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ハックルベリーに会いに行く

ブロマガ

  • 2024年を振り返り、2025年を展望する(1/5)(1,652字)

    今年(2024年)も残り僅か。もうすぐ2025年である。 そこで今年を振り返り、来年を展望するということを5回に分けて書いてみたい。10年後、20年後にこの記事を振り返ったとき、あのときの時代はああなっていた。あのときはこのようなことを考えていたんだと、参考になるようなものが書けたらと思う。 ぼくの2024年はといえば、まず特筆すべきはいよいよバカと本格的に決別したことにある。ネットで発言するということをしなくなった。より正確に言えばSNSで発信しなくなった。このメルマガもnoteの連載も有料記事で無料では全部を読めないようになっている。だからいわゆる一般の人の目に触れることはない。 それはいよいよぼくがバカに耐えられなくなって、これと決別したからだ。感覚としてはアルムおんじである。山に籠もって世捨て人のように生きている。 しかしながら一人で生きているわけではない。なぜかは分からないが家族や友だちやつながりのある人はたくさんいて、その人たちはぼくのことを暖かく迎えてくれている。だからとても居心地が良い。 例えば子供が幼稚園に通っているが、その中で幼稚園の教職員の方々や、他の子供の親とのかかわ...

    19時間前

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  • 野球道とは負けることと見つけたり:その10(1,624字)

    蔦文也は1951年に池田高校の野球部監督に着任した。27歳になる年のことであった。 池田高校野球部は、戦後すぐの1946年に発足した(当時はまだ旧制の池田中だった)。はじめは同好会だったが、翌年の1947年から正式に部としての運営をスタートし、甲子園を目指す公式戦にも参加した。 当時の徳島県の公式チームは15校である。夏は、このうちの2校までが南四国大会に進める。つまり3回勝てば進める。そこで高知代表2校も含めた4校で、甲子園出場をかけた勝負をする。このとき、勝ち残った1校しか出場できない。そういう狭き門であった。 県大会に参加し始めてからの池田は、しばらくは連敗が続いた。それでも、2年後の1949年の夏の大会で、初めての勝利を記録する。さらに1950年は躍進し、夏の大会の県予選で2回勝った。もう1勝で南四国大会に出場できたが、名門鳴門商業に大敗する。 文也が着任したのはその次の年である。しかも前年に2年生ながらエースとして活躍した蔵文男がまだ残っていた。だから、初の南四国大会出場、あるいは県大会優勝も期待された。 そこで文也は池校部員を鍛え始める。なにしろまだ27歳。体力は有り余っている。しかも徳商で...

    4日前

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  • 1994:その34(1,637字)

    1994年は今年2024年のちょうど「30年前」だ。しかし2024年はもうすぐ終わってしまうので、やがて「31年前」ということになる。 ぼくはもともと1994年を舞台に小説を書きたいと思っていた。だから1994年について調べ始めたのだが、調べるのが終わらなくなってしまった。1994年を知るにはその前の1980年代のバブルを知らなければならないし、バブルを知るにはその前の1970年代を知らなければならない。そんなふうに、どんどん脇道に逸れていったからだ。 そうして連載を続けてきて、今は1991年まで来た。ここまで来て分かったのは、今思うと1991年の日本というのは大分「金属疲労」を起こしていたということだ。 金属疲労というのは、古い文化のまま新しいテクノロジーを受け入れ、キメラ的な社会を作っていたという意味である。しかしその木製の部品と金属製の部品の接合部分の摩耗が激しく、上手く機能しなくなっていたのだ。 その木製の部分を「昭和」と言い換えてもいい。今、一般に「昭和」が指し示すのは戦後、それも1970年代から1980年代のことである。「昭和っぽい」といって二・二六事件を想起する人はいないし、戦後の紙芝居に群がった子供たちを想起...

    5日前

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  • [Q&A]モンスターペアレンツにどう対処するか?(1,729字)

    [質問] 岩崎さんはChatGPTなどの生成系AIは何かお使いですか? 使っていたらどのように使うことが多いか、知りたいですね。 [回答] ぼくは生成系AIは使っていないです。話題になったとき、一応触ってみたのですが、長続きしませんでした。 そのときはイラストを描きたいと思って触りました。自分でマンガやアニメを作ってみたかったんです。AIでイラストを描けるかなと思って試したんですが、どれもいわゆるAIっぽい絵になる上、希望の構図で作ることも難しいので、思っていたようにはできませんでした。 それで、今は様子見といったところです。そのうち、時間ができ、またイラストの描き方のTIPSなども確立したら、再チャレンジしたいですね。 一方、テキスト系のAIにはほとんど食指が動きません。それはきっと、自分が書いた方が早いからというのがあるでしょう。また翻訳も試したのですが、いまいちでした。それで今は放置というか、やっぱり様子見といったところです。 [質問] 教員をしています。いわゆるモンスターペアレンツと言われる人は、何か不満を抱えていると感じます。埋められないその不満を解消するために学校に対して過度な要求...

    6日前

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  • 本質的に生きる方法:その12(1,747字)

    コルビュジエの有名な言葉に「住宅は住むための機械である」というものがある。これはコルビュジエがその建築において何よりも「機能」を重視したことの証しだ。そして、その「機能」を可能な限り「美」しく見せようとした。つまり「機能美」を追求したのだ。 サヴォア邸には、その思想が十全に表れている。それはピロティ構造の実現と、その「アピール」においてである。 鉄筋は、これまでの石造りや木造には不可能だった「強度」というものを建築に与えた。その結果、建築は高層化、あるいは超高層化が可能になった。それで、経済合理性と相まって、建築は上へ上へと伸びていった。 しかしその結果として人間性が失われてしまった。芸術性も居心地も失われてしまった。これでは犠牲が大きいというので、アール・ヌーヴォーを経てアール・デコにおいて、機能性を伴った高層建築の道が幾人もによって模索された。 しかしこの試みは失敗に終わった。高層建築はついに美しくなりえなかった。そこでライトは、縦に伸びた鉄骨を横に倒した。そうしてキャンティレバー(片持ち構造)の巨大な屋根を作った。 すると、これは文句なく美しかった。そうして人間性を...

    1週間前

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2014/01/30 11:01

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