主党が提示する政治なんです。
中央政府と地方政府という概念でとらえなおし、地元の住民自治をやりやすい環境づくりが一番だと思う。その過渡期にあるので、地元選出の国会議員として出来る限り尽くしていきたい。
─地元意識は?
「小選挙区で生まれ育ったところから出られる」というのは結構減っているんです。先任者がいれば出られないし、同じ党は勿論ですし、自民党の候補者がいればそこは埋まっている、ということですし。北海道の人が大阪で、というのは当たり前になってきている。私自身は生まれ育ったところから選出させて頂けているので、その点では恵まれている。だからこそ、地元の陳情は最大限努力するのは当たり前だし、やはり地元に強い執着がありますね。
Q7:読者からの質問
─八ッ場ダムについて...「ダムに依らないまちづくり」として実際どのようなプランを長野原・東吾妻町に提示するのでしょうか?またその行程表は?(投稿者: R.Amemiya | 2009年10月29日 13:49)
これは申し上げたように中央政府と地方政府です。創意工夫で頑張れる環境作りをする。まさにこれがひとつのケースだと思うんです。国がダムに依らない環境振興策とか、住民がもっと増えてもらえるような策を提示するというよりは、そこに住んでいる方々からご意見を出してもらって、それを最大限バックアップする、というのが国がやるべきことなんですね。動物園を作りますよ、カートレース場作りますよ、とかは国がやることではないと思う。
今回の中止についても、前原国土交通大臣は、当初から作りかけの道路は全部作ります、保障はやります、そうおっしゃっています。ダムはなくなりますが、その他については、やりきる!と申し上げているんです。ですので、プラス「こういうものがダムの代わりにあれば、飯が喰える、お客さんが来てくれる!」など、地元の方々に創意工夫をしてもらう、考えていただくということなんです。ダムの代わりに何が必要か、真摯に、切実に考える、それを国は実現するために最大限にバックアップする。そういうスタンスなんです。
Q8:国民・支持者にいまいちばん言いたいひと言を!
群馬は草津温泉とか四万温泉などがあり、災害が少なく住みやすい街です。ザスパ草津とかサッカーチームがあります。草津温泉地にあるチームなので、優勝した際は、ビール掛けでなく、温泉を掛け合っていたり(笑)。
地理的にも都内に程よい近さだし、県内にいれば1時間以内に温泉にもいける、というところですから、「住みやすさ」が一番のウリです。
余談ですが(実に個人的ですがと前置き)、群馬県のキャッチコピー「心にぐぐっと群馬県」、これは変えたほうがいい(笑)。何が言いたいのかわからん!何が「ぐぐっ」なんだろう?まさに創意工夫が必要だと思うんです。私なら「いい湯だな群馬県」「八ッ場もあるぜ群馬県」とか、パッと頭に浮かぶもの、じゃないと。
鶴嘴(つるはし)です。
育ててくれた祖父がニューギニア戦線から生還したんですね。工兵から二等兵、最後は准尉(じゅんい)にまでなってるんですが、最後、終戦で敗戦で捕虜になったんです。祖父はもともと工兵だったようで、捕虜になった後、戦車等の整備をした。最後、復員してきた時、米軍からこれだけをリュックに入れて生還し「これだけは俺の形見だ」と、子どもの頃から聞いてたんです。なので非常に思い入れのあるものです。
ここにUSAって刻印されている。当選後、地元から持ってきて置いて、思い出しています。いろいろ言われますが、わたしは祖父の戦争体験を聞いてますので、戦争はおこしちゃいかん、は勿論、日本は軍隊は持てませんから、軍備、しっかりした防衛をしないとな、と...そういうものを考えるようになりますね。