…というわけで6月も気合い入れて参りましょう。
CUTTは考える。
一昨日6月1日にO-EASTで行われたグルグル映畫館リバイバル公演「月に行った猫~追悼 天野鳶丸~」、無事終演しました。皆さんがツイッターやブログで触れられているように、本当になんというか、じんわりと素敵なイベントだった。僕の出番も温かく迎えてもらえて、僕の事を知らないお客さんが多かったと思うんだけど、(あ、「カットー!」とか呼んでくれた皆もありがとう。あの場では反応しなかったけど、そういうの実は助かります^^;)歌も後悔なくしっかり歌えたし、イベントの一つのパートとしての役割は果たせたかと思います。グルグルのメンバー、出演者、関係者の皆さん、天野さん、お疲れさまでした!
しかし、あの日何度「爽やか」だと言われた事か。面識のないアーティストさんも多かったので、後でお話する度に「いやー、爽やかでしたねー!」「グルグルの歌と思わない位爽やかだったー」「いやー、爽やかさわやか〜!」と言われた。確かに、顔が白くないだけで相対的に爽やかに見えがちな場(どんな場だ)だったとは思うんだけど、それにしても結構な頻度で。
そして一昨日に限らず、そう言われる事は少なくない。まさか三十代も後半になって、こんなに爽やかだと言われる事になるとは、ロン毛ヘビメタ少年(太宰治とカートコバーンが好き)だった高校生の頃の僕には想像も出来なかった。そして今でも違和感は感じる。というかもし「爽やか」じゃなかったら何になるんだろうと、ネットで対義語を調べてみると「鬱陶しい」がそれにあたるらしい。うーん確かに鬱陶しいのはまずいな。英語ではgloomy(陰気な、憂鬱な、悲観的な)と書いてあって、そっちの方がピンとくる。それで村上春樹さんがいつかのエッセイで書いていた事を思い出した。
趣旨をうろ覚えで書き出すだけなので、細部は違うかもだけど、氏は「うじうじ考えたり、悩んだりするのは若者特有の権利なのだ」という事を仰っていた。その考えにはとても共感できる。正直言うと、僕は若い頃は「憂鬱・悲観的→格好いい!」「爽やか・楽観的→馬鹿!」だと思っていた。だって楽観的で爽やかな若者なんて、胡散臭いじゃないですか(←偏見)。メランコリックな方が、アーティストっぽいという効果もある。だけど大人になってくると(言いたくないけど歳を取ってくると)そうもいかない。若者が陰鬱に落ち込んでいても声のかけようがあるけど、大人が陰鬱に落ち込んでいるとなんかもうちょっとリアル感が出てきてしまって…である。やら元気の良い中年というのもちょっとお腹が一杯になっちゃうけど、まあその辺はバランスを取ってやっていくしかない。
それでも「爽やか」というのは「無味無臭」「無害」という事でもあるので、僕も第一印象が「爽やか」だけになってしまわないように身を振らないとな、と思う。勿論みんな他意なく良い意味で言って下さってるので、「少なくとも鬱陶しくはないのだ」と安堵しつつ、その上で味のある人間になりたいですな。って俺は真面目か!
…というわけで6月も気合い入れて参りましょう。
…というわけで6月も気合い入れて参りましょう。
写真は楽屋で、KIBAさんと福助。さんと。
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コメント
コメントを書くお疲れ様です。
無味無臭、無害とはほど遠い、
爽快感のある活き活きとしたように感じました。
白のシャツに黒髪で水色のギターって見た目もあのステージでは爽やかですけど目立ちますね( ^ω^ )
cuttさんは爽やかと言われるのは嬉しくなさそうですが、(良い人とどうでもいい人が同義に近い?)O EASTでcuttさんの歌声が会場に響き渡ると断トツで気持ち良かったです。(爽やかと快感は似てると思う…)
前回の名古屋のLIVEで「透明な僕だから」の弾き語りも素敵でしたがバンドバージョンも素敵でした〜!モツ鍋の話しも面白かったです( ^ω^ )
gloomyはCUTTさんっぽいけど、鬱陶しいはCUTTさんっぽくないなあと読んでいたところでフッと思いましたが
一歩間違えば鬱陶しくなりそうなのに、gloomyが鬱陶しいにならない不思議な感じがCUTTさんの「爽やかさ」なのかなあと。
無味無臭じゃなくて、「複雑な味わいなのに食べやすい!」みたいな(食うのかい!)