西成山王ホテル

著=黒岩重吾

『西成山王ホテル』文庫は現在品切れ。Amazonマーケットプレイス等で入手可。

 

2003(平成15)年に没した直木賞作家・黒岩重吾の作品をいま、新刊書店で探すと並んでいるのは80年代以降に書かれた古代史小説ばかりで、そのジャンルの作家と認識している人も多いのではないか。また彼の直木賞受賞作『背徳のメス』は医療界を舞台にした社会派ミステリーだから、松本清張のような作家と誤解されていたりもする。

しかし60年代から70年代かけて、作家としてもっとも充実していた黒岩重吾は、大阪の西成区を舞台にした風俗小説、ハードボイルドを多作した。これは当時の西成を知るのに非常に有益な地域資料である。

読者諸氏もご存知のように、大阪市西成区は日本最大の労働者の町・釜ケ崎や遊廓時代の建築物が残る女性街(ちょんの間の街)飛田新地を抱える個性的な地域だ。映画では大島渚監督の『太陽の墓場』(1960年)や田中登監督の『色情めす市場』(1974年)で舞台にされている。しかし地域の成り立ち、暮らす人々の雰囲気は映画では掴みにくい。

黒岩重吾の西成小説は歴史的記述、風景描写も細密で、危険でありながら人情味もある同地域の空気をあますことなく伝える。1970年代の角川文庫にもっとも多く収録されており、『飛田ホテル』『西成山王ホテル』『西成十字架通り』など、一見してそれとわかるタイトルもあるし、『夜の遺書』のように東京を舞台にした通俗小説と西成小説が混じった短編集もある。ダークグリーンの背色が印象的で憶えやすい。

どれか一冊、となれば『西成山王ホテル』を推したい。テーマを西成に絞った連作短編集で、第一篇『湿った底に』の「南海電車の荻の茶屋駅に立つと、西成天王寺界隈が一眼で見わたせる。汚れた街である」という冒頭の描写から釘付けになる。同作の中盤に「旭町は安倍野近鉄前から旧飛田遊廓に通じる狭い商店街である。ここには小料理屋が何十軒と並んでいる」との描写があるが、この小料理屋が並ぶ通りは高さ日本一の商業ビル、あべのハルカス建設にともなう再開発で根こそぎなくなった。第四篇『朝のない夜』には1958(昭和33)年の赤線廃止後、業者がどのように〝ちょんの間〟へ転業していったかの記述があり、興味深い。

こうした文庫本を手にしながら西成の町を歩き、その変貌を辿ってみるのも意義深い旅ではないか。そこには地域の行政が表には出したくない、隠された暗い歴史が豊かに詰め込まれている。