2010/07/29
1:52 am
スペースゼロでIZAMさんと石川梨華さんが主演する「夏唄日記」を観て来た。
大好きな稲村優奈さんがどういう芝居をしてくれるのだろうと楽しみに出かけた。
稲村さんは素敵だった。
でも、こういうのが困る、という典型的芝居にぶち当たってしまった。
作ろうとした意図は善意、あるいは信念と言うものだろう。
題材は広島に落とされた原子爆弾、この悲劇を糾弾する意思が全編に働いていた。
今の時期にこういう芝居をやる意味は大いにあると思うし、出発点は相当評価できる。
特に、人気のある女優、一世を風靡したアーティスト、
のコンビでこんな重い題材に挑戦する雄気は賞賛されてよいと思う。
でも演劇としてはかなりこまったちゃん、の出来だった。
脚本が採用した2重構造は、本人を目の前に置いて、
別次元の人間がただ単にその人間の心情を語る、と言うとても変なものだった。
語っている人間と語られている人間の心情に重なる部分があればまだしも、それが無いし、
次元の壁が見えにくい演出とも相まって、2重構造を採用する意味が分からない。
演者も熱意はあるが技術の下手さ加減が半端でなく、大勢の俳優の台詞がほとんど聞き取れない、
演出は、落ち着かない出掃けの連続で、
物語の進行を誰かの心情に託してじっくり追いかけると言う展開にならず、
何が何だか分からない物語になっていた。
もちろん、題材の持つ悲劇性があまりに強いので、ドラマが成立していないのに、
「悲劇的コント」の連続で涙線の弱い観客なのだろう、泣いていた人もいた。
美術プラン、特に、大道具が最悪で、
舞台の奥行きを全く使えない意味のないドでかい構造物を下手半分においてしまい、
アクティングエリアを舞台のほんの前側2メートルぐらいに押し詰めてしまった。
まるで小学校の体育館でノリウチの芝居を観ているみたいな気分だった。
さらに最悪なのは、お芝居の時間だった。
2時間45分を休憩なしでゼロの舞台で観させられるのはつらい。
椅子が仮設の椅子なので長時間に及ぶと座り心地が悪くとても耐えられない、
そもそも、娯楽作品は娯楽である以上適当な長さがあるはずだ。
修行に来ているわけではないので、楽しみが苦行になってしまってはそれは違うだろうと言いたい。
プロデューサー不在、演出家能力不足、脚本家自己満足型、
でもこの芝居を作ろうとした意図は素晴らしい、
困ってしまう。